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花仕舞師  作者: RISING SUN
第九章──忍(しのび)の想い、秘めし愛の守り手
131/252

131話

 京の西の外れ、河川のほとりに、人々の噂になっていた芝居小屋はあった。その名は『千種座(ちぐさざ)』。

 木造の建物は決して華美ではないが、どこか威厳があり、通りを歩く者もつい足を止めて見上げるほど。

 大きな一枚板の看板には、堂々と『千種座』と金文字が彫られていて、夕暮れ時になると軒先に吊るされた提灯が次々に灯される。赤と白の幕が風に揺れ、芝居の始まりを知らせる合図のようだった。

 提灯の明かりが街道を照らす頃には、近くの町から人々が続々と集まってくる。

 草履の音が調子が踊るように道に響き、屋台の売り子たちの声も重なって、小屋の前はちょっとしたお祭り騒ぎになる。

 中に入れば、舞台の前には所狭しと客が詰めかけ、開演を今か今かと待っている。

 そしてその舞台裏では──


 幕の陰で衣装を整える役者たちが、静かに深呼吸を繰り返している。女形の紅花(くれないばな)は、薄く白粉(おしろい)をはたき、唇に紅をひきながら、松明(たいまつ)の前で最後の身支度を整える。

その後ろでは、若手の役者が台詞を小声で確認し、裏方が手際よく道具を運んでいく。

「母上、ほんに美しゅうございます」

 紅花の娘、緋美(ひみ)が声をかける。

「緋美よ……よう舞台袖より母の演舞見届けて励みなさい」

 本来、紅花は女方(おがた)の演者。男である。しかし、ひとたび白粉を塗り、紅を引き振袖を纏えば、仕草まで女と見間違うばかり。また演舞に集中するため、己の心を研ぎ澄まし、女として生き、娘にさえ「母上」と呼ばせた。

 誰もが一分一秒を惜しむように集中し、気配すら舞台の一部のように静かだった。

 開演の太鼓が響き、舞台に出る者が花道へと向かう。

その瞬間──舞台裏は、誰の鼓動よりも高鳴っている。真打ちである紅花は悠々と花道を闊歩する。


 その夜の出し物は『花死奇談』。死を招く使者、死仕舞師(ししまいし)が腐れたる痣が浮き出た者に死に導く。しかし、それに反した者が抗い果てまで逃げるが、最期、花死として永遠にさ迷う悲劇を題材にしたものだ。


 鼓の音が響いて、笛がゆらゆらと鳴り、(あか)し火が揺れる中──


 一人の役者が、すっと舞台に現れる。火焚(ひた)き係が松明を赤々と灯す。


白粉をうっすらとまとって、細い眉に、紅を差した唇。

漆黒の着物をひるがえしながら、歩くたびにほのかに香が立つ。

 それを見た観客の誰もが、思わず息を呑む。


「……あの人、まるで幽世(かくりよ)の姫のようだ……」


それが、千種座の看板役者にして、女方おやまの名手、紅花。彼が目を伏せ、袖を揺らしながら、静かに、こう呟く。


「──花死の舞に候……」


 そのひと言と同時に紅花は優雅に舞を披露し、圧巻の演舞をみせる。観客の胸は締めつけられ、死と哀しみが、まるでそこに生きてるように感じられた。そして、舞が進む中──

 逃げ出した仕舞われ役が、まるで霞のようにすぅっと倒れ甦る。紅花の死仕舞師は、涙をひとすじ流して、そっと手を差し出した。


「──願わくば花死にしとうなかった……」


 その細くて儚い声で松明の火が消える。舞台の灯りが消えた中、観客は誰ひとり言葉を発せず、提灯の灯りまで、ぴたりと動きを止めた。

 幕が降り、芝居が終わっても、誰も帰ろうとせず、余韻に包まれたまま、あちらこちらでささやき声が聞こえてきた。


「……また夢で、紅花の死仕舞師に逢いとうございます……」

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