第五話 わらしべ貴族
「閣下、見て下さい」
公爵家の料理を任されているヤマネ君が、日課である新聞の折込みチェックしておりますと、今日はその中に何やら気になる広告を見つけたようです。
「商店街に新しいお店ができたらしいですよ」
リビングのソファに腰掛けて新聞を読んでいる公爵の前に、新しくできた精肉店の大きなチラシを広げたのでした。
「どれどれ?」
公爵に先んじて、テーブルの上のチラシを囲むようにしながら覗き込んだのは、同じくソファに腰掛けて休憩を取っていたリヤマ博士とウサミさんです。
「おぉ、タブシーウで修行して帰って来た『人工肉製造職人』だって?リアン君、今夜は肉料理で決まりだな」
真っ先に反応したのはリヤマ博士でした。食べ物に関してはいろいろと縛りのある博士ですが、お肉だけは無条件で受け入れられるようです。
「タブシーウ言えば、人工肉の本場ということで有名な都市ですが、閣下、やっぱり味とか食感とか、特別なんですか?」
タブシーウについて一般的な知識しか持ち合わせていないウサミさんが、公爵に尋ねました。
「人工肉はもちろん、養殖、天然モノなど、あらゆる肉に関するあらゆる情報が集まる場所だからね。兎にも角にもいろんな種類の肉を味わうことができるよ。それより何より、人工肉製造に関する技術を学べる施設がいくつもある都市なんて他にないしね」
「へぇ、そうなんですか。そういう場所で修行をされてきたということは、それこそ味に自信を持っておられるのでしょう」
二十五年前の大災厄は、人々の食生活にも大きな変化をもたらしました。
すべての始まりは、もちろん彗星の破片が次々に地球に衝突したこと。そのせいで大量の粉塵が上空に巻き上げられ、太陽の光が遮られてしまったのです。
各国、各地域で程度の違いこそありますが、今まで無償で得られていた太陽からの熱と光に大幅な制限が掛かったことで、地球全体としてエネルギー収支バランスが大きく崩れてしまったのでした。
温暖化によって地球規模で上昇していた気温は一気に寒冷化へと向かったのですが、温暖化がなければ今頃は地球全体が凍り付いていたかもしれません。
いずれにせよ、姿を消していった動植物は数知れず。生き残った動植物は、崩壊した生態系の中で辛い日々を過ごすこととなったのでした。
それでも、寒くて暗い、暗くて寒い世界各地の片隅で、人間もまた生き続けていたのです。
重力制御装置を用いて位置エネルギーを電気に変換し、光と熱を得ることに成功。その光で植物を育て、その熱で人工肉を培養し、食料としたのでした。
最初のうちは、美味しいとは到底言えなかった肉の味も、改良に次ぐ改良によって、今では本物の肉を超える食感や風味を持つようになっています。もちろんそれは、穀物、野菜類においても同様でした。
皮肉なことですが、大厄災を経験したことによって、人類の食卓は以前よりも豊かになったと言えるかもしれません。
得体の知れない食物を受け入れる、受け入れられない以前に、それしかないのであれば食べるより他なかったというのは、あえて記す必要もないでしょう。
いずれにせよ、今では生態系に依存しない食料生産の確立が、地球全体の自然の回復を早めたとも考えられているのです。
「いずれは地方の隠れた名店なんて感じで、他所からもお客さんが来くるようになるかもしれませんね。そうしたら、この商店街もますます活気づくかもしれません」
食材調達に商店街を利用するヤマネ君にとっては、街道沿いがより賑わうようになるのは、喜ばしいに違いありません。
「そうだね。ふむ、オープニング・セールというだけあって、さすがに安いね」
二色刷りのチラシには、様々な種類の肉が、格安の値段とともに示されています。
「そうなのか?商店の肉の値段に詳しい公爵というのも、なかなか奇特な存在ではあると思うぞ」
苦笑する公爵の向かいからチラシを眺めているのはリヤマ博士でした。
「ほぉ、タブシーウの技術によるものなのか?豚、牛、鶏だけじゃなくて、私が花瓶の中に閉じ込められる以前には無かった、様々な動物の肉も再現されているじゃぁないか」
掲載されているのは精肉ばかりなので、全体的なデザインとしては写真は控えめな代わりに文字がびっしりと並んでいるといった感じでしょうか。
