第17話 四十八歳差
「な、何でしょう? 殿下」
「私、良いこと思いついたんだけど、有意義な話をしてくれたお礼に、リーゼ。私と一緒に町に行かない?」
「えっ。私がですか!?」
「そう。これから、お忍びで町に視察に出ようと思っていたんだ。もちろん、私の側近と最低限の護衛は同行するけれど、君さえ良ければ、一緒に行こう。君の知り合いも麓の町にはいるでしょう?」
――麓の町。
魔女は近場に行く時は、リーゼを同伴しなかったので、ただ眺めているだけの町だった。
赤い屋根の商家が連なっていて、統一感のある街並みだったはずだ。
(サロフィン城に来た時に、少し見た程度で、ほとんど覚えていないわね。本屋さんと手紙でやりとりしているくらいかしら……)
王子とお忍びで、町に視察に出るなんて……。
そんな身に余る光栄なこと、この先、リーゼの身の上に永劫、起きることのない奇跡だろう。
行きたい。
出来ることなら、飛び跳ねて、喜びたい。
――だけど、リーゼが行けるはずもないのだ。
「も、申し訳ありません。私、やらなければいけない仕事が山積しておりまして」
「そんなの、気にしないでいいんだよ。私の方から言っておくから」
「いえいえ。特別扱いはよくありませんし。私がやりたいことなので。どうか、皆さまで、町の様子を見てきて下さいませ」
「そ、そう。それなら、いいけど」
頷いてはいるが、シエルは怪訝な表情で、リーゼを窺っていた。
(そうよね。まさか、王子の誘いを断る輩がいるかってことよね)
悲しい。
だけど、リーゼの抱えている問題を、今はまだ、シエルに話す気にはなれなかった。
特に、四十八歳も年上だということは、絶対に言いたくない。
「分かった。また機会があったら、行こう」
「ええ……。ぜひ!」
ぜひの部分を強調してみたが、実際、そんな日が、訪れるはずもない。
分かっているけれど、生き甲斐くらいには、なるはずだ。
シエルはリーゼの勢いに戸惑いながらも、手を振って、背中を向ける。
……だが、次の瞬間。
「あっ、お待ちください。殿下」
リーゼは、考えなしに、シエルを呼び止めてしまった
(ああ、やってしまった……)
ひょいと振り返った彼のご尊顔が近すぎて、顔が真っ赤になる。
後悔はしたけれど、今更だ。
気づいてしまったものは、仕方ない。
「これ……」
リーゼは、背伸びして、シエルの肩に落ちていた薄紅色の花弁を取り除いた。
「えっ?」
その時、初めて対等な位置から、彼と目が合ったような気がした。
シエルの透き通った蒼い瞳の中に、しっかり、リーゼが映りこんでいる。
「失礼いたしました。何処にいたのか、皆に分かってしまうと、後々殿下も大変だと思ったので」
「ああ。そう。そうだね。ありがとう」
突然のことで、驚いたのだろう。
シエルの声は、少し上擦っていた。
「では、私はこれで……」
すぐに彼から距離を取ろうとしたリーゼだったが……。
「あ、待って。リーゼ」
あっという間に、袖を掴まれてしまった。
「君……」
「は、はい! 何か私に不手際が……?」
「違うって。君の目のことで」
「…………目?」
「君、とても綺麗な空色の瞳をしているのに、どうして、前髪で隠してしまうのかなって?」
「うわっ! そ、それは、その……」
完全に、不意打ちだった。
(まさか、異性に腕を取られるなんて……)
リーゼは酸欠になりそうになりながら、魚のように口をぱくぱくさせた。
「こ、これは、この髪は特に理由はなくて、無精していただけと申しますか……」
動揺が極まって、おもいっきり両手で顔を隠したら、シエルが声を上げて笑っていた。
「だったら、切ってみたら? きっと、視界が開けて、物事が明瞭に見えるようになると思うよ」
「はっ、はい。いつか必ず」
「いつか……か。君は面白い人だね。また、いろんな話を私に聞かせてくれるかな? 君の話が聞きたいんだ」
「も、もちろんです!」
「面白いな。その言い方」
彼の笑い声と共に、ひらひらと、イーシュの花びらが舞い続けた。
ぼうっと夢心地で、去って行くシエルの背中を見つめてしまう。
(厳禁すぎるわ。私)
あれだけ、使用人の陰口や大公に指摘されたことを、うじうじ気にしていたくせに……。
――四十八歳差。
リーゼが色仕掛けなんてとんでもない。
シエルに弄ばれているのは、リーゼの方だ。
生まれて初めてまともに会話をする男性が、シエルなんて、難易度が高すぎる。
『いい歳して、ざまあないわね……』
リーゼの背後で、ミゼルが腹を抱えて大笑いしている気がした。