7 飛んで火に入る【ピーー】※伏せ字
――――リュー……じ、アルゼリュート王子。聞きなさい、あたしの声を。
(? 誰、……だ? 私を呼ぶのは)
「呆れた。なんて薄情なひとかしら」
「え、…………!!!! わっ!? いつの間に!!」
アルゼリュートは叫び、同時にあらゆる違和感に思考が停止した。
寝入ったはずだった。
確か、今日は森に入って二日目。サラが導くままに一行は順調に歩を進めた。蜥蜴人の群れを撃破し、湿原を迂回し、うまく灰色の山の麓に辿り着きさえした。
その時点で日暮れ前。サラは難しい顔で山頂を睨み、手ごろな洞窟を見つけて今夜の宿としたのだ。
辺境都市を発つ前にかけてもらった神聖魔法の効き目は絶大で、アルゼリュートは、道中いちども夢を見なかった。
だから、安心しきっていた。
それゆえの無防備に不安が重く伸し掛かる。金縛りにあったかのように体は仰向けのまま。指一本動かせない。
アルゼリュートは、自分を足元から見下ろす女が悪夢の担い手で、かつサラの力を掠め取った元凶なのだと痛感した。
さらり、と、おろした長い黒髪が揺れる。瞳は神秘的な琥珀。造形も彼女と似ている。だが、決定的に違うのは禍々しさと表情。不遜な態度に外見年齢。それらは似ても似つかなかった。
カツ、カツ、と、洞窟に不似合いなヒールの音が響く。夢のくせにやたらとリアルだ。黒衣の女は髪を耳にかけながら色っぽくしゃがみ込み、アルゼリュートの顔を見ながらうっそりと微笑む。
(サラは、こんな嗤い方をしない)
ぎっと睨めつける王子に、女は可笑しくてならないと哄笑した。
「あっははは! しばらく見ない間にずいぶんと強気になったのね。あたしから逃げられるとでも思った? ふふっ、残念。馬鹿なところも可愛い、あたしの王子様」
「巫山戯るな……! 魔物ごときが!」
「――は?」
「ッ!」
啖呵を切ったとたんに女の周囲の温度が冷えた。
氷点下と見紛う、つめたい虚無のまなざしに蔑みのかたちの紅唇。それすらも怒りを焚きつけられる要因ではあるが、アルゼリュートは口をつぐんだ。乱暴に顎を掴まれ、物理で遮られたからだ。
ばくばくと跳ねる心臓を宥めすかし、挑む顔つきは意地でも崩さない。そのさまを、女は冷笑で堪能している。
「跳ねっ返りなのも大好きよ。調教のし甲斐があるわ」
「……」
「ねえ、まだ夢だと思ってる? これ」
「!」
王子の顎から手を離し、代わりに頬を撫でる。髪の生え際を、服越しに首や鎖骨辺りをゆっくりと這う指にぞわぞわとしながら、アルゼリュートは軽く絶望した。
「まさか……現実なのか? ここに、来ていると?」
「正解よ。こんな結界、いまのあたしが直に来ればなんてことないもの。ほら」
女が指を鳴らすと、パリィン……、と、薄氷が割れたような音。洞窟の入り口側だ。
サラが張った神聖結界が壊されたのを如実に体感し、今度こそ悪寒が這い登る。それでも気丈に言い返した。
「っ、馬鹿は……そっちだろう。ただで帰れると思ったか? ここには『竜狩り』と――」
「ああ、あなたを送ってくれた人間どもね。少しは腕が立つみたいだから、深ぁく寝てもらってるのよ」
「な、何ッ!?」
青ざめる高貴な顔に、女は徐々に気を良くした。くつくつと笑う。
「楽しみねえ、あいつら、目が覚めたらどんな顔するかしら。血の海にしないのを感謝しなさい? さ、おいで」
「やめろ! は……、離せ!!」
嬉しそうな女が舌舐めずりをしながら王子の襟首を掴み、軽々と体を起こさせる。アルゼリュート自身は見えない縄で縛られているようで、まったく動けない。
獲物が無抵抗なのを良いことに、女は恍惚と顔を寄せてくる。それを、アルゼリュートは、ギュッと目を瞑って堪えるしかなかった。
(サラ……、サラーシャ!! 助けてくれ、頼む!!!!)
――――――――
一瞬あと。
ひやりとした感触が唇に触れた。夢で何度も貪られたように、女に口づけられると覚悟した王子は、ハッと刮目する。
硬質な、平たい。それは、一振りの剣だった。
「そこまでよ。かかったわね変態。泥棒、間抜け、私史上最低の卑怯者。アルゼリュート王子を離しなさい」
「!!?」
旅のさなか、いちども抜かれることはなかった。
白銀に輝くみごとな剣身は聖属性が付与されているのだろう。音もなく近寄り、就寝時に解いた髪をそのまま背に垂らしている。目を怒りで黄金に輝かせているのは迫力の美少女――サラ・オルタネイル。
もとい。
伝説の女冒険者、『サラーシャ・ナーガ』の姿があった。