166話
月明かり、射し込む頼りに、神座は本堂で祈りを捧げている。清の言葉に救われて以来、日を重ねるごとに表情は凛とし、立ち振舞い『畏』の徳が磨かれる。しかし、それに呼応するかの如く、花紋様の痣はその日以降、輝きが徐々に喪われ枯葉色に変色していく。
祈りを終え立ち上がるとそこに一人の花護人が立っていた。
「神座さま……少々、お話よろしいか?」
「そなたは花護人……花誓殿?」
神座と同じく、巫女装束、花冠をかぶる花誓が姿を現していた。
「これはそれがしの意思でここにおります。それにしても懐かしゅうございます。天器ノ匣社も花祓ノ滝も何もかも……」
「懐かしゅう……ですか?」
「はい、それがしも神の器の役目を全うし、現神座さまより遠い昔、初代神座としてこの場に祈りを捧げた巫女でございましたから……」
「初代神座?」
「はい……神の器なる素質を持ちたる者は一族の中でも特に孤独に苛まれます。その孤独、痛いほどわかります。だからこそ、知って頂きたいことがございます」
花誓は三つ指をつき、平に頭を下げ、願いを告げる。
「花神威ノ命さま、おいでならば、今一度……」
神座の動きが止まる。場の雰囲気が一変する。刻が捻れ喪われた威厳が天器ノ匣社に宿る。
優しさを帯びていた眼差しが、一瞬にして氷のような無慈悲さを帯びた。
「どうした? 花誓、なに用ぞ」
神の器である神座に花神威ノ命が乗り移る。
「はい、先だって花神威ノ命さまの問いにお答えにあがり参上おたしました。花仕舞師、御目付け役である我が報告でございます。しからば、これよりは何卒赦しを頂きたく存じ……そして神座さまの意識も残したまま聞いて頂きたい所存」
「よかろう……話してみよ」
花誓はしんしんと話を告げる。それは二人の姉妹の真実。それを聞く神座は自身と重ねる。
「ここまでの本懐に……我が身を委ねることが、果たして許されましょうか……それは……あまりにも……酷き真実にございます……」
言葉を失う。花神威ノ命は静かに黙ったまま聞いている。
「……ございます。何卒、温情賜りたく……」
「すべてはそのためにか……」
花神威ノ命は厳かに一言、言葉を発する。
「ならば、今一度、口出さずに頂きたい。はじまりは清さまの言葉より生まれし、本懐にて候」
花誓は御目付の役を全うする。
「なぜ、汝はその静の本懐を知っておる? 汝は今、清の従者だろうに……」
「我、花仕舞師の御お目付け役、報告の儀役目を果たしたまで……しかしながら、それ以上は何卒勘弁賜りたい。花誓、初代神座の名にかけて……何卒」
「あい、わかった……花誓。御目付役にして、その今の立場顧みず、役目果たす義理、まことに心震わす。ならば我は静の本懐のため、潔し道具になろうぞ。それと神座よ、花誓の詞、心の内に仕舞い込め……」
「かしこまりました。軽々しく口にすること、畏れ多きにございます。ならば、それがしの花紋様に彩られし命、礎になる覚悟いとわず」
「有り難きお言葉……げに感謝奉りまする」
神座は壮絶な清の立場、静の本懐に言葉を喪い、ただ一筋、祈りにも似た孤独を抱いた。