9 平穏の星明かり亭
「本当はね。ぜんぶ金髪だったのよ。昔は」
夜の辺境都市ノルヴァは、あいかわらず賑わっている。入り組んだ小路に建つ離れ家。小洒落た一軒宿。『星明かり亭』は今日も大盛況だった。
女将のサラはカウンター席の客に酒を振る舞い、自身のこめかみからこぼれ落ちる後れ毛を一房つまむ。それは店内をやわらかく照らす灯火を受け、飴色の艶を放つ鼈甲のようだった。
赤髪の青年客は肘をつき、まぶしそうに目をすがめる。
「綺麗だね。今の髪も……あ、二十二年前のきみも綺麗だったんだと思う」
「お上手ね、と言いたいけど。そこは数字を伏せなきゃいけないところだわ。はい、減点。本日のおすすめ、アロニア鶏の根菜巻きはおあずけです」
「サ……、女将!? 頼むよ、この通り」
青年は、ちょいちょい、と指で招き、笑っていない笑顔を近づけたサラに小声で囁く。
「(正直に言おう。今朝がた離宮を抜け出して、ずっと食べていないんだ。限界でね。さっきのは本心だが、貴女を怒らせるつもりはなかった。悪かったよ)」
「…………どこでそんな手管を覚えたんだか……。はい、どうぞ。お代は王宮につけておきますね」
「ありがたい! 恩に着る」
あざやかな赤毛に青い瞳。精悍な眉と通った鼻筋。ひとめでまぁまぁの男前と認めざるを得ない王家の四男坊――アルゼリュート王子は、またしてもお忍びで『星明かり亭』を訪れていた。
季節は初冬。
サラは、彼を連れて堂々と入らずの森に入り、本人の依頼をこなして帰還した。あれから二ヶ月が経過していた。
ノルヴァに帰還後、討伐した女の魔物は『黒靄の夢魔』と呼ぶことになった。
消滅はさせたものの、魔石を残さない魔物などベアトリクス王国史上初だ。
ともすれば虚偽の報告と受け取られかねなかったが、依頼者であるアルゼリュート本人が居合わせたこと。稀代のA級冒険者パーティ『竜狩り』が同行したこと。また、現・冒険者ギルドマスター、オルタネイル氏の養女の手柄とあっては有耶無耶にされなかった。
サラ自身は、いまの自分をかりそめの姿と心得ている。
故に目立ちたくはなかったが、王子の証言は誤魔化しようがなく、多額の報奨金とともにいきなりB級冒険者の位階を得てしまった。
おかげで店には破落戸が寄り付かなくなったけれど。
バケットの薄切りや、店のまかないシチューもカウンターに並べつつ、サラは溜め息をつく。
「第一、なんでまた家出を? 森から帰ったあの日、私はあなたを冒険者ギルドに引き渡しましたよね。あっちのマスターは公明正大な人格者です。お迎えのかたには事情が説明されたはずでしょう」
「ああ。父も兄も、やっと私の言い分を信じてくれた。単なる我が儘の出奔ではなかったと認めてくれたよ。礼を言う」
「ではなぜ? 離宮と言いましたね。ノルヴァにはないから湖都グレイシアかしら。乗り合い馬車で半日かかる…………当たり?」
「そう」
一国の王子が大衆食堂で肉を切り分けながら、重々しく首肯するのはいささか滑稽だったが、サラは突っ込まなかった。トクトクとグラスにワインを注いで置いてやる。アルゼリュートは、品よくそれを口にした。
「グレイシアは叔父上が治める直轄領だから。ゆくゆくは公爵として、領地経営を学ぶために遣わされたんだと……信じていた。昨夜までは」
「? 何があったんです」
「寝室に、罠が仕込まれていたんだ」
「!! 大ごとじゃありませんか。まさか!?」
すわ暗殺か、の一言をぐっと飲み込む。
アルゼリュートは、サラのそんな様子にひらひらと片手を振った。
「いや違う。すまないね。わが家の名誉にかけて仔細は伏せるが…………。その、妙齢の女性が潜り込んでいて」
「姫君ですか」
「!? 伏せるって言ったよね?」
「失礼いたしました。で? 事なきを得たと?」
「もちろんだ! いくらなんでも相手に失礼じゃないか。こっ、婚儀も結んでいないのに」
「そうですよねぇ。同感です」
なるほどなるほど、と頷いたサラは、洗い終えたグラスをリネンのクロスで丹念に拭いてゆく。
店内はいい感じに盛り上がっており、誰も彼もがほろ酔い加減。端っこのカウンターには常連も近づかない。四方から上がる注文の声に、お店の子たちは実によく働いてくれている。
(今日はお給金を弾まなきゃ)と、やや現実逃避気味に視線を投げかけると、ちょうど目が合った女給のルチルがウィンクして来た。……解せない。
――――――
「サラ。それでね」
「『女将』とお呼びください、と申しあげましたよね? アルゼさん」
「女将殿」
殿、は要らないんだけどな、と思いつつ、サラは如才なく微笑む。
キュッ、と音が鳴るほどぴかぴかに磨いたグラスを後ろの棚に置いて振り向いた。
――……振り向かなければ良かった。
お皿を綺麗に平らげた王子が居住まいを正し、頭を下げている。嫌な予感しかしない。
どうしよう、場所を変えるべきか……と躊躇したとき、おもむろに彼は口をひらいた。
「ここで働かせてくれないか。大丈夫。父には絶縁状をしたためてお…………っ、むぐ!?」
サラは、ついつい過日の動作を再現した。カウンターの上に身を乗り出し、両手で勢いよく王子の口に蓋をする。
それから、渾身の圧を込めてにこり、とした。
「アルゼさん。何度も、何度でも申しあげますが。――――星明かり亭は、そういう店じゃないんですよ」
〜了〜
あぁあ……! 突然の連載を失礼しました(震え
まだまだ続けられる素地のある物語ですが、ひとまずの完結とします。
もし、続きのひとかたまりが生まれたら、そのときは完結後連載→章編成か、シリーズとして括らせてください(*´人`*)
お読みくださり、ありがとうございました!