5 伝説の女冒険者
(さて、と。これで向こうに勘付かれたかしら)
いくら魔物が跋扈する“入らずの森”とはいえ、サラが記憶する限り、こんな浅い地域で大型飛竜が出ることなどそうそうない。深部から放たれた斥候の可能性がある。
サラは手早く朝食を終え、持ち出すのに苦がない程度のレア素材を梱包。背嚢に詰め込んだ。いざ出立、という段階で柔和な笑顔のロンが片手を差し出す。
「オルタネイルさん。それ、持ちますよ。魔石もでかしい重いし、移動に邪魔でしょう」
「ありがとう、ロン。悪いわね」
「いえいえ」
盾職らしくがっしりとした体躯のロンは、軽々と荷を受け取った。
サラは、今回の探索において入手した素材をすべて“竜狩り”の取得物にして欲しいと願ったが、メンバーの全員から固辞された。
それゆえ、可能な限り自力で運ぶ心づもりだったものの、運搬の申し出は素直にありがたい。
――昔ならいざ知らず、現在の自分に過ぎた荷は負担だ。
よって、彼らの好意に甘えて最速で森の深部をめざす。それは、たんに闇雲に突き進むという意味ではなく。
サラは目をすがめ、高い木々の上にそびえる灰色の山肌をスッと指さした。
「アルゼを悩ませた魔物は、私にとっては仇敵みたいな奴なの。だから、あいつの魔力そのものに馴染みがある――――貴方はばっちり繋がれてるから、相手の位置が手に取るようにわかるわ。あっちね」
「ばっ……、繋がれてる!?」
凛々しい眉をひそめ、不快そうに反芻した王子は反射でみずからの肩を抱いた。見えない糸に巻き付かれた気がしてゾッとしたのだろう。(※事実『そう』なので言わないでおく)
サラは、アルゼの首や腰にこびり付いて緒を結び、遠く山肌まで伸びる昏い力の残滓に目を凝らした。
荒縄のような形状。淀んだ黒。虚無の色。
あれが、本来のあいつが持つべき色だ。
(殿下は髪色も魔力も綺麗な赤だし、それで魅入られたのかもね。何にしてもお気の毒なこと)
「さ、行きましょう」
焚き火跡に土を被せ、おおまかな方向を先頭のガレオたちに伝えて再びの森歩き。露払いを完全に彼らに任せて進むサラの隣に、アルゼリュートはもの問いたげな顔で並んだ。
「サラ。差し支えなければ、教えてもらっていいだろうか。例の魔物とはどういう因縁が?」
「……」
嗚呼――やはり言わなければならないか、と吐息する。
前方では、すでに“竜狩り”が蜥蜴人の群れとエンカウントしていた。
さりげなく王子を後ろに庇いつつ、サラは辟易と思い出話を始めた。
◆◇◆
本名サラーシャ・ナーガ。出自は王国の北、ベロア。ただの村娘だったが、環境はちょっとおかしかった。両親や近所のおじさんおばさんたちに、漏れなく変わった二つ名があるという……
「二つ名?」
「そう。父は“大いなる癒しの御手”。母は“剛剣”。おじさんは“星の射手”とか。さすがに普段は恥ずかしがって名乗らないんだけど」
「えっ、ちょっと待って。ちょっと待って!? すまない。ベロアという地名に覚えはないが、みんな…………聞き覚えが」
「でしょうね。名を授けたのは先代国王陛下だから」
こく、と頷いたサラは、あっという間に蜥蜴人を殲滅したガレオたちに素材剥ぎの必要はないことを告げ、淡々と王子を振り返った。
「ごめんなさい。黙っていて」
「いや……その、こちらこそ。知らなかったこととはいえ、とんだ無礼を働いてしまった。まさか」
青い瞳をいっぱいにみひらき、アルゼリュートが息を呑む。覚束ない足取りでついてくる彼に、見かねたサラは手を差し出した。
――仮にも依頼主。待ち望んだ情報の運び手。おまけにやんごとなき王子殿下でもある。戦闘で穿たれた地面や、魔物の死骸につまづかれては目も当てられない。
夢見心地でサラの手に自身の手を重ねながら、ベアトリクスの末っ子王子は呟いた。
「英雄じゃないか。どれも――おまけに『サラーシャ・ナーガ』はかつて、わが国を危機から救ってくれた。稀代の女冒険者だ。でも…………っ、祖父の御代だと聞いている。どうしてだ? 彼女がギルドマスターを務めたのは第二次ノルヴァ戦役のころ。あれから、ゆうに二十年は経っている」
「やあね、女性の年齢を計算しちゃだめなのよ? アルゼ。正確には二十二年。貴方が生まれる前の話よ」
「あ、ああ。では……何故」
はくはくと口を開け閉めする王子に、くつりと笑いかける。ひょいひょいと事切れた蜥蜴人の残骸を避けながら、サラは器用に肩をすくめた。
「喰われたのよ。私の生きた時間を。培ったスキルを。あのとき、仕留め損ねた新種の魔物には生きものとしての形も声も、何もなかった。だからこそ逃してしまった……。ずっと、ずっと手がかりを探していたの。裏ギルドを経営しながら」
「! ひょっとして。『オルタネイル』は、現ギルドマスターの姓だと記憶している。彼とは?」
若干、混乱から立ち直ったらしい青年王子が手に汗をかいている。
繋いだ手のひらに湿り気を感じ、サラは、つくづく腹芸に向かない王子だなぁと眉を下げた。
「よくできた後輩よ。あり得ない若返りで素性を隠さなきゃいけなくなった私を、孤児と偽って養女に迎えてくれたわ。何年も匿ってくれた。宿を始めたのは三年前ね」
「“竜狩り”は、このことを?」
「そりゃもう」
視線を前に向ければ、爬虫類系の魔物の住処とされる湿地帯の手前で自分たちを待ってくれている三名が見えた。
……――何やらアルゼリュートを見つめるまなざしがいっそう剣呑になっていたので、にこっと微笑みかけて。
「彼らは私の直弟子よ。ガレオもフィリータも、ロンも。まだ子どものころから技を叩き込んだわ。すこぶる筋が良かったの」