172話
「また、あやつは……」
苦悶の表情を浮かべ胸を抑え、月灯りが仄かに照らす岸壁に立ち海を眺める。灯りに照らされ、揺らぐ波がきらきらと光る。さざ、さざと静かな波の音が聞こえる。空を見上げれば満天星がひらひらざわめく。すべての音が導くような聲そのもの。
「静さま……またでありんすか? ほんに手間のかかる妹君で……」
花化従が後ろから囁くように声をかける。
「……それがし、今ある奴の宿命。痛み感じず、死を求むること仕方なし」
静は俯く。
「けれども、それがため、静さまは……」
花化従は憐れみの声をかけようとすると、静はかぶせ気味に花化従を一喝する。
「言うな……我はゆらめかず……」
静の芯の通った目に花化従はおののく。
「出過ぎた発言、赦してありんす。まこと静さまの心意気、感服いたすでありんす」
静は独り言のように呟く。
「我が本懐……人はみな嗤うだろうか? ただ一人のために成し遂げるこの本懐を愚かだと嘆くだろうか……?」
「そのようなことは無きかと。花神威ノ命さまさえ、沈黙お約束戴きましたゆえに……」
「花神威ノ命さまはただ憐れみの情……それは馬鹿げたおなごの戯れを憐れみみただけなり……」
静はそれ以上は語らなかった。
「わちは静さまの本懐に付き添うまででありんす」
花化粧は優しく笑う。
「花識よ、おるか?」
「はい、ここに……」
闇より現れし花識は膝をつく。
「しっかと、「真綴」書き記しておるか?」
「はい、余すこと無く……」
「そうか……」
静は、今一度、煌めく海を見る。
ザパァーン──
波が岸壁に砕ける、波飛沫が飛び散る。
「あと、四人の痣を持つ者の元へ……『勇』、『和、『敬』、そして『愛』の徳を持つ者たちが待っておる。いや、正確にはあと三人……もう、刻はあとわずか……」
静は左手の甲を眺め、左手に、さらし布を強く巻き、ぎゅっと締める。
「これをまだ晒すわけにはいかぬ……そして……」
右手の甲を掲げる。
「こちらにも浮かび上がる……」
静の右手から微かな香りがする。
「刻が満ちることを告げるか……花紋様の痣よ……」
月灯りに照らされた静の右手。そこにはぼんやりと花紋様の痣が浮きはじめていた。
「花化従、急ぐぞ……『勇』の徳を持つ童子の元へ」
「御意でありんす……」
静のは振り向き進む。踏みしめる足元はかさ、かさと草木が揺れた。
ザパァーン──
さらに波が岸壁に砕けた。そして、また静かに波を、さざ、さざと、また満天星はひら、ひらと、聲を響かせた。