6 猫かぶりと自称魔法使い
夢かな、と、ディエルは思った。
“――いい? ディエル。あなたは今日から将来を嘱望される有能な冒険者よ。なんならとびきりの功績をあげた剣士でもいい。あながち間違いでもないのだから自信を持って。くれぐれも口を開けてぼうっとしたり、キョロキョロしたりしないこと。そんなことをしたら魔物(※比喩)の餌食になるからね。受け答えはしっかりと。謙虚に控えめに、堂々と!”
サラからは事前に、「貴族を前にしたときの身の処し方」について徹底的に教わった。移動中の宿の一室では、本物の王族であるアルゼリュートを前に見本を見せてくれた。そのアルゼリュート王子からは、テーブルマナーや話し方、立ち居振る舞いなどに加え、実際の貴族の相関図についても容赦なく講義を受けた。もう頭はパンパンだ。何も入らない。
それくらい真剣に知識を吸収した。でなければ、今ごろとっくに失態を晒している。
湖の都グレイシアはどこもかしこも整って、迎えてくれたセザルク公爵は物語に出てくる国王陛下のようだった。
領主館――というには広大すぎる城――の内部は、隅から隅までじっくり眺めたくなる壮麗さ。白亜の壁にクリスタルの天窓。金の燭台には魔法灯が揺らめき、何もかもがきらめいてまぶしい。
そんな謁見の間にノータイムで通され、居並ぶ衛兵や偉そうなお貴族様たちにじろじろ見られて。生きた心地がするだろうか? そんなわけがない。
しかし! と、気合いを入れる。
これさえクリアすれば、サラにひとつだけ願いを叶えてもらえる。
かなり面倒をみてもらっている自覚はあるし、サラが破格の手練れなのも今ならわかる。がんばるのだ。
約束にこぎつけたのは旅の初日。
その夜だった。
◆◇◆
「え? 願いごと?」
「はい。ダメかな」
「んんん……私は、いまは、たまたまあなたより強いだけで。べつに神様ってわけじゃないんだけど」
「そりゃあわかるよ。たださ! 励みがないとこう、やる気が出ないっていうか」
「……どんな?」
「えっ」
「どんな願いなの?」
面と向かって問われて、ディエルは口ごもった。まだ口にできる段階ではないと思って。
夜も深まり、商隊の人びとは寝入っていた。自分たちだけがサラの結界で寒さを和らげたなか、焚き火の番をしていた。
つまり、護衛対象が寝入るまでみっちりと剣を教わり、そのあとは彼女が不寝番をするのに付き合いがてら【教養・一般常識】講習を受けていた。つらい。
こんなのが旅の間じゅう続くとは思っていなかった。
人間は鞭だけじゃダメだ。
飴が当然欲しい。報われたい生き物なのだから。
そう熱弁を振るうと、焚き火の明かりを受けてきらめく鼈甲色の髪がつややかに揺れた。白い横顔が向こうを向いている。顔を逸らされ、クスクスと笑われたのだ。
ディエルは、それにぼうっと見入った。
「いいわよ」
「…………え」
「いい、と言ったの。ただし、良識と私に叶えられる範囲でね」
「! もっ、もちろん。やったぁあ!!!!」
立ち上がり、天を仰いで両手の拳を上げるディエルに、サラはすかさず人差し指を突き出し、口に押し当てた。
“黙りなさい”の、古典的なやり方だ。
ディエルは思わずぐうと唸る。ときめいた自分が少しだけ悔しい。
サラは、にっこりと笑って首を傾げた。
「はい減点。深夜に騒がない」
「……わかりました」
「よろしい」
そうして、サラと過ごすたびに減点を下され続けたディエルが“頼むから最後のチャンスをください”とごねたのがここ、グレイシアでの仕上がり具合だった。
しょうがないなぁ、で済ませてくれたサラは。
――なんというか、本当に甘いと思う。
◆◇◆
セザルク公爵ラズライトはサラたちを私的なサロンに招き、早めの昼食会を催してくれた。しかも、滞在中は賓客用の別棟を自由に使っていいという。
現在は贅を凝らしたランチを終え、爽やかな香りのブレンドティーを供されているところ。まぁ、妥当かなとアルゼリュートは思った。
セザルク公爵は、隣に座るアルゼリュートにほくほくと話しかける。
「ところで、おう――」
「アルゼです。閣下」
「なんと。ここでも偽るか」
ひとの好さそうな風貌をしょげさせるふっくらとした御仁は憎めないが、一度すっかり騙された手合いである。変装中の王子はしずかに首肯した。
「たとえお人払いをしようと、ここが何処であろうと、私はしがない魔法使いです。お見知り置きを」
「儂は、こんなに肝の座ったしがない魔法使いを知らんのだが」
「世の中には未知のものがあふれていますね。閣下」
「すげないのぅ」
スン、と肩を丸める姿が愛らしいのは気のせいということにする。
やがて扉がノックされ、運ばれてきた食後茶を目の前にセットされながら、ちらりと斜めの席を見た。
ディエルは、いくらか表情が固かったが、まだボロは出ていない。
謁見の間でも粛々と落ち着いた態度をしていたし、言葉遣いもテーブルマナーも付け焼き刃にしては上出来だった。
(さすがはサラの弟子)
うんうんと頷くアルゼリュートのまなざしに気づき、教え子の青年が瞬間、うへぇと嫌そうな顔をする。
が、彼の向こう側に座るサラから肘鉄を食らい、即座に猫を被り直した。恋敵ながら天晴だ。
サラは、ディエルの正面席に座るパールレティアとも朗らかに会話をしている。
パールレティアがそわそわとこちらを向くたびに引き止めてくれるのは非常にありがたかった。
これも今回の旅の条件である。
正確には、譲れないふたつの条件があった。
――ひとつ、身分は伏せる。協力してくれなければディエルの講師にはならない。
――ふたつ、謁見が避けられないならパールレティアを止めてほしい。
意外な即答で二点とも許諾してくれたサラには驚いたが、到着してみればもっと気を遣ってくれた。父王からは再三説得を頼まれているだろうに、こういうところが律儀で好ましいと感じる。
諸々、複雑な心境ではあるが。
「わがままは言ってみるものですね」
「? それは、うちのお転婆のことであろうか」
「いいえ。――あ、閣下、そのことですが」
ハーブと柑橘の香気を湯気で楽しみながらお茶を含み、受け皿に戻す。
それは、辺境のしがない魔法使いにしてはあまりにも自然、かつ品位に満ちた所作だった。
「閣下のお目当ては彼でしょう。どうです? 功績をみとめてご令嬢の騎士に取り立てたいという、あのときのお気持ちに変わりはないでしょうか」