チラシにはサイだのライオンだのリャマだの、食感が想像出来ないような動物の肉まで記されており、博士はその多様な品ぞろえに感心しきりのようです。
「リアン君、こういうのは、実際にその動物を食べて食感を確かめたのかい?」
「いえ、一般的には食感からイメージした動物ということらしいですよ。だから先生、ほら、ティラノサウルスとかまであるじゃないですか。さすがにこれは私も初めて見ましたが」
「な~んと!まさかまさかとは思うが、DNAから再現したということか~!?」
「培養には確かにDNAを用いますが、恐竜のDNAの復元に成功した、という話は未だ聞いたことがありません」
「そうか。でもちょっと興味はあるな。では、私はティラノサウルスのもも肉にしよう!」
リヤマ博士のディナーが決定しました。
「なんとなく堅そうな気がしますが」
ウサミさんは心配そうな声でけん制しました。
「いやいやウサミ君。私は、どちらかというと鶏に近いんじゃないかと推測しているんだが」
そもそも人工肉は、通常価格であっても本物の肉と比べてお手頃な値段です。
ただ、百グラムが八百マルという人工のティラノサウルスの肉が、本物と比べて相場より安いのかどうかはわかりません。
ちなみに"マル"というのは、大災厄の後に全世界共通となったお金の単位です。
「こちらの牛ヒレは完全植物由来の原料のみ使用とありますね。私はこれにしようと思います」
百グラム、四百マル。ウサミさんのディナーも決まりました。
「それにしても畑のお肉といわれる大豆が、人工とはいえ本当のお肉に生まれ変わる時代がくるとはねぇ」
「あれ?閣下。この地図を見て下さい。お店の地図」
ヤマネ君は何かに気が付いた様子です。
「この場所?」
「お豆腐屋さんですよ」
「そうなのかい?私はヤマネ君ほど商店街には詳しくはないから」
「しかも、この精肉職人の名前。お豆腐屋さんのご主人です!」
「なるほど。二足の草鞋を手に入れたってことかな?」
「いえ。それが実は少し前に、僕はこのご主人から、商店街の組合でタブシーウに慰安旅行に行くから一緒にどうかって誘わたんですよ。ムスターハ城は組合とは関係ありませんからお断りしましたけど」
「そんなことがあったのか」
「修行って。まさかの工場見学のことだったのかも!?」
などという妙な憶測もありましたが、実際にはお豆腐屋さんのご主人は代々継がれてきた家業を息子に譲り、自らは、地元に帰る以前に勤めていた会社での経験を基に精肉業を始めてみた、ということだったようです。
しかし突然ですが、ここまでの話は、あくまでも物語の序章にすぎなかったと申し上げておきましょう。
本当に大変な事件は、この日の午後に起こったのでした。
その日の夕方、そろそろディナーの仕込みが始まっているころかなと、いつになく興味を抱いていた公爵が厨房を覗きに行った時のことです。
そこで公爵が目にしたのは、厨房の隅で膝を抱えてうずくまり小刻みにプルプルと震えているヤマネ君を、割烹着姿のお菊さんが必死で慰めている有様でした。
「どうしたんだい、二人とも!? ヤマネ君、そんな隅っこで縮こまって。」
「閣下……」
「何だい?ヤマネ君」
「僕の……僕の小切手が……」
と言いながら手に持っていた何かを、ヤマネ君は泣き顔のまま差し出したのでした。
「小切手???」
お菊さんは、うずくまっているヤマネ君から一旦それを受け取ると、そのまま公爵に手渡します。
「ご覧下さい」
ヤマネ君は、よほど恨みでもあるのか、涙目のままその小切手を指差すのでした。
「確かに二億マルと書かれているね。署名も捺印もある。これはどうしたんだい?」
「実はかくかくしかじか……」
あまりの悲しみに声も出せなくなったヤマネ君に代わって、お菊さんが事の顛末を話し始めたのでした。
その日の午後、ヤマネ君はお菊さんを伴ってバスで商店街へと向かいました。
いつもの如く商店街を梯子しながら、食材や生活用品を調達するためです。
用意していた買い物リストをもとに、最適なルートを案内してくれるのは、やはり高性能なお菊さんならでは。ヤマネ君は毎度助けられているのでした。
最後に精肉店に寄って皆のリクエスト通りの肉を購入すると、荷物はすでに一人では持ちきれない量になっていました。
