001
「やっと……外に出たな」
俺──シン・エルヴァディアは、ひとつの節目だと思って、感慨のこもった言葉をひとつ吐いた。
封印の穢れを帯びた霊気が、背後でゆっくりと消えていく。
代わりに満ちてくるのは、陽光と喧騒。人の気配。魔力と生活が溶け合ったような、乾いた、そしてどこか焦げくさい匂い。
踏み出した足元の石畳は、使い込まれた感触があった。
通りの奥には屋台らしき構え。香辛料と油と鉄の匂いが交差していて、遠くから何かが焼ける音が聞こえる。
──街のど真ん中に立っていた。
俺たちが封印されていたのは、どうやら、そんな場所の地下だったらしい。
「……ねえ、私たち、めちゃくちゃ注目されてないかしら?」
ミリアリアの声が響いた。相変わらずよく通る声だ。
肩にかかるかかからないかの金髪が、陽を浴びてまばゆく光る。深紅のドレスは動きやすさを重視した実用的な作りだが、それでも存在感は強く、通りの連中は揃って目を見張っていた。まるで、伝説の魔物でも見つけたような顔で。
……まあ、そうなるよな。
「ミリアリアが美人だからでは?」
冷ややかに告げたのはレイルバレル──レイだ。
腰まである黒髪を無造作に下ろし、身体には漆黒のドレス。光を吸い込むような質感で、装飾はほとんどない。それなのにどこか荘厳で、街の景色とまるで馴染まない。
不思議と目を引くのは、たぶん本人の雰囲気のせいだろう。ミリアリアのせいにしようとしているが、残念ながらレイもだいぶ目立っている。
冷たく、美しい。そして、近寄りがたい。
それでも甘やかすとすぐにデレるから、余計に可愛いんだよな。
「レイにそれ言われても嬉しくないんだけど?」
ミリアリアが口を尖らせて言い返すが、レイは無言のまま視線を街の方に移していた。無視ってわけでもないが、軽口に付き合う気はないらしい。
「おい、シン王。このあとはどーすんだ?」
背後から声がした。
レオンだ。でかい体に、臙脂色のシャツを肩まで捲って、黒のズボンというお決まりの格好。いかにも暑苦しいのに、当人はまったく気にしていない。
肩周りの筋肉がばっちり浮いていて、ギャングの門番と評しても納得できてしまうが、こいつは立派な騎士──のはず。
「レオン、シン様のお考えを妨げないでくださいね」
その隣で、銀の髪を揺らしたのがフェリスだ。
神官っぽい灰色の衣を着てるが、どうにも見た目通りの役には収まらないタイプだ。
礼儀正しいし、穏やかだ。けど、妙に空気が重くなる瞬間がある。
彼女はレオンの奥さんで、彼はフェリスの尻に引かれている。
「んなことしてねえよ。……してねえよな?」
フェリスに言われて、自分に自信が無くなったのか、背後から俺の顔を覗き込んできた。
「そういうのは邪魔だ」
実際、物理的に邪魔だった。顔近いんだよ。
「うっわ、ひでえなぁ」
レオンはカラカラと笑った。だがしかし、すぐに顔付きが歴戦のそれへと変わった。
「……囲まれたわね」
ミリアリアは周囲を見回してそう言った。
俺たちは長いダンジョン生活を終えたばかりで、少しテンションが上がって、その出入口でたむろしていたのは認めよう。
気づけば、周囲に殺伐とした気配が満ちていた。
革の鎧が軋む音。槍の穂先がこちらに向いている。
俺たちの周りには、数十人の兵士が──完全に囲まれていた。
「だけど、武器を向けることは無いだろ……」
俺たちはただ、出入口で立って話していただけなのに……
「おいテメェら!
