第39話 エレキア
その日も、少女の汗を清潔な布で拭い、薬を飲ませた。
空腹に飲むのは推奨していないが、食事まで手伝う義理はない。
そそくさとリーゼが自分の仕事に没頭していると……。
さすがに、耐えられなくなったらしい。
ようやく、少女が喋った。
「……私の世話なんて焼いて、何を企んでいるの?」
やはり、彼女はリーゼのことを疑っているようだ。
だけど、毎日、薬は抵抗なく飲んでいたし、食事も綺麗に平らげている。
そういう面は、信頼してくれているのだろうか?
「私は、ただ仕事をしているだけですよ。ええっと、貴方のお名前……エ……何でしたってけ?」
「エレキアよ。名前すら覚えていなかったのね?」
「すいません。どうも最近物覚えが悪くて……」
「何それ? ボケたふりでもしているの?」
ボケたフリではなくて、本当にボケているのだが……。
しかし、そんなリーゼの態度が癇に障るのだろう。
エレキアの不機嫌さは、深刻だった。
「どうせ、貴方もまめに看護してるふりをして、王太子殿下に取り入ろうとしているんでしょう? 私だって、殿下がいないのなら、こんな辺鄙な場所で使用人なんて絶対にやらないもの」
「……シエル王太子殿下に、私が?」
――どうして、そうなるのか?
大公も謎の心配をしていたが、そんなことになる可能性なんて有り得ないではないか。
もちろん、リーゼはシエルのことが、好きだ。
今までリーゼがあまり若い男性を見たことがないせいかもしれないが、シエルは、どんな人より綺麗で、本の中の王子様のようだった。
意識だって当然するし、目が合えば、顔が真っ赤になる。それが恥ずかしくて仕方ないけど……。
けれど、現実はちゃんと理解しているつもりだ。
(殿下はこの国の偉い人で、私はただの魔女の召使い。それだけよ)
しかも、シエルは二十歳で、リーゼは六十八歳。
(夢を見るにしても、もう少し現実味があるものを見るわよね)
シエルのことは、大切な孫のように、慈しむしかない。
たとえ、少女の頃のような胸の高まりがあったとしても……。
いずれ、懐かしい思い出として、親しみに変わっていくはずだ。
「有り得ませんよ。そんなこと」
リーゼは目を細めた。
開けた窓からは、温かな風が心地よく吹き込んでくる。
そういえば、若い頃は、こんな恋愛の話を、年頃の女の子たちと話してみたいと、願ったものだった。
「どうして、そう言い切れるのよ。貴方、つい最近まで、夜な夜な殿下と二人きりで会っているって話じゃない? それって、おかしいでしょう?」
「二人じゃありませんよ。いつもあの方には護衛がついていますし、会っているといっても、仕事のうちで」
「怪しいわよね?」
エレキアは上体を起こして、リーゼを睨みつけている。
すっかり、元気じゃないか。
それに……。
(碧眼……)
純血の貴族に多い金髪、碧眼はそのまま彼女の地位を示していた。
自前の白いレースのネグリジェも、上質なものに違いない。
(王子の使用人には、特に位の高い貴族の子女がつくのが通例みたいだけど……)
エレキアも、その一人なのだろう。
(大方、王子に良く見られたいから、あえて私に世話になることを、決めたんでしょうね)
悋気でリーゼに意地悪をしていたなんて、愛らしいではないか……。