それなりに重量はあるのですが、そこもアンドロイドのお菊さんの出番。いつも通りの着物姿で、何食わぬ顔をして両手に荷物の入ったバッグをぶら下げています。
「やっぱりお菊さんがいてくれると助かるなぁ」
買い物を終えた二人がバス停に着くと、次の便まで十五分の時間がありました。
いつもなら、そのバス停の脇にある雨除けの小屋でボーッとして時間を潰すのが常なのですが、今回はお菊さんから意外な提案がなされたのです。
「ヤマネさん、ご存じです?実はこの裏手に神社があるんです」
「そうなんだ!」
「私もこの前発見したばかりなんですよ。その階段を上ってすぐのところなんですが、時間もありますし、よろしかったらお参りしてみませんか?」
「いいね。行ってみよう!」
小屋からは見えにくい位置にある急な階段を二人して上ると、その先には少々朱が剥げた鳥居と、その奥に小さな本殿ありました。
階段を上りきったところに立てられている札を見るに、どうやら地元で信仰されているお稲荷さんのようです。
境内に着いた二人は、荷物を脇に置き、賽銭を入れると二礼二拍の後にお祈りしたのでした。
静かにお願いをするお菊さんの隣で「大金持ちになりますように。ほんでもって貴族になれますように」
と、ヤマネ君は大きな声で願いを口にしたのでした。
「大きな声でお祈りされるのですね」
お菊さんは愉快げに手を口に当てて笑っています。
「大きな声で言わないと神様に届かないかもしれないからね。どこにいるかわからないんだから」
「私は神様なら、心の中でお願いしたことまで聞いてくれると信じてますよ」
「そういうお菊さんは、何をお願いしたの?」
「私は、ヤマネさんの願いが叶いますようにってお祈りしておきました」
「わぁ、ありがとうー!!」
その時です。
『大きな声は遠くなったワシの耳にもしっかり届いたぞ。信心深いそなたの願いはしかと受けとめた』
その声は本殿の方から聞えてくるようですが、空耳でしょうか?
二人は顔を見合わせました。
『ここを去って後、一番最初に手に掴んだ物を大切にするように。その物がきっとお前を願いへと導いてくれることであろう』
「あなたは?」
「一体どなたですか?」
その問いに対する返事はありませんでした。
声の主を突き止めようと、ヤマネ君は境内を回りましたが何も見つかりません。
そうしている間に、バスが来る時間も近づいてきています。
あきらめて帰ろうとした時、階段の手前から見下ろすと、少し先の交差点をバスが曲がって来るのが見えました。
「お菊さん、急ごう」
慌てたのが良くなかったのでしょうか。急な階段の最後一段でヤマネ君は踏み外し、地面に突っ伏してしまったのでした。
「ヤマネさん!大丈夫ですか!?」
「みゅうぅぅ。お肉が~」
「お肉なら大丈夫そうです。それよりお怪我は?」
それと同時に、バスのクラクションが聞えました。
急いで立ち上がり土を払おうとした時です。ヤマネ君は自分の左手が“わらしべ”を握っているのに気が付いたのでした。
「あっ!」
「どうしました?」
「一番最初に手に掴んだ物……大切に。……大切に」
そう呟くヤマネ君を見て、お菊さんも彼が何かを掴んでいるのに気が付いたのでした。
バスに乗り込むと、ヤマネ君は、席に座るや先ほど買ってきたばかりの瓶にわらしべを詰め込んでいます。
「あら、それはさっきジャムを詰めるっておっしゃられていた瓶ですのに……」
微笑むお菊さんの言葉に気付いているのか、ヤマネ君は宝石でも見るかのようにわらしべが入った瓶を、夢中になって眺めています。
AFV(Autonomous Floating Vehicle)すなわち、空中を走るバスですから振動はありません。
凹凸のあるガラスの瓶が中身にキラキラとランダムな光を落とすのは、ヤマネ君が瓶を回しながらいろいろな角度から見ているからです。
時々虹色の光が当たると、ただのわらしべのはずが、何故か神秘的にも思えるのでした。
窓を背にする形で向かい合わせに配置された長い座席の片側に、二人は並んで座っています。
次の停留所が近いことを告げるアナウンスが車内に響くと、しばらく後に停車したバスは、昇降口を開き、新たに一人の客を乗せたのでした。
