115話
「この地は人寂しげなところ。ならば礼尊寺は、さながら諸国の人々が集う商いと信仰の館。参詣の道すがら、茶店に寄り、説教を聴き、舞を見る。まこと、現世の楽土にすべき」
若き兵之助は息巻いた。『商業により人を豊かにする』その信念の元、新たな依頼を受け未来図を描いていた。
「ならぬ、依頼主の零闇殿は目が見えぬ。兄者、確かにその考えは立派じゃ、寺を中心にこの地を豊かにする。しかしながらそれは零闇殿の考えに意を反するものではないか。大切なことはこの寺は仏を極めし者が人の心を豊かにし、そして仏を癒す場。ならば質素でも零闇殿や仏に寄り添う本堂を建立すべきじゃ」
若き伝八も譲らない。「屋敷は、人を守る器だ。心がなきゃ、ただの木の箱だ」を信念にしてきた男の言葉は揺るがない。
「伝八よ。お前の言うことはわかる。でもなっ、この地を見ろ。この地は閑静で自然まことに素晴らしい。じゃが、それまでじゃ。この地に暮らす民は貧困に苛まれる。それならば賑わいを根づかせ民に笑顔を与える。そんな新た世に心踊らぬか?」
京の町で賑わいの一端を担った男はあくまでも商魂こめた。
「違う……自然豊かだからこそ、そこに仏は安らぐ。そしてその安らぎを与えるのが礼尊寺。賑わいなど、この地にいらん」
お互いの信念がぶつかりあい睨み合う。兄弟の契りを交わした男たちに亀裂が生じ始めた。
──「新山升や 正米穀物商 以信義為商道」──
「清殿……うちの看板は見たことあるかい?」
兵之助はため息をついた。
「はい、檜の一枚板に見事な看板。まさに商いに精進された歴史の重みを感じます」
清は想いのままに答えた。
「そう、あの時は『以信義為商道』を儂の礎にしておった。じゃから伝八との衝突も譲れんかった……お互い、血気盛ん。若かったのかのぉ……」
寂しそうな顔をする兵之助。
「そして、伝八と袂を分かつ決定的なことがあった……儂は強硬手段に出た。回りの商人仲間と時の村の村長らと組んで話を進めた。伝八の有無を言わさずにな……」
「兄者? 何をしておる……まだ、話し合いはついとらんじゃろ? 勝手に話を進めるとは何事じゃ!」
血相を変えて商人仲間の寄り合いに飛び込んできた伝八。
「伝八、このままでは埒があかん。お互い譲れんなら力の強いもんが事を進めるのが道理。お前は黙って、この地の絵図通りことを運ばせ、お前は礼尊寺の本堂を指図通り建立すればいいんじゃ」
兵之助は礼尊寺の指図を伝八の目の前に放り投げた。
「なんじゃこりゃ? 見てくれ張りぼてな本堂なんか建てられるか! 絢爛壮美の寺社などやってられるか! 俺は零闇殿の心の真秀に従う。屋敷は、人を守る器だ。心がなきゃ、ただの木の箱だ」
「聞き飽きたぞ。伝八……所詮、屋敷は小箱じゃ」
兵之助は小馬鹿にしたように伝八を見下した。
「兄者の商才は恐れ入るが、心は信じられん」
伝八は指図を破り捨て空に放り投げ、兵之助に背を向けた。
「兄者との契りはもう、終わりじゃ。儂は兵之助という名の男の顔など二度と見とうない!」