8 宿願の討伐
(絶対来ると思った……! いまは、とにかく王子から距離を取らせないと)
「ガレオ、援護! ロンはアルゼを守護! フィリータは入り口に炎壁! 逃がさないで!!」
目を瞠るアルゼリュートを背に躊躇なく踏み込む。躱されることは想定済み。渾身の突きを魔物の女に繰り出しつつ、サラは瞬時に『竜狩り』の三名をめざめさせた。それぞれが機敏に動き出すのを視界の端に収め、内心胸を撫でおろす。
ちっ、と舌打ちし、赤い唇を歪めた女が毒づいた。
「逃がす? 冗談でしょ。わざわざ死にに来るなんて、愚かな人間どもね」
「あんたを生かしておくほうがよっぽど害悪だし、愚かな所業よ。学びがないのね。さすがは魔物」
「! 魔物……のっ、王とお呼び!!」
「は? どこが? ひとの力を奪ってのさばってるだけじゃない。盗人たけだけしい! おまけに図々しい!」
舌戦もさることながら、似た容姿の美女と美少女が互いに睨み合い、激しく斬り結ぶ。前者は長く伸びた黒い爪で。後者は白銀の片手剣で。洞窟内のあちこちに白と黒の火花が散った。
右手のみを硬質化させていた女は、意識を取り戻してサラの援護に加わったガレオに対処すべく、左の爪も武器化させている。一対二の膠着状態にぎりりと歯噛みした女は、やがて醜い形相で天を仰いだ。
「うるさい、うるさい! うるさいーーッ!!!!」
「……! ガレオ、いけない。避けて!」
「!! ぐうぁあ!」
刹那。
女を中心に黒い炎が立ちのぼる。
ちり、と頬の産毛を焦がす熱波の予兆を察知したサラは本能的に飛び退ったが、逃げ遅れたガレオが炙られた。
なんの、と踏みとどまるガレオの首根っこを掴み、サラはすばやく神聖魔法を行使した。
高位の回復魔法だ。ガレオの痛みを和らげ、衣服に燃え移った黒炎を消し、顔と腕の火傷をみるみるうちに治してゆく。
仲間の窮地に、洞窟の入り口で控えていたフィリータは思わず叫び、ロンは痛切な表情を浮かべた。
「ガレオ……!」
「サラさん! だめだ、でかい魔法は……貴女が!」
「っ、そんなこと言ってられないでしょうが」
――――行使していながら吸い取られる感覚。
慣れたくはない。根幹のなにかを削がれる。具体的には……
「サラ!? きみ、なぜ……体が?」
見なくともわかる、アルゼリュートの狼狽した声。
サラは、目線が低くなったのを感じた。剣が大きく、重く、衣服も一回り緩くなったのを感じた。不機嫌に目を細める。
いっぽう、黒炎のなかで佇む女はニヤニヤとしていた。
「ああら。まだ持ち堪えられるの。すごいわねぇ。いい宿主だわ」
「……黙れっ……、きもちわるい、化生!」
謝罪の念を向けるガレオを押しやり、サラは再び女と相対する。
アルゼリュートは、女を「新種の魔物では」と予想していた。流石は素養ある王子というべきか。事実、そのとおりだった。
◆◇◆
サラは二十二年前の大討伐のあと、ひとり、焦土を前に立ち尽くした。
黒焦げの死骸の海。炭化した森の木々。防御がてらに乱発した落雷雨による地面の陥没などへの罪悪感ではない。
むしろ、魔物が飽和状態だった森の手前を焼くことにより、辺りはかつての静けさを取り戻していた。
一時は空を埋め尽くした魔鳥の影すらないのだ。味方の損害はゼロ。達成感くらいあってもいいところだった。それが。
――ぽつん、と地に落ちるみずからの影から目を離せずにいた。控えめに見てもおかしい。ちいさい。まるで、ふつうの女性のよう。
鎧はサイズが合わず、肩からずり落ちて不格好だ。思い通りに動かせたはずの四肢は頼りなく、筋肉がごっそり落ちている。大剣が重い。
おそらく、B級クエストなら辛うじてこなせる程度の弱化。
