第13話 空気のようになりたい
◇◇
リーゼは元々、貧乏男爵家の長女。
読み書きが出来る程度で、最初から、誰にも期待なんてされていなかった。
魔女に召使いとして差し出された最大の理由は、いなくなったところで、誰も困らないという単純なものだった。
そんな自分が高貴な人たちと今働いてるのだ。見た目は大切だろう。
(今まで、誰も私の外見を目にする人がいなかったから、鏡も見ないような生活をしていたけれど、これからは多少身だしなみに気を付けないといけないわよね。怖がらせてしまったのなら、謝らなければ……)
本当は心の底から面倒なのだが、今、死ぬ気がないのなら、彼らと共存する道を探さないといけない。
(仲良くならなくても良いのよ。空気のようになれたら、私、それで充分なんだけど)
それにしたって、なぜ、いつもリーゼは悪目立ちばかりしてしまうのだろう。
――と、悩むリーゼの頬を、ひらりと薄紅色の花びらが掠めていった。
「イーシュ?」
そういえば、裏庭には、イーシュの大木があった。
魔女も春になると、イーシュの開花を気にしてよく訪れていたはずだ。
(今年も、咲いたのね……)
ここ数年、訪れることはなかったし、そういう時期であることすら、すっかり忘れていた。
リーゼは現実から逃れたくて、荒れ放題の庭の中を歩いた。
しばらく手入れしないうちに、魔女が趣味で置いていた白いテーブルも椅子も朽ち果て、雑草が伸び放題の野生の森になっていた。
(もう、庭とは呼べないわねえ)
だけど、庭の奥まった場所に、隠れるようにして、そびえているイーシュの木だけは、変わっていなかった。
薄紅色に染まっている一帯。
近づいて行くと、花弁がひらひらとリーゼを飾るように、舞い散って、何ともいえない美しさがあった。
「……綺麗」
よくこの木の下で、魔女の目を盗んでは、読書に励んだものだった。
(嗤えるわね。懐かしいなんて)
あまり良い思い出ではなくても、時を経ると感傷的にもなれるらしい。
もう少し間近で鑑賞出来ないかと、リーゼは歩を進めた。
――だが。
「あっ」
気がついてしまった。
昔、リーゼが特等席として、座っていた木の下に、座っている人がいることを……。
(何で、ここに人がいるのよ?)
先ほど、大公が背後を振り返った理由が分かった。
オズラルドは、ここに彼がいることを知っていたのだ。
(さっきの大公の言葉の後で、すぐここでお会いするのは不味いわ。早く何処かに避難しないと)
混乱しながら、来た道を引き返そうとするものの……。
一歩、遅かった。
「ああ、誰かと思えば、君か」
逃げ出そうとしたリーゼの腕を掴んでいる青年は、今、もっともリーゼが会いたくない人物だった。
「……殿下」
陽の下で垣間見た彼のご尊顔は、夜の暗がりで見るより、はるかに眩しかった。




