117話
「兵之助殿、先ほどは脆い契、軽いなど……お二人に対しての侮辱、いかに頭を下げようと赦されるものではございませぬ。ただ知って頂きたかった。兵之助殿と伝八殿の契はやり直せます。お互いの信念は頭の下がる思いでございます。しかし、そこにある『執』はお互いの『悌』でいとも容易く打ち消せる。幸吉殿の本懐、成し遂げるは兵之助殿の心得次第。手前は兵之助殿であれば乗り越えられると信じております」
畳に額をこすりつけたまま静かに口にする。
「この畳にさえ、伝八殿の想いが伝わります。そのような二人ならば契りは久遠になるべきと思うております」
清の詞を重く受け止める他、何も想うことは出来ずにいた兵之助だった。
「それと零闇殿が亡くなる際、礼尊寺は跡形もなく崩れ去りました」
「なんと? 零闇殿が亡くなった? 礼尊寺が崩れ去った?」
突然の言葉にさらに言葉を喪う兵之助。
「はい……零闇殿と共に……あの礼尊寺は零闇殿と共に生きていたのでしょう。まるで役目を果たしたかのように……」
沈黙が流れ込み、冷たい風が吹き込んできたような気がした。いつもであれば障子越しに聞こえる風や小鳥の囀ずる音でさえざわつきを覚える。清が唇を動かす。その唇は艶やかであり、そして温かくも冷たくも感じる。
「人は伝八殿が建立した礼尊寺が崩れ去ったことに、なんと脆い本堂を建てたかと愚弄するでしょう。しかし、手前の考えは違います。零闇殿と共に生き、共に死んでいく。つまり零闇殿の魂が乗り移ったかのような本堂……手前は零闇殿が亡くなる瞬間、本堂が崩れ去る瞬間、共に目撃しております。それはまさに命の息吹のようでした」
「清殿……ほんにそなたは掴みところのないお人じゃ。いや、人に非らざる気配……まことに人か?」
兵之助は恐る恐る問いただした。
「はい……人でございます。しかしながら死を仕舞う花仕舞師でございます」
「死を仕舞う花仕舞師……?」
「はい……我々は人の死を徳を持って舞を舞い、徳を成就させ、仕舞う務めに生きております。そして、だからこそ急がねばならぬことがございます」
「急がねばならぬこと?」
「はい……伝八殿の死期……間近かと……。刻の残酷さ、まざまざと見せつけられる思いです。ですから共に行かれませぬか、伝八殿の元へ……。幸吉殿の学舎への想い、そして兵之助殿の想いを伝えに。これは兵之助殿のみ、開かれる扉でございます。幸吉殿や、その故郷の母、お雪さま、魂の器を建立することが出来るのは伝八殿であるならば……」