第51話 口づけ
「分かりはしないよ。先の戦争は悲惨そのものだった。人が死ぬのは、非生産的だ。双方国力も落ちるし、いらぬ怨恨が永劫付きまとう。そのことを、ユリエット王国はともかく、ラグナスが分からないのが、信じられないね」
「酷いな。大魔女殿。俺もそういう非生産的なことをしたいなんて、望んじゃいない。やむを得ない場合を除いては……」
びくりと、リーゼの傍らに座っていたシエルが反応したのが分かった。
そして、アルフェイドは突然立ち上がると、リーゼの横にすたすたと移動してきた。
(な、な、何っ?)
動揺が極まって、口から泡を吹きそうだ。
心臓が跳ねて、おかしなことになっている。
(ああ、いけない。弱気になったら、駄目よ。ここで怯んだら、おしまいなんだから)
おもいっきり睨みつけて、リーゼも席を立つが、しかし、アルフェイドは何を思ったのか、颯爽とその場に跪いて頭を垂れたのだった。
「ひっ」
リーゼの肩に止まっていたルリが驚いて、後ろに離れた。
「大魔女殿。ちゃんとご挨拶をしておりませんでした。この度は突然の来訪、お許し頂きまして、ありがとうございました。アルフェイド、積年の夢が叶って望外の喜びでございます」
「えっ」
それは、おそらく、ラグナス王国の女性に対する正式な挨拶なのだろう。
ミゼルが生前、話していたような気がする。
ラグナス王国は、万事大仰なのだと……。
(ええっと、確か、左手を出して……)
おそるおそる、手を差し出すと……。
「……っ」
アルフェイドは、その手の甲に口づけを落として、握りしめたのだった。
(うわあ、そ、そこまで、するのね……)
何をされるのか、察してはいたけれど、こんな挨拶は生まれて初めてだった。
アルフェイドの唇が触れたところが、熱を持って痛いくらいだった。
「身体を若くしてらっしゃると、心持ちも若くなるのでしょうか。大魔女殿。顔が真っ赤ですよ」
(うわあ……)
――しまった。
「いつまで、そのままでいるんだい?」
リーゼは握られたままになっている左手を、さっと、アルフェイドの手中からひきずり出した。
精悍な顔立ちに、ぎらぎらした野心的な眼差し。
獲物を見るようにリーゼを捉えている紫色の双眸は、陽だまりのように温かなシエルとは違う、真夜中の月のような謎めいた魅力があった。
今日の格好も純白の礼服を纏っている金髪のシエルと、紺色の外套の下に黒地の長衣姿のアルフェイド。
丁度、昼と夜の対極のような色合いとなっていた。
「私は、ラグナス流の挨拶が嫌いなだけだよ」
リーゼは苦し紛れに、そっぽを向いてみたが、我ながら情けなかった。
(こんなところで、異性と接したことがないことが、弱点になってしまうなんて)
絶対、バレてしまっただろう。
ただでさえ、リーゼは怪しいのだから……。




