011-フェリスside
部屋にいないと思ったら……やっぱり。
私──フェリスは家の影から、こっそりとレオンとミリアリアさんの稽古を眺めていました。
ミリアリアさんは、レオンよりも強いと聞いています。
それを実際に見たことはありませんでしたが、レオン自身がそう言っていたので、きっと本当なのでしょう。
こうして見ていると、実際にレオンが押され気味ですね。
ミリアリアさんは身軽で、しかも夜の時間帯では、神々よりも強いとされる存在。
“怪異の王”とすら呼ばれる吸血鬼。ヴァンパイア族の力は、やはり只者ではありません。
そんな相手と正面から立ち合い、簡単には倒れないレオンは、すごい人だと思います。
もちろんレオンも、男の子ですから。
シン様には敵わなくても、他の仲間には負けたくないという気持ちは、きっとあるのでしょう。
でもそれ以上に、私にははっきりと見えることがあります。
レオンの動きは、常に“誰かを守る”ことを前提にしている。
対するミリアリアさんには、その構えがありません。
守る戦いというのは、攻めるよりもずっと難しいのです。
だから、仮にレオンが負けたとしても、私は彼のほうが“弱い”とは思いません。
ミリアリアさんが使っているのは、血から生み出した二本の深紅の剣。
恐らく、あれは彼女の血液を具現化したものです。
一方、レオンは“憤怒”から生まれた大鎌と、“暴食”から形作られた大盾を使っています。
悪魔とは、“人の原罪”を象徴する存在。
傲慢、嫉妬、憤怒、怠惰、強欲、暴食、色欲──七つの罪を司る魂の炎を、彼はすべてその身に宿しています。
……色欲、つまり性欲として私にぶつけられるとちょっと困りますが。
でも、ぶつけた後にしょんぼりするレオンを見ると、なぜか少し満足感があるのですよね。ふふっ。
ほかの原罪にもそれぞれ武器の形はあるそうですが、使い勝手がいいのは、このふたつなのだと、彼は話していました。
ミリアリアさんの連撃を、レオンはすべて盾で受け止めています。
けれど、反撃には至っていません。それは、私のように離れた場所から見ていても明らかです。
大鎌を振っても、ミリアリアさんは軽やかに身をかわしてしまう。
“当たる気がしない”というのは、きっとこういう時に使う言葉なのでしょうね。
レオンは、とても優秀な騎士です。
そんな彼が押されているという事実は、ミリアリアさんの剣技が、それほどまでに優れている証です。
もちろん、レオンも苦労しています。
でもきっと、ミリアリアさんも同じか、それ以上の苦労を重ねてきたのでしょう。
「フェリス。何をしているんだ?」
背後から聞き覚えのある声がして、私はびくりと肩を跳ねさせました。
稽古に夢中で、後ろから近づく気配に気づけませんでした。
「シン様……どうしてここに?」
もう、世界の大半は眠りについているはずの夜です。
「寝室にミリアリアの姿がなかったから、少し気になってな」
「……ああ。そうだったんですね」
私とは、理由が少し違ったみたいです。
私は、大切な人が頑張っている姿を見たくて起きてきました。
でも、彼は、大切な人が心配で起きてきたようです。
「最近のご調子、いかがですか?」
私は少し気になって、話を掘り下げてみることにしました。
彼が記憶を取り戻すきっかけをつくったのは、この私なのですから。
「……改まってどうした?
フェリスが見てる通りだよ」
シン様は、私の問いかけの意図をほんのわずかに測ったあと、もっとも無難な答えを選びました。
「レイさんとは、いかがですか?」
私は、少しだけ踏み込んでみることにします。
「レイ?
……ああ、そういうことか。
特に問題はない。レイの行動に封印をかけた神々も、今の俺たちの動きには気づいていないだろう」
その件も、気になってはいました。
封印とは、記憶を失ったシン様に過去のことを伝えてはならないという、神々が施した呪いのことです。
けれど、私が本当に知りたかったのは、そういうことではありません。
私の関心は、シン様とレイさん、あるいはミリアリアさんとの心の距離についてでした。
敵や神々の動向ではなく、シン様の隣にいるおふたりと、どのような関係を築いておられるのか。
そのことが、私は知りたかったのです。
ただ、今の答えには少しだけ、意図的に話題をそらされたような気配がありました。
これ以上問いかけて、空気を重くしてしまうのは避けたほうが良さそうです。
「ミリアリアさん、お強いですね」
私はそう言って、話題を変えることにしました。
押され気味のレオンを見ていて、自然と湧いてきた感想を、そのまま言葉にしたつもりです。
「そうだな。いつも頼りになるよ」
シン様の星空のような瞳には、ダンジョンから脱出して、久しぶりに見上げた夜空のように、どこか柔らかくて、あたたかい光を宿していました。
「……それより、気づいているか?」
シン様が、突然声を落としてそう問いかけてきました。
私は少し戸惑って、何のことですか、と首を傾げます。
すると、彼はさらに声をひそめて言いました。
「この屋敷、監視されてる」
小さな声でしたが、確かな確信を伴っていました。
「昨日の今日だからな。警戒されるのは当然だが、一応伝えておく」
「ありがとうございます」
スタンピード。膨大な数の魔物が一斉に出現する現象です。下手をすれば村や街、ひいては国すらも崩壊させかねない天変地異です。
そして、私たちはそれを、ごく短時間のうちに鎮圧してしまいました。
この屋敷に監視の目が向けられるのは、ある意味では当然のことです。
私も、それについては納得できてしまいました。
「ただ問題は、この監視に“気づいていない”と思わせるべきか、“気づいている”と思わせるべきか……そこなんだが」
「難しいところですね」
他人に侮られていたほうが、かえって動きやすい場面もあります。
けれど、逆に軽んじられることで、余計な警戒や争いを招くこともあるのです。
「今回は、窓のカーテンを閉じて放置しておくことにしよう」
「わかりました。……さすがに、見られるのは恥ずかしいですからね」
特に異論はなく、私はシン様の方針に静かにうなずきました。
「……終わったようだな」
視線の先では、ミリアリアさんがレオンの首元に刃を突きつけていました。どうやら稽古は、彼女の勝利で終わったようです。
「そのようですね。私は、先に部屋へ戻ります」
レオンの稽古を見ていたことは、彼には内緒なのです。
彼は、こういうとき、少し拗ねてしまいますから。
私に負けているところを見られていたと知ったら、きっと機嫌を損ねてしまうでしょう。
「……じゃあ、俺は少し声をかけてから戻るよ」
シン様はそう言って、私とは逆に、静かに物陰から出て行きました。