197話
静がかっと、目を開く。
「如何されたでありんすか……しずさま」
雰囲気ぐ突如として変わる静に声をかける。
「いかん……清の中で……ぼ、暴走しはじめとる……『慈慈』の徳が……」
胸を押さえ、踞る静。息が荒い……
「これは……うぐっっ……あぁぁぁ……がはっ……」
静は吐血し、口から血を吐く。唇から滴る血……。
「花化従……まずい、清が……これでは本懐成する道のりが無駄になる……」
「しかし……」
戸惑う花化従。
「清の元に参るぞ……何をしておった、あの御目付役どもは……花雫はおるか? われを清の元に導け……」
雫がぽたりぽたりと落ちてくる。雫は徐々に強くなり、人の形を成し、青い髪を揺らめかしながら花雫が現れる。
「御意……」
「何が起きた? 何が……」
静は冷静さを欠きながら、想いを巡らせた。
黒く染まった花匣に収められた徳。その預かりし花霊々は無惨にも変わり果てた。そこにあるものは……
──『偽』、『偏』、『傲』、『惑』、『妄』、『怨』、『拒』『執』、『罰』、『哀』、『怯』──
今まで徳に反する負の徳が清を支配していた。そして……
「思い出した……あゝ、思い出したぞ…我は憎悪の象徴、姉上により舞を絶たれ、久遠を彷徨う半死の身……呪われし屍……。半死なるがゆえ、生きることも死することも許されず……ただ、夜の淵を漂うばかりの儚き影……。人とも言えず、鬼とも呼べず……生も死もないこの身……あゝ……何ゆえ我を留め置いた、姉上よ……。この胸の奥底、煮え立つ怨嗟……それでもなお、死へと焦がれるこの思い……いと妖しき、艶なる恨みよ……」
清の立ち尽くす姿、生者とは言えず。禍々しさが空気を淀ませる。
「如何した清よ……それに半死とは……なんぞ?」
あまりの変わりように冷静ではいられなくなる熙剣。熙剣に冷たい視線を這わせる清。それはまるで蛇がゆっくりと音も立てず近づくが如く。
「熙剣殿……そちは、われをおなごとして見るか……? この身を……抱きたく思うか……? ──あゝ……触れれば、朧の怨嗟の如く、醜く溶けゆくやもしれぬ……それでもなお、そちの手は……われを抱かれたくあるか……?」
冷たい視線の目は光を失う。
「ほうら……抱いてもかまわぬぞ……」
パサリッ──
白襦袢がはらりと落ちる。
一糸纏わぬ裸の身を熙剣に晒す。指を唇に咥え、艶やかな表情で熙剣を惑わす。
「ほうら……われの身体は美しいか? この身体に残る無惨な傷痕……」
そこにある傷痕の生々しさ。今にも血飛沫が舞いそうな赤みを帯びた傷痕。乳房の形はあれど傷痕が覆い、それは欲情するにはあまりにも醜いほど。目を背けたくなる深き赤さ、そして心の臓を抉るような傷痕は生きている者とは到底思わせない。
「そうだ……この全身をおおう傷痕は我、半死を自覚して、絶望し、死を望み、崖より身を投げその時に尖りし岩に穿たれた傷。それでも死ねずこの残りし傷。それに深く心の臓に続く傷は御敵、姉、静に刺され貫かれた傷……ほうら……これでも抱けるものなら抱けばよい……熙剣殿……これでもおなごとしてと詞をかけてくれるか……」
そう言い残すと涙が頬を伝い、ふっと生を切らしたように清は意識を喪い、がくんとその場に倒れこんだ。