第35話 シエルと魔女の出会い
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子供の頃からシエルは「優しい王子」と周囲から賞賛されて、様々な人に将来を期待されてきた。
……だけど。
それはつまり……自分がなくて執着のない、冷たい人間だということだ。
好きな物が出来ても、欲しいものがあっても、シエルの「王子」という立場が優先される。
自分がそれを一番にと、優先順位をつけるだけで、他の人が困ってしまう。
それが分かっているから、ただ微笑んで、やり過ごして、当たり障りのない回答だけをすることを心掛けるようになっていた。
(……私の中身は空っぽだ。実際は何の役にも立たない人間なんだ)
ただ「王子」という役割を与えられて、吹く風のように、ふわふわ生きるしかなかった。
その芯がない部分を、叔父のオズラルドやレイモンドのように見抜いて指摘してくる者もいる。
「殿下が、そんなことでは困ります」
いつも、お小言ばかりだった。
だったら、自分がやれば良いだろう。
八方美人だって、疲れるのだ。
内心、毒を吐くことがあっても、それを口にすることで、損をするのは嫌だった。
駄目なところばかり指摘するレイモンドも、叔父のオズラルドにも正直、腹を立てていたが、彼らよりもはるかに、シエルは祖父と父が、嫌いだった。
旧時代の派手な振る舞いばかりを優先して、舞踏会やら晩餐会やら、くだらない酒宴ばかり開いては、自画自賛に明け暮れていた。
もはや、我が国には、そんなことをしている余裕なんてないのだ。
隣国だって、いつ攻めてくるかもしれないのに……。
けれど、具体的にどう変革していけば良いのか、シエルにも分からなかった。
悶々としていた十歳の頃。
周囲の状況は見えているのに、中途半端にしか力がなくて、逃げ出したくても逃げることすら出来ない駕籠の中の鳥だった時代。
その日は、唐突に訪れた。
――大魔女ミゼルが王に「遺言」を告げたいと、王城に使者を寄越したのだ。
使者といっても、正体は鳥だった。
見たこともない青い大鳥は、人の言葉を操った。
(こんなことが出来る「魔女」なんてものが実在しているなんて……)
不気味に感じながらも、王である父とシエルが謎の鳥と向かい合うことになった。
余人を入れるなという魔女からの命令だったからだ。
鳥の口を介して、魔女は言った。
『私はそろそろ死ぬ。いつ死ぬかかまでは教えてあけられないけど……。私の死後、これ幸いと勝手に城を取り上げられたら困るからね。一応、死ぬって断っておくよ。むこう十年は、あの城を横取りするようなことはしないようにね』
思いのほか、若々しい声は、遺言とは思えないほど、はきはきと告げた。
――それにしても。
(なぜ十年?)
首を傾げていると、大鳥の瞳がじっとシエルを見据え、窓枠から羽ばたいた。そうして、シエルの肩に飛来したのだった。
『お前さん、良い瞳をしているね』
「えっ?」
『ああ、その瞳は良いね。その瞳に映った真実を忘れるでないよ。いいかい? 派手な衣装を着ている者よりも、かさかさでひび割れた荒れた手を持った者の方が偉いんだ。見た目の美醜でもないよ。目の下に隈を作って必死に働いている人間が偉い。香水の人工的な香りより、土の香りがいる者の方が遥かに好ましいんだよ。それを、見誤ってはいけない』
「貴方は?」
……その言葉。
父には耳が痛い暴言の数々。
その一語一句すべて、シエルは今でも大事に覚えている。
シエルも、そう思っていたからだ。
どんなに綺麗な衣装を身に着けて、優雅に佇んでいても、心は真っ黒で、皆大人げない。足の引っ張り合いばかりしている。
あんな大人にはなりたくない。
だが、ここにいたら間違いなくそれに染まる。
シエルは、それを畏れていた。
『そうだね。お前がそのままの瞳を持って、大人になったのなら、くれてやっても良いかもしれんね』
それから、魔女はシエルの耳元で囁いたのだ。
『何でも願いが叶う「宝珠」を私は持っている。寿命に関すること以外であれば、一つだけ、どんな願いも叶えてくれる宝だ。先着一名様にしか与えられないけどね』
「そんなものが……」
「あるんだよ。この世には」
魔女は断言した。
父は聞き耳を立てているが、魔女の声は届いていないようだった。
『そうだね。嘘だと思うなら、試してみれば良い。その宝珠に手を添えて、己の姓名を名乗り、願い事を一つ言うだけで、叶うはずさ』
何てことでもないように、魔女は歌うように告げた。
『さて、シエル王子。一生で一度、願い事をするのなら、お前は、一体何を願うのかね?』
シエルの性根が試されているような気がした。
その後、鳥が喋ったのだと周囲に話してみたが、皆、口を揃えて、奇術だと取り合ってもくれなかった。
そんなはずはない。
間近で目にしたシエルには分かる。
(あれは、魔法だ)
それから魔女のことが気になったシエルは、一人で彼女のことを調べた。
ミゼルは悪名高いと評判で、魔法で酷いことをして、祖父や国民を苦しめたと聞いていたが、実際調べていると、そういうわけではなかった。
賄賂や汚職を働いていた貴族。
奴隷のように領民を扱っていた悪徳領主。
そういう者を、彼女は個人的私怨だと主張して、成敗していたのだ。
(それの何が不味かったのだろう?)
そういう魔法の使い方をしていたから、権力者側が彼女を変わり者と差別して、魔法を奇術扱いし、名誉を失墜させた。
(最低なのは、こちらの方だ)
どうしても、ミゼルが死ぬ前に一度会いたいと思ったシエルは、父に同行した際、わざわざ足を伸ばして、サロフィン城に赴いたわけだが……。
結局、シエルがミゼルと思っていた存在は、リーゼだったらしい。
彼女は、あの時すでに四十年もの間、ミゼルの世話をたった一人でこなしていたのだ。




