113話
「えらい言われようじゃの」
昔の伝八ならば煽られれば女だろうと容赦なく喰ってかかっただろう。しかし、今となってはどうでもよいことと頭を振った。
「今の儂に何を言っても無駄じゃ、気力のない老い耄れを煽っても無駄じゃ」
静はふっと笑った。
「煽るなどとは野暮なことでございます。しかし、よう言われましたな。特に礼尊寺あれは見事でしたな……」
冷静に対応していた伝八の眉がぴくりと動く。
「目の見えぬ零闇殿には居心地も良かったでしょう。あれは今まで伝八殿が建立に携わった中では比類なき妙作の至りと、誇らかに語られてると、どこぞの風聞にて耳にいたしました……しかし……」
静は間を開けた。
「しかし……なんぞや?」
その間に伝八は背筋から冷たいものが流れた。
「今はその礼尊寺も崩壊しましたな……今は瓦礫の山と化しております……それはそれはごうごうと崩れ落ちあっと言う間に……」
「なんと?」
──あの礼尊寺が崩れ瓦礫の山と? あやつに負けじと精魂込めた礼尊寺が?──
静は笑いながら伝八の心を抉るように続ける。
「はい……実のところ崩れ落ちるさまを見ておりましたので……聞きしに伝八殿の口癖は「屋敷は、人を守る器だ。心がなきゃ、ただの木の箱だ」と……あれでは人を守る器というには……あれは単なる木の箱……でございましたな……世にも立派な木の箱とはこのことでございます。伝八殿の『比類なき妙作の至り』とは……木の箱ということ……ほんに本人目の前にしてまこと笑いが止まりませぬ」
「なんと無礼な──!」
冷静さを保とうとした伝八だったがあまりの静の言葉に震えだし声を荒げた。
「おっと、言葉が過ぎましたな……しかしながらもう時はすでに遅しと申しますか……その怒りさえ無駄と言うもの……恐れながら伝八殿の左手の甲、そこには花紋様の痣が浮き出ておりますに……」
聞きなれない言葉にさらに言葉を荒げる伝八。
「何をおかしなことを言っとる!? 花紋様? そんなものは見えん。静とやら、お主はいったい何をしにここに……?」
笑みを浮かべていた静の目が変わる。
「見えるか見えないかは問題ではございませぬ。誰もが逃れられぬしるしを伝八殿は持っていらっしゃるということ。それだけです。ですが、『比類なき妙作の至り』が木の箱で終わられるのはあまりにも滑稽過ぎて……憐れと思いましてな……」
「待て! どう言うことだ? もうじき儂は死ぬのか?」
静は振り向いた。そしてぽつりと呟く。
「はい……もうじき……私は花仕舞師……痣を持つものを仕舞うのが役目。そして、伝八殿……確かなことをひとつ。花仕舞師という言葉をまた聞くことになると思います……ただその者、うつけ者ゆえ、伝八殿を惑わすでしょう……静かに余生を送りたいと願うならば耳をふさぐことです……また伝八殿の元にお伺いします。その時は仕舞う時、すなわち死を迎える刻でございます」
静はそう言い残すとそのまま出ていく。
スウッッ──ガタッ──
心地よく耳に残る引戸の閉まり具合が、最後に乱された伝八であった。