156話
「すべて忍びながらも愛を貫いた紅花殿と夜月殿の想ひを胸に……届け──花文!」
清が緋月夜桜に花文を届ける。緋月夜桜の心に花文が届き、清に『忍』の徳が返ってくる。
「これで、緋美殿も……徳、九つ目……残り五つ……」
清は安堵しながらも静の異変に気付いていた。
──なぜに姉さまは動揺した……あれほど舞に関しては完璧に舞う姉さまが……──
舞台上、静まり返る。そっと緋月夜桜は左手を掲げた。その指先一本一本が気高く美しく染まる。やがて姿が幻の如く消えていく。
その消え行くさまに見物衆……涙を浮かべる。
「なんと……壮美な終幕、なんと美しき……秋姫の最期……」
静かな舞台に咲き散った荘厳な緋月夜桜に歓声割れんばかり。嵐の如く熱気、舞い上がる。それは千種座の外にまで響き渡り、風が舞え枝葉に残るすべての桜の花弁を撒き散らした。
幕がすべてを終わらせたかのように、すっと閉まる。それでも鳴り止まない歓声と拍手。
紅花はただ、緋月夜桜が消え去った場を見つめている。
「聞こえるか……緋美……この歓声、拍手は緋美がためのもの。このようなうねり、我、生涯一度もない……それゆえ、忘れることはできず……この十年。共に生きた人生、わが誇りの終幕じゃ……」
紅花は膝をつき、嗚咽を出し泣き叫んだ──。
「緋美ぃぃ……!」
清は振り返らず、根音と根子に声をかけた。
「最期の最期まで、幕閉まり、見物衆いなくとも秋姫、つまり秋架殿を演じきった……緋月夜桜殿……まったく見事な芝居なり。ゆくぞ……父を演じ、母を演じた忍びの男の涙は見るものではない……」
根音は見つめたまま。
「ほら、根音、ほんとマセガキ! でも今は少しだけ黙っててあげる」
「何を、跳ねっ返り……!」
根音と根子の会話を聞きながら、微笑み、ゆっくりと紅花と緋美の二人を残し、消えていった。
そして、千種座を後にする静。夕日に染まる空はもの悲しげに映る。そこには自らの弱さを否定する静がいた。
「なぜに我は、惑った。我は……本懐成し遂げるため、すべてを捨てた。それなのに……笑え! 花化従……主として恥ずべき姿を見せた我を……」
「笑うでありんす……静さま……しかし、それは……ほんに、それがための本懐……静さまは、いかなることがあろうとも花仕舞師……花仕舞師は笑うが花でござりんす……」
花化従なりの思いやりの言葉。
「背を向けろ! 花化従……」
「御意……」
花化従はただ短く返事をし、背を向け何も見なかった、何も聞かなかったことにする。
夕日に照らされる夕日の緋色に静の目元は光を帯びて流れた。
──第九章 終幕──