第92話 不機嫌なシエル
◇◇
……あれから。
オズラルドの叛乱は不発に終わったものの、残務処理が山となって、シエルの身に重くのしかかっていた。
サロフィン城に残してきた荷物や臣下も多いるため、そちらの撤収作業も含めて一度戻りたいと、シエルが国王に直談判して、今日ようやく帰るところまでこぎ着けたのだが、それも、どうやらとんぼ返りで終わりそうだった。
……というのも、心労が重なった王は、ほぼ寝たきりとなってしまい、ほとんどの政務をシエルが肩代わりしている状態だからだ。
王城では皆、いつシエルが王位を継承するかという話題で持ちきりだった。
(むしろ、サロフィン城に戻りたいと仰る殿下を私が止められなくて、すいませんって感じなのだけど……)
はあ……と。
帰路の馬車の中で、リーゼはひっそり小さな溜息を吐いたのだが……。
「どうしたの、リーゼ? 嫌なことでもあった!?」
「わっ!?」
びっくりした。
横を向くと、目と鼻の先にシエルの顔があった。
(……相変わらず、目敏い)
激務疲れで、今の今までうたた寝していたはずだったのに……。
「とんでもない! 私、浮かれまくっているのですよ。殿下と一緒にサロフィン城に戻ることができるんですから」
「悪かったね。エンフィルでも、王都に戻ってからも、なかなか君との時間が取れなかったから」
「仕方ないですよ。私、まったく気にしていませんから」
「本当に?」
「本当ですって。殿下がお忙しいのは当然で、むしろ王様になられる日も近いのかなって……誇らしく思っていたくらいで」
そうだ。
今の言葉に、嘘なんて微塵もない。
王位継承権一位の王子として、シエルが頼られているのを目にするのは、リーゼも我が事のように嬉しかった。
大勢の家臣に傅かれて、堂々と振る舞っているシエルを遠くから眺めて、胸が熱くなったのも事実だ。
(……でもね)
でも……。
同時に、彼が王位に近づけば近づくほど、今のこの距離感でいるのは無理がある……とも、リーゼは悟り始めていた。
理由は、明白だ。
(だって、私ってあの悪名高いミゼルの魔力を継いだ得体の知れないおばあちゃんだものね)
王城ではシエルが厳しく命じてくれたおかげで、直接的な被害はなかったものの、リーゼに向けられる視線は冷ややかだった。
……大魔女ミゼルは、いまだに国王から疎まれている。
しかも、奇術などではなく、本当に魔法が使えるのだから、王をはじめ、貴族たちにとって、リーゼの存在は、脅威以外の何物でもないのだ。
シエルは必ず父を説得してミゼルの悪い印象を払拭すると話してくれたが、そう簡単に今までの扱いが変わるはずもない。
仕方ないと、リーゼも納得はしていたが、彼が素直に好意を示してくれる分、周囲から祝福されない自分の立場を悲しくも感じていた。
「……ねえ、リーゼ? 君、絶対何か隠しているよね?」
「いいえ。私は何も」
「ふーん」
何だろう。
今日のシエルは少しだけ意地悪だ。
どうして、ここまで執拗に疑うのか?
(私の心の内までは気づいてないと思うのだけど)
変だ。
そうして、鼻が触れ合いそうなほど近い、有り得ない距離感。
狭い馬車の中では、逃げ場すらないのだ。
慣れないリーゼは、石のように硬直するしかなかった。
何しろリーゼの向かい側の席には……。
「あー……。まったくサロフィン城に行くためだけに、徹夜続きでも、なかなか終わらなかった仕事の山。ようやく仮眠がとれると思ったら、目の前で何が始まるんですかねえ?」
レイモンドが台本を棒読みする下手な役者のように、わざとらしい大声を張り上げた。
こほん……と、リーゼも咳払いをして、シエルを牽制する。
馬車にはシエルとリーゼ、他にレイモンドも乗っているのだ。
「……ああ。何で、レイモンドがいるんだろうね」
シエルがこの世の終わりのような表情で、呻いた。
「疲れているだろう。レイモンドはもう少し休んでいれば良いじゃないか?」
「それは殿下も同じですよね? 大体、この馬車は殿下と私の二人用ですよ。強引にリーゼ嬢を乗せてきたのは貴方じゃないですか? それを……。目のやり場に困ります!」
「だったら、お前が気を利かせて、別の馬車を用意すれば良いじゃないか。リーゼだって寛げないだろう」
「わ、私……がですか!? 滅相もない」
なぜ、巻き込むのか?
そもそも、寛げていない最大の原因はシエルだろう。レイモンドのせいではない。
今までうたた寝していたこともあって、リーゼの視界に留めないようにしていたが、直視してしまったら、もう……。
(駄目だわ。心拍数が上がりすぎてしまって、むしろ私が別の馬車に逃げたい気分)
軍服でないシエルは、リーゼの愛読本に出てくる王子様そのものだった。
白地に金色の刺繍入りのコートに、お洒落なクラヴァット。ピンは瞳の色と同じ、蒼い宝石が光っている。
レイモンドも色違いの似たような格好をしているので、ありふれた高位貴族の私服なのかもしれないが、シエル以上に似合う人はいないと、リーゼは確信していた。
「とにかくですね! 殿下」
レイモンドがリーゼにぴたりと寄り添うシエルを睨みつけながら、一喝した。
「私の前でいちゃつくのは、もうこの際どうでも良いですし、私に黙って勝手にリーゼ嬢のために宝珠を使ったとかいうのも、まあ……結果的に、彼女が魔力に目覚めて活躍してくれたのだから、潔く水に流しますよ。しかし……ですね! 殿下が王位を継承される日は近いのです。色ボケ……いいえ、あちこちで浮かれるのは大概にしないと、諸侯から益々嘗められますよ」
「……別に今更」
シエルが開き直って、悪い微笑を浮かべていた。
(殿下って、意外と……)
逞しい人なのではないかと、リーゼは最近になって感じ始めていた。
(大公の件でも、図太く立ち回ってたし)
むしろ、一連の騒動の結果、新しい自分を発見してしまったのかもしれない。
まあ、これが今までも、シエルの本音だったのかもしれないが……。
「仕方ないだろう、レイモンド。今まで私が怠惰だったせいで、諸侯には舐められているんだから。これから、私が変わったところを、皆に見せていくつもりだ。いつか皆に頼りにされるような王になるよ。ラグナス国王なんかよりも遥かに力強い……ね。……だからさ。リーゼ」
「わ、私!?」
またしても、急にリーゼの方に話題が振られてしまった。
(何で?)
宝石のような双眸が、何かを見極めるように、じいっとリーゼだけを見つめている。
「……リーゼ。私に何か言っておくべきことはないの?」
「はっ?」
(何を?)
さっぱり、意味が分からない。
シエルは、リーゼに何を言わせたいのだろう?