薄灰色の上質な生地のスーツに身を包み、黒い大きな鞄を下げた初老の男性は、整えられた口髭の魅力もあって、とても知的に感じられます。
男性は二人の向かいに座ると、脇にその鞄を置きました。
瓶に夢中になっているヤマネ君とは違い、その男性の様子を逐一伺っていたお菊さんですが、座席に座った直後からその目がヤマネ君が持っている瓶に釘付けになっているのも見逃してはいませんでした。
「すまないが、君。その瓶を私にも見せてはもらえないかね」
そう言って男性は手を伸ばしましたが、ヤマネくんはその瓶を渡さず、代わりに身を乗り出す男性の顔の前に掲げたのでした。
「ほぉ、やっぱり……。うん、間違いない」
男性は体を座席から浮かせながら瓶を左右から眺め、しきりに関心しています。
「君はこれが何だか知っているのかい?」
もちろん知っています。神社の前で拾ったわらしべです。
ヤマネ君は無言で首を縦に振りました。
「これがいかに貴重な物であるかといのも?」
もちろんです。神様のお告げのわらしべなのですから。
ヤマネ君は再び首を縦に振りました。
「うーむ」
その時、男性の鋭い眼差しが、獲物を狙うキツネのように鋭く光りました。
男性はおもむろに内ポケットに手を差し込むと名刺入れを出し、そこから一枚引き抜いてヤマネ君に差し出したのでした。
「私はこういう者です」
ヤマネ君は、名刺を受け取り目を通すと、お菊さんに渡しました。
山ノ中大学 理科学部 生物学科 客員教授 アカギ・ツネオ
「大学の先生でいらっしゃいますか?」
お菊さんが書かれている通りの事を尋ねると、男性は「いかにも」と答えながら、指でつまむようにして口髭をなでました。
そしてその目は再びヤマネ君の方に向けられます。
「どうかこれを私に譲ってくれないだろうか」
ヤマネくんは、今度は首を横に振りました。
「もちろんタダでとは言わないよ。君の望むだけの額は出そう。いくらなら構わない?」
突然の申し出にヤマネ君は驚き、思わず瓶を持っていない方の手を開いて、男性に向かって突き出したのでした。
「五千万か」
ヤマネ君は、今度は提示されたその額にさらに驚き、慌てて首を横に振りました。
「だろうね。……ということはやっぱり五億?それだと私にはちょっと無理だ」
ヤマネ君がさらなる衝撃に思わず固まっておりますと、
「冗談だと思ったかい? わかった。一億。いや、駆け引きなんかするべきじゃないな。二億出そう。それ以上となると私には無理だ。どうだろう、ダメかな?」
と言われ、ヤマネ君は思わずスッと瓶を差し出してしまったのでした。
男性はすぐさま瓶を受け取ると、ポケットから裸のままの単眼鏡を取り出し、それを右目に当てると改めてじっくりと観察を始めました。
「間違いない。まさかこんなところで手に入れられるとは」
男性はその瓶を鞄に収めると、代わりに小切手帳を取り出しました。
そしてそれを開き、一番上のページに二億マルという金額を書き入れると、署名捺印をして丁寧な仕草でヤマネ君に手渡したのです。
お菊さんが隣から覗き込み、記されていた大手銀行の名前を読み上げると、男性は静かに頷いたのでした。
その銀行の支店は、ここからだと少し離れた場所になりますので、本日中の換金は時間的に無理そうです。
男性はここで降車ボタンを押しました。それと同時に車内には、次のバス停で停車するアナウンスが流れます。
「これが本物なら、ボクも貴族になれるかなぁ」
ヤマネ君がお菊さんに向かって呟いた時、バスは少しの振動もなく停車しました。
「もちろん本物だとも」
そう言った男の声に、お菊さんはハッとしました。今更ながらですが、神社で聞いたあの声によく似ているように感じられたのです。
けれどもそれを確かめることは、もうできそうにありません。男は「じゃあ」とだけ言い残して、すでにバスを降りてしまっていたのです。
再びバスが動き出した際に目にした二人を見送る男の笑みは、それまでとはまるっきり違い、何かを企んでいるかのような怪しさを感じさせるものだったのでした。
「で、これがその……」
「はい」
公爵はお菊さんから手渡された小切手を、裏返したり表返したりして何度も確認しました。
「小切手」
「はい」
しかしそれはどう見ても、二億マルという額とともに署名捺印がされた葉っぱでしかなかったのです。
おわり