010-レオンside
「よっ、どうしたんだ?」
俺──レオンは、食後の静かな夜空の下、家の外でぽつんと立っていた吸血鬼に声をかけた。
「貴方こそ、どうしたのよ?」
ミリアリアは肩をすくめて、おどけたように返す。
「悪魔って言ったら、夜だろ?」
俺も、あいつも“闇”の種族だ。
ただ、吸血鬼は俺たち悪魔ほど忌み嫌われてはいない。
「吸血鬼ほどじゃないわよ」
「そりゃそうかもな。
悪魔は“夜”っていうより、“闇”だもんな」
彼女の指摘に、俺はあっさり納得してしまった。
「そうね。吸血鬼は、日中を歩けない種族だから」
「でも、お前は特別なんだろ?」
吸血鬼の事情はよく知らない。けど、彼女が昼間も平然と動き回ってるのは、俺も知ってる。
「ええ」
紅く光る彼女の瞳が、ふわりと夜空を見上げた。
「……そっか。俺たちに、体内時計を合わせてるんだもんな」
ようやく、彼女が一人で外にいた理由がわかった気がした。
本来なら、吸血鬼は昼に眠り、夜に目覚める生き物だ。
ダンジョンを出て初めて迎えた“本来の夜”。彼女は、その空気にただ浸りたかったんだろう。
……まあ、俺も似たようなもんだ。
ニコニコ笑って、適当にやり過ごすなんて、どうにも柄じゃねぇ。
別に、無闇に誰かを傷つけたいってわけじゃないけどさ。
「シンとレイに合わせてるだけよ」
「……そこ、わざわざ訂正する必要あったか?」
どうでもよさそうなことをわざわざ言うから、俺はちょっと変な顔してたと思う。
「ええ。
でないと、私……いろんな人と関わり過ぎちゃうから」
どうやら、本人にとってはちゃんと意味のあることだったらしい。
なんか、めんどくさいことを色々考えてんだな。
「別にいいだろ。関わったって」
駄目な理由がよくわからん。
「そうね」
彼女は、聞いてるんだか聞いてないんだか、気のない声で返してきた。
フェリスと話してる時とは全然違う。
まるで、何の意味もない会話をしてるみたいな感じだ。
……まあ、仕方ないか。
俺も、フェリスも、“シン王”からエヴァルディアの名をもらったけど、所詮は家族でもなんでもねぇしな。
「思うところがあるんなら、シン王やレイに話せばいいだろ」
「あのふたりは関係ないわよ」
月明かりに照らされた彼女の金髪が、風に揺れて柔らかく光った。
「ああ、そうかい」
俺は手元から大鎌と大盾を取り出す。
この大鎌は、俺の中にある“憤怒”の感情が形になったもの。
そして大盾は、“暴食”の感情が具現化したものだ。
俺が外に出てきた理由は単純で、自分の鍛錬のためだ。
俺は騎士だが、シン王には到底及ばねぇ。
正面からぶつかったところで、勝ち目なんてゼロに等しい。
だから、少しでも近づくために、自分に稽古を課している。
そんな俺の横で、ミリアリアはあっさりと地面に寝転がっていた。
稽古の邪魔になるほど近くはないが、正直ちょっと気が散る。
「貴方も真面目よね。悪魔のくせに」
大鎌を振って素振りをしていると、ミリアリアのつまらなさそうな声が背後から届いた。
「……悪いかよ」
低く、小さく、つい漏れた声だった。
「そんなこと言ってないわ。かっこいいと思ってるのよ」
その言葉は、少し意外だった。
「フェリスが好きな理由がわかるわ。対極の種族なのにね」
「そりゃどーも。……あいつには苦労かけてるよ」
悪魔である俺についてくる選択をしたフェリスに、順風満帆な人生なんて与えてやれないのは最初から分かってた。
「いいことじゃない。それも含めてね」
「……そうだな」
かけた苦労、かけられた苦労。
お互いに、どこかで足を引っ張ってる部分もある。
それでも俺は、フェリスが一番なんだ。
「あんな子がいたら、夢中になっちゃうわよね」
「だろ?」
「ええ、本当にそう思うわ」
フェリスは、見た目も中身も天使みたいなやつだ。いや、実際天使だけど。
誰にでも優しくて、怒ることなんて滅多にない。
呆れることはあっても、叱ることはあっても、怒らない。
「フェリスの真似……してみようかしら?」
「やめとけ。
……なんとなくだけどよ、シン王は、ああいうタイプは好みじゃねぇ気がする」
男にしかわからない直感ってやつ。たぶん、そういうのがある。
「えぇ、そうかしら?
