144話
「そなた……身隠の琥太郎殿に間違いないな……」
軍勢の中から声がする。
「その声は……笹虎!」
琥太郎が密命を与えられ、御首頂戴つかまらなければならない相手。
「さすが見隠の琥太郎殿、我が殿が震え上がるのもよくわかる腕前ぞ。しかしながらやはり闇に生きる者は闇なければ翼なき鷹」
皮肉めいた笑いが止まらない。夜月を庇うように立ち塞がる琥太郎。
──この状況、いささか不利。しかしながら、我の身を犠牲にしてでも夜月は緋美の元に帰さねば……──
琥太郎は振り返ろうとする。
「夜月……ぐっ!」
背中から痛みが広がる。まるで何かを突き立てられたように……。
流れ出てくるものを感じる。黒装束から染みでるものが何かわからずにいた。
振り返るとそこに血を滴らせた忍刀を携えた夜月が立っていた。
「何を……夜月……」
そこに映る目は輝きをなくした夜月の姿。
「哀れなりな……琥太郎殿。最も信頼する者に抉られるとはいかがか? 我らがそちらの行動を把握できたのはすべて夜月のおかげ。まこと悔しいのぉ……琥太郎殿……」
笹虎の勝ち誇る笑いが薄らぐ意識の中、木霊する。
「ど、どういうことだ……?」
意識を強く持ちながら誰にも背を預けることができない状況に絶望しながら、ただひとつの疑念に膝を折るのを食い止める。
「なぜ、裏切った──夜月! 緋美はどうする? 最愛の愛娘は──」
脳裏に浮かぶは緋美を抱き、あやし、母なる笑みを浮かべる夜月。しかし、そこにあるは琥太郎の悲痛の叫びにさえ答えず、ただ冷たい視線を投げたままの夜月だった。
「なに、夜月はこちらの間者……端くれ者よりも、中核なす者が間者とは、なかなか使い勝手が良い、それだけのことよ……」
笹虎の言葉が琥太郎に突き刺さる。思い出された母なる夜月の顔がどろどろに溶けていく。
──夜月が間者……まことのことなのか……?──
意識を遠退かせながら痛みに堪える琥太郎。そして耳をさらに疑う言葉が琥太郎を襲う。
「さて、夜月……貴様の役目も終わり。我らが主の御敵、琥太郎もこのさま。後は切り刻み首を持ち帰れば我の手柄。つまり、お前はもう用済みじゃ」
笹虎は采配を掲げる。一斉に弓を構える兵。
「みなのもの、あの二人に矢を放て──」
振り下ろされる采配。弓を構えた兵たちはその号令に合わせ矢を放つ。飛び交う矢じりの群れはまるで針山が向かってくる様。すべてが終える時が琥太郎の瞳孔に映る。
「無念──許せ、緋美……夜月をお前の元に送り届けられず……」
ドスドスドスッ──
何本もの矢じりが肉に突き刺さる音が聞こえた。