そのことを察し、街に戻ることもできず、サラは悄然と項垂れていた。
その後、なかなか戻らないギルドマスターを迎えに来た後輩の善意で、サラは秘密裏に保護された。
匿われている間は必死に調べ物をした。恩人でもある後輩――サラに代わってギルドマスターに就任したハリー・オルタネイルも親身に協力してくれた。
結果、何らかの方法で繋がれてしまった、あのときの靄に長年の研鑽を。過ごした時間そのものを吸い取られたのだと結論づけた。
収奪の契機は魔法。使った魔法の大きさに比例して吸い取られる時間も多い。
……記憶が消えなかったのは、不幸中の幸いだったのかもしれない。
◆◇◆
「やっと……、やっと見つけたんだもの。刺し違えてでも葬ってやるわ」
「あら怖い」
「王子の人生までめちゃくちゃにされたら、たまったものじゃないのよ!」
「ふふん。人聞きの悪い。力もだいぶ戻ったことだし、王族でもさらって精を吸い尽く……失礼。伴侶にしてやろうと思っただけよ」
「!!? 今、とんでもないことを!??」
「いやぁね。プロポーズしただけよ、王子様」
「やめてくれ……サラと似た顔で、そんな」
「へえ? ふうん?」
ちろりと流し目を送った女が黒炎を鎮める。それから、外見年齢が十五歳程度になったサラと、王子を交互に見つめた。意味ありげな嘲笑を浮かべて。
「『これ』が、あなたの好みの顔で良かったわ。さ、おいでなさい。こいつらを殺されたくないなら」
「!」
剣を向けるサラが見えないような足取りで女が近づく。
すると、ぞわりと総毛立つアルゼリュートの側からロンが離れた。大盾を構え、気迫を込めて女の前に立ちはだかる。
サラは――何も言わない。
魔物の女は、やれやれと頭を振った。
「面倒ね。仕方な…………ん?」
いつの間にか、フィリータも。ガレオもほぼ等間隔に歩み寄っていた。洞窟の入り口側からフィリータ。奥からガレオ。そして、壁際でずっとアルゼリュートを守護していたロン。
異変に気づいた女が眉をひそめる――と、同時に『竜狩り』の三人の胸元が銀緑色に光った。
彼らを結ぶ正三角形を基礎に、宙に浮かぶのは光の文字。走る文様と複雑な線。それらに照らされた女はあきらかに狼狽え、目を剥いて逃げようとしたが、ロンが突進した。
光の陣は消えない。示し合わせていたのか、真剣な顔をした王子がロンから譲り受けたペンダントを手に、陣を維持している。
「うおおぉ!! 食らえ!!」
「ッ、がはぁ!!!」
ロンの強烈なシールドバッシュを受けた女は転倒し、したたか後頭部を地面に打ち付けた。そのまま全体重をかけて押さえ込むロンから逃れられず、もがく女の耳に足音が近づく。サラだ。
「無策でお前のねぐらに向かうわけがないでしょう。観念するのね」
「や、やめ……」
「やめないわ」
「――――!!!!」
サラは、躊躇なく両手で剣を逆刃に構え、魔物の喉に突き立てた。
事前に『竜狩り』に渡しておいたのは、後輩に匿われてからの十数年をかけ、少しずつ魔力を込めて錬成した魔封じのペンダントだ。
いつ、なんどき見えるかわからない。それでも靄を見つけたら、今度こそ動きを封じて仕留めなければ。その一念だった。
「おかげで、せいぜい二十代半ばだった見た目が、十代後半になる程度は費やしたけどね……」
返事はなかった。
しゅう、しゅうという音も消えたとき、魔物の女の体は影ひとつ残さず消え失せた。
サラは、地面に突き刺した剣先を引き抜き、ゆっくりと肩を上下させた。
マントの端で軽く拭い、腰の鞘に戻す。
さらり、と華奢な背に髪が流れる。
その色は、黒と金のまだらだった。




