119話
「零闇殿とっ! ちょいと失礼します。宗光殿……今回は諦められい……しかし、今日は客人が多いこと。もう久方、こんなことはなかったのに。不思議ですな」
コホンッ──
咳をし、宗光を残し、玄関口にそろりそろりと出向く伝八。玄関に立つ女を見て、すぐに朝方来た女の言葉を思い出す。
──花仕舞師という言葉をまた聞くことになると思います……ただその者、うつけ者ゆえ、伝八殿を惑わすでしょう……静かに余生を送りたいと願うならば耳をふさぐことです──
「うつけ者とはそなたのことかな?」
唐突に伝八は試すように声を出した。
「うつけ者? 今度はうつけでございますか? ほんに不躾な姉さまが伝八殿の元を訪れたのでしょう。 名を宿静。私の姉でこざいますが……」
「これはこれは失礼申しあげた。お主の姉君であったか……そしてもうひとつ、そなたも花仕舞師か?」
「そうです」
「ならば、そなたもこの左手の甲に痣が見えるのか?」
伝八は左手の甲を清に見せる。
「確かに花紋様の痣が見えます。まことに申し上げ、心苦しいですが……」
伝八は清の言葉を遮った。
「もうじき死ぬのだろう? この儂は……そしてそれを仕舞いにきたか? それは今か……?」
「まだ色づきが始まったばかり。まだのようです……本日、手前は礼尊寺と零闇殿の件でお伺いしました」
「なんとまぁ……あの張りぼて寺についてか……ただの木の箱寺……」
静に『木の箱』と揶揄され、自虐的に嗤う伝八。
「おやめください。伝八殿! 姉、静に何を言われたかわかりませぬが、それは零闇殿への侮辱でございまする。そして、己自身の誉れを陥れ何の得になりまするか?」
清は強く心から言葉を練りだした。清の中の『礼』の徳が騒ぎ出す。
「別に零闇殿を侮辱したわけではない。逆に心苦しく思うとる。あの寺は崩壊したのだろう? 守るべき器があっけに崩壊したと聞いておる。それではだめだ。『人を守る器』はいかなる時も頑なに守らねばならぬ。それが崩れた。何が『比類なき妙作の至り』だ。だからこそ、木の箱寺なのだ」
清は冷静に笑う。
「ほんに堅物なお考えですな。手前はその崩れ落ちそうな本堂で零闇殿と対峙し申した。零闇殿は手前に申された。「『いずれ倒壊するやもしれぬこの本堂。しかし、この本堂こそ手前の心。この心と共にした本堂にお誘いすることなく、手前は客人としてこのように立ち話をするわけにはいかないと感じております。それが手前の考える『礼』と考えておりますが……いかがか? 手前の最たる『礼』を受けられるか?』と。手前はその本堂で零闇殿と命の対峙をし申した。心と共にするとは、それこそ『人を守る器』ではございませぬか。『人を守る器』とは何も命を守るだけではないと手前は捉えます。心を守ることも、伝八殿の匠ではございませぬか?」