147話
紅花が千種座に戻るとひとり稽古に励む緋美がいる。そこには数刻前の緋美とは似ても似つかぬ様。妖艶増した緋美。その姿に魅入られる己がいたことがわかる。
──人の感情とはここまで演者を変えてしまうのか。改めて人の感情とは芝居の本質ぞ──
紅花は、それが今の緋美を動かす力、そして芸の本質と思い背を向けた。
──今は台帳を清殿に見せることが先決なり──
台帳を楽屋から拝借すると清の元に戻る紅花。
「これが台帳にござる」
「げに申し訳ござらん、紅花殿……」
清が表紙を見ると『綴り人 花識』の文字に目がいく。
「『花識』……確かこれは……いつか『忠』の徳、現路殿に会いにいく際、花傀儡の花化従と一緒にいた人物と同じ名……やはり姉さまがなんらかの仕掛けを……」
憎悪が心の中で渦巻く。
──姉さまは何がしたいのだ? 緋美殿に『罰』の心を持たせ……──
心の内思いながら綴られた台帳を静かに捲る。それを見守る紅花。清が読み終える。
フウッ……
清は深く息をついた。
「やはり……この物語は秋架殿と『信』の物語……酷似している、いやあの時のさま、そのもの……」
「あの時とは……?」
清の呟きに咄嗟に言葉を挟む紅花。
「紅花殿……この台帳……すべて事実……そしてこの台帳に出てくる端女の姫、秋姫とは秋架殿、つまり紅花殿が温情賜った鷹司弓定さまのご子息、現、東洲ノ国領主、文綱さまの娘のことでございます……」
「なんと……あの鷹司家の……姫……」
紅花は驚きが隠せなかった。
「そして……この台帳に出てくる花仕舞師……それは……手前のことでございます……」
「そなたなこととな……」
すべてが繋がっていく縁。
「ならば……緋美殿は誤った感情で秋姫を演じていることになる……秋姫、つまり秋架殿はあの様な心の持ち主では断じてない。あの方は『信』を貫かれた慈悲深きお方……いかなる困難あろうとも、契りなど結ばなくとも信じぬき、どこまでも深く深く……海のように広い心を持たれていた。ならば緋美殿、その心で演じなければ秋架殿の恥ともなる……だからこそ、もっと知って頂きたい紅花殿も……届け──花文!」
清は紅花に花文を使い秋架の『信』を紅花に届ける。
「これは凄まじきほどの『信』なり。このようなお人とは……」
紅花は秋架のまことの心を知る。
「そして……この想ひを緋美殿に届けるのは……母親である紅花殿の役目でございます……できられますか?」
清は問う。紅花は決意する。
「できる、できないではなき。やらねばならぬ。緋美の父として……母として……」