118話
二人の男が対峙する。張り詰めた糸が空気までも引っ張っていく。まるで止まったようだ。
「しからば伝八殿にこの匠をお願いしたいのだ」
「話を頂けることは嬉しいが、見ての通り儂は身体がままならぬ。無理だ」
コホンッ……
伝八は軽く咳をする。
宗光はそれでも引き下がらなかった。兵之助とな約束もある。それにか「幸吉の名において」た口に出したのだ。ならば、おずおずと引き下がるわけにもいかなかった。しかし、伝八を頷かせるには針の穴に糸を通すようなものだ。暑くはない。しかし、宗光の額には汗が滲んでいる。宗光は懐に手をいれ、ある書状を伝八に差し出した。
「これを……依頼主からの想いが込められた文でございます。一度、こちらの書状、何卒ご覧じくださりたく存じます」
伝八は差し出された文を手に取りまじまじと見た。
「これは……」
──伝八殿 机下 祈筆にて候──
「重々しき筆跡……これは……」
ゆっくりと蛇腹に折られた文に目を通す伝八。さらに糸は張り詰める。幾重にも編み込まれた糸はぷつり、ぷつりと切れ、それでもなんとか芯なる糸が辛うじてその空気を繋ぎ止めている。
時間だけが過ぎていく。
ゆっくりと、文を読み終え閉じる。もういちどまじまじと文を見ながら裏を返す。
──風月同天──
すっと息をつく伝八。天井を見つめた。そこから見えぬ空を眺めた。いや、あの頃の若かりしころに眺めた空を見ていた。
「『風月同天』か……あいわかった。宗光殿とやら……しかしながらこの話はなかったことにしてくれぬか……」
「なぜに……納得のいくお答えを頂きたい。なぜゆえに拒まれる?」
宗光は問い詰める。
「そう、怖い顔をしなさるな。この幸吉とやらの想い、十分に伝わった。そして多分、儂に依頼しておるお館さまとやらの想いも……たいそう恐れ入るほどの想い……」
伝八は唇を噛んだ。
「なら……その想いを汲み取って頂けるなら……」
ゴホッ、ゴホッ……
先ほどよりは強く咳をする。
「若き日の儂ならば良い返事を返しただろう。じゃが、無理だ。この身体……やはり言うことがきかん。それに……この筆跡……いくら時が経とうが忘れることはない……『風月同天』、たとえ離れた場所にいても、同じ空の下にいても、感じていたものは違うのだ。共感していたものは最早ないのだ。それを背いた儂に、『執』に生きた儂に資格はないのだ。……もう、帰れ……宗光とやら…」
心が折れかける。兵之助と幸吉の想いが消えかける。その時、玄関口から声がする。
「伝八殿はおられるか……? 宿清と申します。此度、零闇殿の名において参上つか奉りました。何卒お目通りを……」