第62話 シエルの覚悟
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ラグナスの国王と対面した日から、シエルはおかしくなってしまった。
――いや。
正確には、今まで無視していた気持ちが溢れ出てしまったというのが正解かもしれない。
気を抜くと、常にリーゼを目で追うようになってしまったのだ。
朝、外を掃いている彼女。
食事の給仕をしている彼女。
洗濯をしている彼女。
無論、政務はきちんとこなしているつもりだが、リーゼの姿を目にしていないと、落ち着かなくなってしまって、つい彼女を捜してしまうのだ。
我ながら、気持ち悪いくらいだ。
(リーゼのことだ。あの夜のこと……私が怒っているんだと落ち込んでいるはずだ)
彼女がしているだろう誤解を、早々に解いてあげたい。
そして、自分の不明瞭な心の内を明らかにしたい。
(早く、リーゼと時間を取って話さなければ……)
先程、側近達から必要最低限の身支度を終えたとの報告を受けたので、明日にはレイモンドを追って、シエルはここを発つつもりでいた。
(本当は……王都になんて戻りたくないんだけどな)
リーゼに話したことは、本音だった。
オズラルドに王位を継いでもらって、ここでひっそり穏やかな時間を過ごすことができたら、シエルはそれで満足だったのだ。
(でも、彼女が私の背中を押してくれたから……)
あの時、リーゼに一喝されてシエルは目が覚めた。
――殿下はご自身が思われているより、遥かに強い力をお持ちなんです。
他の誰の叱咤激励より、彼女の言葉は真実味があった。
(もっと、私は強くならなければいけない)
ラグナス王に、負けたくない。
あの男は本気でリーゼを自分のものにするつもりでいた。
むざむざ、リーゼを渡してたまるものか。
彼女のため、王子の責務を全うして、自信をつけて再びここに戻ってくる。
だからこそ、もう二度と会えないなんて思われないように、シエルは今日中にもリーゼに告白しておく必要があるのだ。
必ず、帰って来るから待っていて欲しい……と。
でも……。
この期に及んで、リーゼにおいそれと会いに行けない理由があった。
――ミゼルの「宝珠」。
シエルには、それの保管場所がなんとなく分かってしまったのだ。
(何で、今……分かってしまったんだ?)
シエルがこの地に来た理由は、ミゼルの宝珠に「戦争回避」を願うことだった。
それ以外の願い事なんて、考えてもいなかった。
魔女の虚言を信用しすぎだとか、他力本願だとか、それこそ散々図星を突かれても、大勢の人が死ぬことを考えたら、戯れでも試してみる価値があると思っていた。
……だけど、今は。
(私情のために、国民を犠牲にすることなんて出来ない。それでは父や先祖と同じだ。……でも、私はリーゼのことが)
頭に靄がかかったように思考がまとまらない。
――どうしたら良い。
王子としての願いか?
一個人としての望みか?
リーゼのおかげで、自分が王太子であるという現実と向き合い、王都に帰ろうと決意した。
それなのに、王太子だからこそ、彼女のためにならないことを宝珠に願わなければならないのか?
最善が見つからない。
胸が苦しくなるほど、リーゼのことを意識しているくせして……。
もし、シエルが宝珠に国家のことを願ったことで、この地から魔力が消え去ってしまったら?
(リーゼは、どうなる?)
六十八歳の女性の姿になって、余生をこの地でミゼルの墓守りとして過ごすのだろうか?
たった一人で?
他の世界を知ることもなく、魔女以外の人間と過ごした楽しい記憶すらほとんどなく、彼女は独りぼっちでここに残るのか?
(そんなの嫌だ。絶対にさせたくない)
エンフィルの地に行こうと、リーゼと手を繋いで話した。
あの言葉に嘘はなかった。
実現させるつもりでいた。
何と引き換えにしても……。
シエルは死ぬ気はないし、リーゼのために必ずここに戻るつもりでいるけれど、王都に行けば何が起こるか分からない。
(リーゼに宝珠の場所を教えて、願い方を託すか……)
それこそ、逃げだろう。
彼女にすべての責任を背負わせる卑怯者ではないか……。
魔女は、シエルに願い方を伝えたのだ。
(もしも、ミゼルが生きていたら、何と言うだろう? この事態をどういうふうに見るんだろう?)
ぎりきりまで考えこんでいたシエルは、結局、そのまま朝を迎えてしまい、リーゼの方から話があると呼び出されてしまった。
「宝珠の件で……」
……とのことだから、リーゼも宝珠の在り処に気づいてしまったのだろう。
――だったら。
覚悟を決めなくては……。
宝珠に託せる願い事は「一つ」だけなのだから……。




