第72話 妹
屋敷は相変わらずだった。
入口の扉の前で大声を出しても、誰一人応じない。
「ここで、待っていて下さいますか」
護衛にそう言い置いてから、リーゼが庭に回ってみると……。
(あの人……)
記憶よりも更に荒んでしまった庭で、薄らと過去の面影を宿している老婆を発見した。
老婆は白髪頭を一つに括り、黒いボロボロの外套のようなドレス姿だった。
腰は曲がっていて、杖をついている。
そして、使用人らしき若い男性を、髪を振り乱しにながら、鞭で叩いていた。
見た目だけなら、ミゼルなんかよら、よほど、この老婆の方が魔女らしかった。
(何、やっているのよ!?)
いきなり、飛び込んできた空恐ろしい光景に、リーゼは血相を変えて走り、青年の前に立った。
「やめてちょうだい! こんなこと……」
「はっ? 何!? 他人様の屋敷に勝手に入ってきて、お前の方こそ何者なんだ?」
当然かもしれないが、アイシャにはリーゼが何者か分からないのだ。
いくらリーゼが不審者とはいえ、物言いから品が剥がれ落ちてしまっている。
すっかり、外見も話し方も変化してしまったが、リーゼの脳内では彼女は十三歳の妹だ。
アイシャとリーゼは五歳、年が離れているから……。
(今、アイシャは六十三歳か……。それにしたって)
五十年前、彼女はこんなふうではなかった。
成り上がりたいという自意識の高い娘で、気性も荒く、腹違いということもあって、リーゼは、随分苛められたけれど、それでもこんな老い方をしているとは、思ってもいなかった。
「と、とにかく、何があったのか知らないけど、人を鞭で叩くなんて、おかしいわ。やめてちょうだい」
「偉そうに。我が家では、代々使えない使用人は鞭で叩くって規則があるのよ」
「それは、貴方の父様の間違った躾け方よ!」
リーゼも、何度も義父から鞭で打たれた。
その度に、自分の尊厳が消えて行く虚しさがあった。
まるで、飼育されている家畜のようだった。
自分は人間以下なんだと、どんどん自信がなくなって、卑屈になっていく。
だから、実家は嫌いなのだ。
思い出したくない記憶を、掘り起こされてしまうから……。
「なぜ、お前が父のことを知っている!?」
ぎょろりと、大きな瞳をひん剥いて、アイシャはリーゼを睨み続けた。
こんなに興奮されてしまうと、身分を明かす気にもなれない。
リーゼは使用人の青年に、ここから去るよう、そっと背中を押すと、肩かけ鞄の中から、例の手紙を取り出した。
「私はこの手紙を読んで、ここに来たの」
「はあ? これは、王太子殿下に宛てたものじゃないの。盗み見たのね!?」
「盗み見たくもなるでしょう。五十年前、娘を魔女に売った家の者の手紙なのよ。ロクなことではないって分かるもの」
「お前……。何故、それを?」
……と、呟いたところで、ようやくリーゼの容姿に、アイシャは感づいたらしい。
「そういえば、お前、五十年前、魔女に売った姉によく似ているね?」
さすがに本人とは分からなかったようだが、アイシャは、少しだけ大人しくなった。




