第8話 魔女の呪い
「そういえば、君、少しやつれてない?」
「そんなこと……ありませんよ」
今まさに、王子との距離が気になって、胃が縮む思いをしているのだとは、告白できなかった。
シエルは、リーゼの繊細な気持ちを余所に、何の気兼ねもなく、喋り続けた。
「正直、私は君が魔女の世話をしていたなんて嘘をついて、この城を不法占拠していたのではないかと、最初、疑っていたんだけど、そんなことはなかったようだね。部外者であれば、そこまで魔女のことは知らないだろうから」
「ご理解頂けて、嬉しいです」
「そういえば、最初の日にいた少女は、どうしたの?」
「あの子は実家が近いので、戻りました」
「そうなんだ」
ルリがミゼルの創り出した「使い魔」だとは、白状できなかった。
(あの子は、私以上に人見知りが激しいから……)
新しい環境に馴染めずに、野良猫やリスなど、動物に化けて、城の庭をうろついているらしい。
そして、毎晩のように、彼らがどんな目的でここに来たのか、一体、いつ出て行くのか、リーゼに尋ねてくるのだ。
(いつ出て行くのは、ともかく……)
彼らの目的が、一カ月経っても、リーゼには分からない。
特に、シエルは、ユリエット王国の王太子で、この国で二番目に偉い人だ。
次の王位は彼で決定だろうと、使用人たちが話しているのを、リーゼも聞いた。
そんな雲の上の人が、王城から離れた、僻地の古城に自ら好んで移り住むなんて、通常あり得ないことだ。
左遷でもなければ、一体、ここで何がしたいのだろう?
「そうだな。君も休みなく働いていて、しんどそうだし、行きたい場所があれば、気晴らしに、外に出してあげたいんだけど……。今すぐには、難しくなってしまって」
「いえ、そんな。お気遣い有難うございます。でも、私大丈夫ですから」
どうやら、リーゼの顔を殊更見ていたのは、体調が心配だったかららしい。
シエルがやたら良い人なので、疑うとかえって、罪悪感にさいなまれてしまう。
「私、戻るところはないので。雇って下さって、本当に有難く思っているのです」
「誰も、君の帰りを待っている家族はいないの?」
「ええ。私は一人なんです」
「そう」
複雑な表情で、シエルがうなずいた。
この五十年間、一度もリーゼは実家に戻らなかった。
家族と関わるつもりもないし、あの人達の子孫なんかに会いたいとも思えなかった。
第一、リーゼはこの城から外に出たら、死んでしまうのだ。
――そういう呪いを、魔女から掛けられてしまっている。
「分かった。とりあえず、この城のことをよく知っている人間ということで、皆が君を頼って、仕事も慣れなくて大変だと思うけど、宜しく頼むね」
「ええ、承知いたしました」
優しく告げられて、リーゼも自然に微笑んでしまった。
疲れたなんて、言っていられない。
シエルの方が、リーゼより遥かに忙しそうだ。
昼間はいつも部屋にこもって、王都から届いた報せを聞いて、仕事をしているようだし、城内でも難しい顔をしながら、家臣と歩いている姿をよく目撃する。
いくら若いとはいえ、重圧は半端ないだろう。
「殿下も御身を大切になさってください。貴方様の代わりは何処にもいないのですから」
「ありがとう」
屈託ない笑顔で応じたシエルは、しかし、次の瞬間にはとんでもない提案をし始めていた。
「それでね。実はこの部屋の中の魔女の私物を整理していきたいんだ。危険物もあるかもしれないので、君の立ち会いのもとで、進めて行こうと思ったんだよ」
「今から……ですか」
「もちろん。私はあまり時間が取れないからね」
シエルが腕まくりを始めたので、リーゼは思わず腰を引かした。
(今、御身大切にって言ったら、笑顔でお礼言ってたよね? あれは何? 錯覚だったの?)
王子が御身に悪いことを始めようとしている。
何しろ、この部屋は大きな窓と机以外、すべて本で埋め尽くされているのだ。