第10話 陰口
◇◇
魔女ミゼルは賢く、聡明で、強い人。
だけど、傲慢で、口が悪く、利己的な人でもあった。
自分が動けなくなっていくのだから、リーゼも、この土地から動けないのは当然だというような……。
酷い人ではあるが、彼女が唯一、リーゼに許してくれたのは、月に一度だけ本を取り寄せることだった。
自分も魔術書を読むので、そのついでに三冊まで買ってやっても良い……と。
金額の上限はあったので、専門書を頼むことなど出来なかったが、通俗的な本ならば、購入可能だった。
肉親との情も、友人との縁も、恋人なんていやしないし、物語の主人公には決してなれないリーゼだけど、その本を読んでいる間だけは、自分が主人公になったつもりで、日々頑張ることが出来た。
続きを読むために、魔女の世話に力を尽くして、ヒロインたちが幸せになることを自分のことのように祈った。
――「非現実的な世界」だけが、リーゼの癒しだった。
それを、つい……恋愛小説は、魔女の「趣味」だったのだと、シエルに嘘を吐いてしまった。
(あー。やってしまった。仕方ないけれど)
しかも、よくよく考えてみたら……。
(あの本、ミゼルが亡くなってから、購入したものだったし……)
愚かだった。
ミゼルが生きていた頃は、地下の物置に収納していたのだ。
亡くなってから、地下の物置が一杯になってしまって、魔女の書庫にうっかり収めてしまった。
そこまで、詳しくシエルが調べるとも思えないし、悪いことをしているわけではないけれど、やっぱり恥ずかしい。
配達に関しては、当面やめてもらえるように、ルリに鳥に化けてもらい、麓の本屋までリーゼの手紙を届けてもらったのだが……。
悲しいけれど、王子が滞在中は、本の続きを読むことは無理そうだ。
「あーあ。楽しみにしていたんだけどな」
最近、本を読むことすら億劫になりつつあったが、それでも、リーゼにとって恋愛小説は、唯一の潤いであり、現実社会との接点だった。
いい加減、夢見る老婆から卒業して、身綺麗にしてから死になさいという、ミゼルからの伝言なのだろうか……。
(今更、襲いくる現実の恐怖だわ)
結局、あの日は気まずさを抱えたまま、シエルと夜更け過ぎまで、書物の整理をして、朝から通常業務となった。
休んで良いと言われてはいたが、当面、集団生活を送るのならば、出勤した方が良いはずだと、リーゼは考えたのだ。
寝不足で、頭はぼうっとするが、動けるのだから、仕方ない。
リーゼは、朝から外掃除に励んでいた。
かつては、隣国との戦いに備えて要塞としての役割を担っていたサロフィン城は、外壁こそ白く塗られているが、大岩を積み重ねて造られた重厚な造りをしている。
薄紅色の花を咲かせるイーシュの大木や、季節の花を育てていた花壇などもあったが、魔女の死後、リーゼが手抜きをするようになったので、以前ほどの華やかさはなくなっていた。
おかげで、庭の手入れは楽になった訳だが、王子が引っ越してきてからというもの、新たな庭師なども加わり、早速、花壇も復活して、寒々しい景観が華やかになった。
(さすが、王子様)
呆れるくらい、展開が早い。
彼が国王となるのなら、王城が拠点となるので、この地に留まることは、不可能だと思うのだが……。
(それでも、本格的に城の整備をしている姿勢からして、長期滞在を望んでいるのよね)
シエルには何か特別な狙いがあって、サロフィン城に移り住んだとしか思えなかった。
(何か、探しているみたいなんだけど?)
昨夜、リーゼは気が付いたことがある。
シエルは、やけに熱心に魔女所蔵の書物を調べていた。
魔術書など素人が読んだところで、何か出来るわけでもないのに、こちらが驚くほど、必死に色々と訊ねてきた。
生前、ミゼルの話を適当に聞き流していたことを、リーゼが後悔するくらい、鋭い指摘も多かったのだ。
(地位も権力も美貌もある人が、更に魔力まで手に入れたいのかしら?)
リーゼが見た魔女は、何でも出来るようで、不便そうだった。
身体を壊しても、魔法で虚勢を張ることしか出来なかったのは、人間が手にするべきではない力を手に入れてしまった報いだろう。
(しょせんは、シエル様も為政者側。私の前を通り過ぎて行く嵐のようなもの)
壁一枚隔てた遠い世界の物事のように、リーゼは事態を眺めている。
沢山諦めることが多くて、大抵のことはどうでも良いと、目くじらを立てずにいられるが、けれど、せっかくここまで生きたのだから、城を追い出されて、野垂れ死ぬのだけは嫌だった。
(とりあえず、王子様が気まぐれに、サロフィン城に滞在している期間を、やり過ごさなくては……)
さっさと枯葉を集めて、所定の位置に持って行くと、先に仕事を終えたらしい、使用人たちが集まり、談笑していた。
余りに楽しそうだったから、てっきりおかしな話でもしているのかと思ったら……。
「魔女に仕えていたってあの人、ちょっと怖くない?」
――リーゼのことだったらしい。