終 新たな人生の一歩
――宝珠。
彼の真っ直ぐな告白に、どきときしながらも、一方でリーゼの脳内にミゼルのしたり顔が浮かんでいた。
シエルは事あるごとに、リーゼこそが「宝珠」だと断言しているが……。
(いくら考えても「宝珠」って、ミゼルがシエルを釣るための餌の言葉にしか思えないのよね)
今だからこそ、リーゼにも分かる。
多分、ミゼルはリーゼが読んでいた恋愛小説の内容を知っていたのだろう。
小説の最後は、不遇だった少女と王子様の幸せな結婚。
幾多の試練を越えて結ばれる二人。
祝福の鐘が鳴り響く中、新たな人生の一歩を踏み出すところで、頁が終わる。
愛読書と同じ展開を迎えるなんて、偶然のはずかないではないか?
「……王太子殿下と……結婚」
『ほら、お前はこういうのがお望みだろう?』
ありったけの魔力を「祝福の鐘」の舌に隠しながら、にやにや笑っていたのではないか?
あの性悪魔女は……。
「リーゼは……嫌なの?」
「そんなはず!! あ、あるわけないじゃないですか」
泣きたいくらいに幸せで、夢にすら見なかった展開。
リーゼがもっと若くて、何も知らない小娘でいられたのなら良かったのに。
(ええ、もう……確かにね。殿下は私の好みの男性ど真ん中。大好きな小説の相手役のように、金髪キラキラの王子様でいらっしゃいますけどね)
だからこそ、恐ろしい。
もし、ミゼルの死から十年経っても、シエルが来なかったら、リーゼはどうなっていたのか?
彼が優しく、真っ直ぐに成長していなかったら?
最低な展開が待っていたはずだ。
(まあ、ミゼルのことだから、そうなることも見越して、他にも色々と手を打って楽しんでいたんでしょうけど)
やっぱり、とてつもなく酷い話だ。
人のことを何だと思っているのか?
(あの魔女。私の人生で遊んでいるんでしょ?)
こうなったら、リーゼなりの最高に楽しい人生を送って、あの世で会ったら「分かりにくいことするな。ババア」と怒鳴りつけてやるのだ。絶対に……。
「だったら、良いよね? リーゼ」
「……へっ?」
「嫌じゃないんでしょう?」
シエルが傷ついた子犬のような顔をして、こちらを窺っている。
「……え? あ、はい?」
「ああ、良かった! 嬉しいよ。リーゼ。君と結婚することができるなんて!」
(いや、だから、待って)
リーゼは考えなしに、反射的に頷いてしまっただけなのだが……。
しかし、心から喜んで、リーゼを覆い被さるようにして抱きしめるシエルに、こちらから、水を差すようなことなんて、言えるはずがなかった。
「さあ、そういうことだから、早速、御者に行先変更を……」
「だーめですって。殿下!! 独断で早まらないで!」
レイモンドが必死の形相で、シエルを止めている。
もはや、彼が最後の砦だった。
(本気で結婚式なんてありえないわ。殿下は意地になって突っ走っているだけなんだから)
大体、シエルの一存で安易に結婚なんて、できるはずがない。
期待すると、後々辛いだけじゃないか?
(……て、ああ、また……私の嫌な考え方)
こういう時、リーゼは最初から悪い方に考えてしまう。
前向きに考えて、傷つきたくないからだ。
自分の悪い癖だと、自覚しているのに……。
せっかく、自由の身になったのに、これでは意味がないではないか。
(もう、いいのかな。……いっそ、このまま流されてみるのも)
シエルの気持ちの本質なんて、しょせん、恋愛初心者のリーゼには、分からないことだ。
自分が好きになった、この方を信じて、すべて任せてみるしかない。
おそるおそるシエルの背中に手をやりながら、リーゼは彼の肩越しに景色を見ていた。
馬車に並走して飛んでいた鳥姿のルリが、こつんと小窓を嘴で叩く。
今の話を、ルリはどこかで聞いていたようだ。
したり顔で、何事か訴えている。
(何よ。ルリ)
リーゼは、くすっと笑う。
窓の外は、一面、黄金色の小麦畑が広がっているだけ。
人の姿すら見当たらない、片田舎だった。
(何よ、ルリ。近場の教会なんて、村の集会所兼教会みたいなところしかないって、言いたいんでしょう?)
だけど、そういうのも悪くない。
シエルがリーゼを掴んで離さないのだから、いっそ、村の集会所を提案してみるのも、いいかもしれない。
御守りのように、ペンダントとしてぶら下げている魔力の欠片が、きらりと光ったような気がした。
【 了 】
⭐︎⭐︎ お付き合いいただき、ありがとうございました⭐︎⭐︎