私だったら、嬉しいけど……」
「その“私”ってやつに好かれたいなら、それでいいんじゃね?」
そう言いながら、俺はもうひと振り、大鎌を縦から横に振るった。
「ってか、そんなことしなくても、問題なくね?」
つい、本音が漏れた。
ミリアリアの言葉は、どこか悩みにも聞こえたが……シン王に限っては、そんな無理をする必要なんてない気がした。
「……そう見える?」
「俺たちはな、お前とは違って、シンとレイ"だけ"の会話を何度も見てるからさ。
お前が加わってから、アイツらの雰囲気が明るくなったのは確かだ」
シン王には、いわゆる“色欲”みたいな情愛があまり見られない。
そういう話題が嫌いってわけじゃないが、強引に誰かを従わせたいとか、そういう欲は全然感じられない。
女を抱くときって、男には多少なりとも“征服欲”みたいなもんが湧いたりするもんだ。
でも、アイツからはそれが見えない。
……まあ、実際の夜のアイツは知らねえけどな。
でも、俺たち悪魔は、そういう欲には敏感なもんだ。
俺が“感じない”って思ってるってことは、多分、あんまり持ってないんだと思う。
「自分の王様を“アイツ”呼ばわりは、よくないんじゃない?」
「どうせ、気にしねえだろ」
ミリアリアの冷静な指摘に、俺は肩をすくめて返した。
実際、シン王は気にもとめねえだろ。
「レオン。もしよかったら、相手してあげようか?」
唐突に、彼女がそう言ってきた。
「稽古の?」
「それ以外に何があるのよ?」
「……確認しただけだっての」
いちいち癪に障る言い方しやがって。
だけど、実力の話をするなら、ミリアリアは確実に俺より強い。
一見、才能ってやつは残酷だなと思う。
けど違う。ミリアリアと手を合わせると、わかるんだ。
あれは生まれつきの天賦じゃない。長い時間をかけて磨き上げた、技術の重みだ。
多分、封印される前に、相当な修練を積んでたんだろうな。
「ひとりでやるより意味あるしな。
頼んでもいいか?」
俺はミリアリアに尋ねた。
「もちろんよ。
言い出したのは私だから」
彼女は自分の手の甲に牙を突き立てた。
滲んだ血が空中に浮かび上がり、やがて二本の剣へと姿を変える。
「私が攻める形でいいのよね?」
「ああ。俺は騎士だからな」
悪魔が何を守るんだ、と言われれば、それまでの話かもしれない。
けど、俺はそれでも“守る側”でいたいと思ってる。
「──いくわよ」
その声が耳に届くと同時に、彼女の姿はもう俺の真横にあった。
動き出した気配すらつかめなかった。
こういうところなんだよ。才能なんかじゃない。
積み上げた鍛錬の重さってやつだ。
才能だけのやつが、動きの起こりを完全に消すなんて芸当はできるはずがない。
俺は反射的に盾を滑り込ませるように構え、ギリギリで一撃を受け止めた。
「前は、これで倒れてたのにね」
「……うっせえ。言ってろ」
ぐうの音も出ねぇ。事実だから何も言い返せない。
彼女の姿が一瞬、盾の向こうに隠れた。
しゃがんだのかもしれない。そう思った瞬間、足元から足払いが仕掛けられてくる。
俺はとっさに右足を持ち上げて、それを回避した。
盾を持つ相手に対して、その影を使って死角から足を狙う。
そういう発想が自然に出てくる時点で、こいつがどれだけ場数を踏んできたかがよく分かる。
俺は本気で大鎌を振り抜いた。けど、彼女の姿はもうそこにはなかった。
「上よ」
「……っ!?」
俺はミリアリア以外の、この様子を見ている存在に気が付かなかった。