1話
風がやわらかく吹き抜ける、夕暮れの丘。茜色に染まった空の下で、一組の姉妹が手をつないで歩いていた。姉は七歳。しっかり者で、おしゃまな口ぶりをする子だった。妹は五歳。まだ小さな手をこすりながら、目元を濡らしたまま、すんすんと鼻を鳴らしていた。
「泣かないでってば。花死が出るよ」
姉はちらりと後ろを振り返りながら、小さな声で言った。
「……はなし?」
妹が泣きながら尋ねる。姉は道端に咲いている今にも散りそうな小さな花を指差し、妹に答えた。
「そう、花に……あのね、死んじゃうって書いて、花死。そう読むの」
「ふぅん……でも、花死って、なに?」
「花死っていうのはね、仮面をかぶったこわいおばけ。踊るみたいにふわふわ歩いてきて、そっと近づいて……そのままあの世に連れていっちゃうの」
妹の目がぱちくりと見開かれた。得たいの知れない存在が目の奥に宿ってさらに涙ぐむ。
「でもね、もしその花死に逆らったら……自分が花死になっちゃうんだって。そうしたら、永遠にこの世をさまようんだよ」
風が、木々を揺らした。
「……じゃあ、どうしたらいいの? どうしたらおばけに会わなくてすむの?」
妹の声はか細く震えていた。
「ちゃんと、いい子にしてること。泣いちゃいけないんだよ。それと、私と仲良くしてれば、絶対に花死には出会わないよ。仲のいい姉妹には絶対近づかないんだって」
姉はそう言って、にっこり笑った。
「なんで?」
「知らない……ただ、わがままな子にお仕置きしたいんじゃない? わがままに泣いているような子に……」
姉は襲いかかるような仕草をした。
「やだぁぁ!……わかった……いい子にする」
妹は涙目になりながらも口を真一文字に結び、必死に堪えた。
「じゃあ、笑って。お姉ちゃんが守ってあげるから」
姉は手を差し出すと妹はしっかりその手を握り抱きついた。二人は手をつなぎ、夕暮れの道を並んで歩いていく。姉が少し前を歩き、妹はその背を見上げながら、もう涙を浮かべてはいなかった。
「お姉ちゃん……大好き」
姉は妹の手をしっかり握り微笑んだ。
ヒュッ──サワサワサワ──
風が一瞬強く吹き抜け草木が揺れる。どこかから微かに音が聞こえたような気がした。
シャンシャン──シャンシャン──
何かが舞うような音。ふと、妹が立ち止まる。
「お姉ちゃん……誰か……見てた気がした」
姉も足を止め、振り返る。ただ、夕暮れの野原の片隅に、ひっそりと一輪の花が咲いていただけだった。清らかに、静かに、そして仄かに煌めくように小さい花なのに厳かに風に揺れている。その時、強烈な風が吹きどこからか花びらが舞い散り、二人の身体を包み込んだ。二人のさらさらした髪が揺れる。けれど、そこには誰もいなかった。
「ほんとだね……誰かいたのかな? もしかして花死……!?」
カタン──ズゥ……カタン、コトン、スッ……
カタン──ズゥ……カタン、コトン、スッ……
まるで重たい何かを引きずるような足音が、耳の奥を掠めた。二人は急に怖くなり何も言わずに駆け足でその場を離れていった。しっかり手をつなぎながら……。
二人の足音だけが、やがて夜の帳に溶けていった。
──咲くよりも、笑うが花、それを忘れぬ者こそ、花仕舞師に候──