13話
さらに雨が強くなっていく。一つ目の蕾が開くと仇花枝の弐、花雫が姿を現す。
「緋蕾の舞──」
雨粒のように静かに滴る薄く透明な涙雫の衣を纏い、まるで降り注ぐ雨を掬い上げるような舞。それはお雪の胸に留まる後悔や涙にならなかった感情を静かに掬いあげるように、しとしとと舞う。舞は儚く繊細で見る者の心にじわりと滲むような哀切を残す。内に押し込めた感情を涙として解放し、再び立ち上がる余白を与える舞い。舞が終りを告げると二つ目の漆黒の蕾がゆっくりと咲く。そこから妖しげな影が飛び出した。
「絡牡丹の舞──」
ぬるりと、舞いながら影はお雪の骸の影に寄り添う。それは黒い衣に見えるが光にあたると青く光る蒼鱗の衣を纏った仇花枝参、花徒影。お雪の背後に寄り添い影の中から弱さや罪を映し出すように舞う。誘い出すような静かな舞で記憶の奥底に潜り込み、人としてあるべき欲を身体に纏わせる舞──。花徒影の舞が終りを迎えた時、お雪の指先がかすかに震えた。まるで、忘れたはずの何かが、身体の奥底から滲み出てくるようにカタカタと動く。
やがて三つ目の蕾が花咲く。
「逆松葉の舞──」
花が逆さに咲いた姿を模したような装束、喪色の衣を纏う。美しさの裏に歪みを抱え、真実の否定、拒絶を象徴する仇花枝肆、反花。正しき舞をわざと崩すような型でお雪の心根を挑発。顔を見せることなく背を向け舞う。徳に対し負の感情を爆発させ背徳に従わせる舞いが、お雪の徳を蝕むが如く。
「もう、やめなされ……」
清が手を伸ばす。
「いけませぬ、清さま! 仇花とはいえ、一度始めた舞を止めるは、禁忌にてござりまする。それを破れば、お雪婆さまは『半死』となりまする!」
根音が清を止める。
ドクンッ──
過去のあやふやな記憶がまた漆黒の闇が清を襲う……。
「これは……この感覚は……」
清の意識は遠退く。面を被る静は清の姿を見ながら囁く。
「黙しておれ──!」
静が、一喝し、ふっと笑うと次の蕾が花咲く。漆黒の闇が、一気に炎に包まれる。
「朽柳の舞──」
そこには化焔の衣を羽織った仇花枝伍、花焔。舞台を焦がすように激しく舞う。破壊と情念の象徴。お雪の剥き出しにされた欲や未練が激しく燃える。強く燃え飛び火する。
「嗚呼──お雪さまの徳が燃え尽きる……」
清は項垂れる。力なき己を恨む。
やがて炎はゆっくりと勢いを失う。その舞の果てには、燃え尽きた静けさが広がっていた。そこに残ったものは、お雪の生への執着が剥き出しにされた心。
「黒菊の舞──」
残された蕾から仇花陸、花墨が水墨模様の無明幽墨織を纏い、滲んだ姿で佇んでいる。お雪の過去の罪や傷を墨のように塗り込め、姿を曇らせるが如く舞う。お雪の叶えたかった欲や未練を晴らしたいという願いを代弁する存在。欲を持たせたまま情燃させ、命を散らせる舞。舞が終わると一瞬、お雪の目が見開いた。そこには死への恐れではなく、ただ一つの衝動が渦巻いていた。それは最後の欲や未練が戻った姿。そして花化従が寄り添い、目を見開いたお雪を抱きかかえた。
花化従は自らの面を外す。そこに表れた妖艶な素顔。見るものを虜にするほど美しく魅入られる。
「嗚呼──」
お雪は花化従の顔に手を伸ばす。
「さぁ……お逝きなさい……未練に抗うことなく……」
そして、そっとお雪の顔に面をかぶせる。その刹那、お雪の口元が微笑んだように見え、お雪の身体は消滅しはじめる。
静が再び舞い出す。まるでこの世の未練や欲を表すように──。やがて静は終幕の言葉、花尽を唱える。
──さらば、真実よ。偽りの花が、そっとひとひら、咲き誇るのみ──
「此にて、花尽──」
仇花灯ノ籠ノ番人左手が持つ線香花火の玉が静かに落ちる。地面に触れると目映く一瞬光り、すぐさま闇すべてを包み込むように広がり、花傀儡は花化従を残し闇の中、静かに消えていった。
お雪は消滅した。清の指先が無意識に震える。何かが失われたのではない。何かが決定的に歪められたのだ。そう、何もできなかった清の目の前で……。