013
「ミリアリア、レイ。準備はできたか?」
俺は、上着としてそれなりにしっかりした作りのローブを、衣服の上から羽織りながら、愛すべき妻たちに声をかけた。
「ええ、私たちも準備万端よ」
ミリアリアは深紅のドレスを、レイは漆黒のドレスを身にまとっていた。
いずれも細身のシルエットで、動きを妨げるようなものではなかった。
……いや、正確に言えば、彼女たちのドレスは、動きを妨げない物質で創られている。
ミリアリアの衣装は、自身の血から編まれた魔装であり、意識に応じて自在に形状を変化させられる。
一方のレイは、指輪に封じたイモータルスライムを分裂・変形させて、衣服として纏っている。
それゆえ彼女のドレスも、見た目こそ優雅な装いだが、実際には高い柔軟性と防御性能を兼ね備えた“生きた装衣”のようなものだ。
本来、ドレスとは動きづらく、戦いには向かないもののはずだ。
だが彼女たちは、自らの力、道具によって“その常識”を意味のないものにしている。
「じゃあ、フェリスにも声をかけてやってくれないか?」
フェリスはレオンの妻だ。俺が彼女たちの寝室に踏み込むのは、さすがに気が引ける。
とくに、準備中の女性の部屋に、男が立ち入るべきではない。
「私が行ってきますね」
レイはそう言って、部屋の扉を開け、静かに廊下へと出ていった。
「別に、シンが声をかけるなら、気にしなくて良いと思うけれど」
ミリアリアがそんなことを言う。
「そうか?」
俺はそうは思わない。
確かに生娘でもない相手が、そこまで過剰な反応をするとも思えないが、だからといって、妻でもない女性に一線を引かないのは……
「ま、シンがそう思わないなら、そうすればいいと思うわ。
別に、そこまで気になることでも、気にすることでもないでしょうし」
彼女は、理屈を並べるでもなく、ただ俺の考えを受け入れるように言った。
「旦那様、フェリスさんも支度が整ったそうです」
レイが廊下から顔をのぞかせて報告してくる。
「わかった。レオンとアリステリアを外で待たせてる。こっちも急ごう」
俺たちは一軒家の玄関扉を開け、数時間ぶりに外へと出た。
太陽はすでに真上にあり、肌を刺すような暑さがじりじりと降り注いでいる。
「……ミリアリア、大丈夫か?」
強い陽射しは、吸血鬼にとって天敵のはずだ。
「平気よ。……でも、暑いのは事実ね」
「傘、いるか?」
俺は日傘を一本、掌の中に創り出す。
「もらってもいい?」
「もちろん」
ミリアリアは軽く手を伸ばし、差し出された日傘を受け取ると、そのまま頭上に掲げた。
「遅かったな。問題ないか?」
外で待っていたアリステリアが声をかけてくる。
日差しの下に立っていながら、どうやら何も持たずに待っていたらしい。
隣に立つレオンも同様だが、彼は俺の騎士だ。主を待つのは当然の務めだ。
「日傘は持ってないのか?」
「この程度なら必要ない。軍の訓練中に、そんな悠長な装備は使えないからな」
訓練中に日傘を差してのんびり構えるような騎士や兵士など、まずいないだろう。
彼女が初めて俺たちの前に現れたとき、全身に鎧をまとっていたのを思い出す。
だからこそ、こういった返答が返ってきても、特に驚くことはなかった。
アリステリア・ヴォルンハイム。
この土地──ヴォルンハイム領を治める家の令嬢であり、現当主の娘でもある。
本来、貴族の子女が前線で騎士の真似事をするなど、ありえない話だ。
だが、彼女はそれを当然のようにこなしている。
その理由を詮索したことはない。いや、あえてしないでいる。
深入りすれば、それだけ余計な面倒に巻き込まれる可能性も高い。
没王となった今、政治に関わる気など微塵もない。面倒くさいからな。
「さて、無駄話はここまでにして、冒険者ギルドへ向かうとしよう」
アリステリアは、時間に余裕がないのか、それとも区切りをつけたかったのか、少し強引に話を打ち切ると、そのまま俺たちを冒険者ギルドの建物まで案内してくれた。
家を出てすぐ、石畳の路地を進む。
街の造りは整然としていて、通りには街路樹が等間隔で植えられていた。枝葉が柔らかく風に揺れ、光と影の縞模様を地面に描いている。
道の両脇には、二階建ての住居や店舗が肩を並べていた。
白壁と赤い屋根が並ぶ様は整っていて、装飾は控えめだが、手入れは行き届いている。
このあたりは中流以上の暮らしをする住民が多いのだろう。店先に吊るされた籠には果実や焼き菓子が並び、通りを行き交う人々も品のいい衣服を着ていた。
数ブロック進むと、徐々に街の雰囲気が変わっていく。
建物は背が低くなり、石壁の一部に亀裂や崩れが目立ち始めた。
軒下で喧騒を上げる露店の数も増え、果物を売る老婦人や、鍋のような鉄器を地面に並べて商う男の姿が見える。
漂ってくるのは香草と獣脂が混じった匂い。何かの串焼きを売っているのか、煙が屋台の奥からゆらりと立ち上っていた。
騒がしさと活気、それに伴う雑然さ。
通りすがりにぶつかりそうな距離感で人が行き交い、足元には猫が素早く駆け抜ける。
猫って大抵どの世界にもいるよな……不思議な生き物だと思う。
「ここから先が“下街”にあたる区域だ。冒険者や行商人、時には盗賊上がりも紛れ込む。
品行方正な場所ではないが、情報と仕事は集まりやすい」
アリステリアがこちらを振り返らずに言った。
確かにこの混沌には、何かが動いている気配がある。
そして、ほどなくして──
ひときわ大きな建物が視界に入った。石と木材で組まれた四角い建物。重厚な扉の上には、木製の看板が打ち付けられている。
冒険者ギルド。
目的地の姿が、俺たちの目に入った。