うちの大将に刃を向けるとは、いい度胸じゃねえかっ!!」
レオンが吠えた。真正面から兵士たちに向き直り、まるで戦場に立つ近衛騎士のように声を張った。
……まあ、王って言っても俺はとっくに没落したし、レオンも“騎士らしく”はない。
言葉遣いは荒いし、態度はデカいし、端的に言えば──口が悪い。普通の近衛騎士はうちの大将とか言わないしなぁ。
だけど、迫力だけは本物だった。
彼の咆哮が響いた次の瞬間──
兵士たちの中には、その場で崩れ落ちる者もいれば、立ったまま白目を剥いて気絶する者までいた。
それを見ていた住民たちが、案の定パニックに陥った。
逃げる者、叫ぶ者、泣き出す子ども。阿鼻叫喚だった。
「……レオン、馬鹿なのですか?」
レイは冷静に指摘する。
「騎士の役割を果たしただけだろ?」
すると、レオンは開き直ったように言う。
「騒ぎを大きくしてどうすんのよ……このバカ悪魔」
ミリアリアは頭を抱えていた。
「うちのレオンがすみません……」
フェリスは申し訳なさそうに目を伏せ、小さく頭を下げた。
──でもまあ、
「いや、ちょうど良かったよ。これで周囲の人間も散ったしな」
人々の奇異の視線を浴び続けるよりは、ずっといい。それが消えたのなら、レオンの行動もそこまで悪いものでもない。
「確かにそうね。これなら人目を気にせずにシンとイチャつけるし……」
ミリアリアが紅いドレス越しに、その豊満な身体を俺の腕に押し付けてきた。
柔らかな感触が感じられて、何とも言えない気持ちになる。
わかっててやってるのが、タチが悪いんだよなぁ。
「人目が無くても、外では止めてください」
すると、その様子を見たレイは、少しむっとした表情をして、ミリアリアを止めるために彼女の身体に手を伸ばした。
ミリアリアに密かに嫉妬してるのがわかった。レイは普段からとても冷静だが、こういう所は本当に可愛い部分だ。
身体が細く、少し儚げに幼く見えるから、余計に可愛いわけで……
「レイにもくっつくわよ?」
ミリアリアは好きな人にはボディタッチが多い。つまり、彼女はレイに対しても好感度が高い。
「……ちょっ」
レイは、俺と同様に、ミリアリアに豊満な身体を押し付けられていた。
全力で抵抗していないところを見ると、本気で嫌がっているわけではないのだろう。
レイとの付き合いは、封印される前から続いている。
ミリアリアとの付き合いは、ダンジョンで出会ってからで、実はあまり長くない。
だがしかし、こういう様子を見ると、やはり、ミリアリアはいい女だと思う。
過去の立場上、複数の相手を娶る者を幾度となく見てきたが、この手の状況は基本的に雰囲気が最悪になる。空気がギスギスして胃が痛むケースがほとんどだ。
それが無いのは、ひとえに彼女のおかげだろう。
「姦しいですね」
「両手に花だなぁ……」
俺たちの様子を見て、フェリスとレオンが口々に言った。
今は、ミリアリアが俺とレイを抱き寄せるような、そんな状態になっている。
「俺より、ミリアリアが……だよな」
俺は愛情表現が、ミリアリアほど積極的ではないから、彼女の強い愛情表現を受けると、俺じゃなくて彼女が中心人物に見えるだろう。
ミリアリアのそういう積極的なところが、俺は特に好きだから、そう見えてしまっても一向に構わない。
──そんなことを考えていた矢先、
「ほら、御三方。客のお出ましだぜ?」
レオンが、俺たちのじゃれ合いを断ち切るように、ダンジョンの出入口から街を指して言った。
その視線を辿ると──そこにいたのは、先ほどの雑兵とは明らかに格の違う人物だった。
馬にまたがった女だ。白銀の鎧に紋章入りのマントを羽織り、髪はきっちりと編み上げられている。
立ち居振る舞いに隙がなく、ただそこにいるだけで場を支配してしまうような、そんな雰囲気を纏っていた。
一目でわかる。貴族──しかも、それなりの地位にある。
彼女は、静かに馬から降りた。
……だが、周囲に護衛の姿はない。
俺たちみたいな得体の知れない連中を前にして、たった一人で現れるなんて──
没落した王の言うことじゃないかもしれないが……
正気か?