2 悩める女将の裏事情
自身もくるくると両手に盆を持って働いたあと、カウンターに戻ったサラの元にガレオがやって来た。片手の大ジョッキを軽く掲げて見せる。
「やあ、ご馳走様」
サラは気安く肩をすくめた。
「こちらこそ、いつもありがとう」
「いや。座っても?」
「もちろんよ。どうぞ」
――灰色の短髪に精悍で誠実そうな面差し。ガレオは見目よく実力者なのでたいそうもてるが、筋金入りの愛妻家だ。
彼は、まだ少年だったころにノルヴァの冒険者ギルドに入った。血の滲むような努力をかさね、着々と昇進し、いくつもの功を立てて。
そうしてついにランクAになったとき、故郷の幼馴染を呼び寄せて結婚した。ここを披露宴会場にしたのだから、よく覚えている。
ちらりと視線を流すと、あとのふたりは吟遊詩人に小金を渡し、流行歌を奏でさせて顔を見合わせ、一緒に口ずさんでいた。あちらも秒読みかもしれないな……などと思いつつ。
コン、とジョッキを置いたガレオは声を低め、ぼそぼそと囁いた。
「で? オルタネイルさん。昼間、鳥文魔法くれたでしょ。何の依頼? 隠れ星のギルドのギルマスさん」
「ん〜、今回はあんまり乗り気じゃないんだけどね。ほら、後輩に泣きつかれると弱いから」
サラは蒸留酒を自分用のグラスに注ぐと、そっと視線を落とした。ガラスに透ける琥珀色は、サラの瞳のそれより一段明るい。
「人探しなのよ。相手は王族」
「え」
「名前をアルゼリュート。御年二十歳」
「ま……待って、俺知ってる。それ、まさかベアトリクスの末っ子王子……? やんちゃで有名な」
「そう。あの、やんちゃで超有名な。昨夜、お城を出奔されたそうなの」
「まじか」
こんこんと愚痴りながら、サラはグラスを傾けた。
――――ここが知る人ぞ知る宿屋なのと同様、サラにはもうひとつの顔がある。
表のギルドで達成不可能とみなされたクエストを相場の一,五倍で引き受ける裏ギルド“隠れ星”。女将であるサラは、そのマスターだ。
それは、サラ自身がかなりの高難易度依頼をさばくことのできるSランク冒険者「だった」ことに起因する。
……とある事情により、かつてのSランク冒険者「サラ」は消えてしまったが。
“隠れ星のギルド”は、かつて表のギルマスも務めたサラが、非公式で難事を引き受けるためのシステムだった。
もちろん慈善事業ではない。表のギルドの手に負えない事象のなかにこそ、長年求める情報があると信じて。
今のところ本命が流れてきたことはないが、過去のサラが生み出した制度は、現在の生活を支えるよい資金源になっている。
しかし、本懐を遂げるのは一体いつになることやら……
勤務中にもかかわらず酒杯を傾け、そんなぼやきが零れそうになったのは否めない。
なので、その後に訪れた唐突な人生の転換を、サラはほろ酔いで受け止めた。
――……と言うより、向こうから飛び込んできた。
出入り口のドアが、バァァァン!!! と開け放たれ、燃えるような赤毛の青年が立っていた。
「ここか!? どんな依頼も引き受けてくれるという闇ギルドは」
(名前ェ!? あと、もうちょっと穏便に来よう!?!?)
サラの内心のツッコミ虚しく静まり返る食堂内を、やたらと態度のでかい青年が闊歩する。
きりりとした瞳は青。煌めく魔石に似た、大変つよい光を湛えた色だ。
サラは眉をしかめた。
――何だろう。
何か引っかかる。
この風体、あの気配……どこかで。
ぼんやりと思案する女将の元まで一直線。赤毛の闖入者の靴音はそこで止んだ。
呆けるガレオの隣で青年が胸に片手を当て、すぅ、と息を吸う。その所作は宮廷じみてすらいた。
「私の名はアルゼ――」
「うわ!!!? ストップ!」
「んぐッ! むむー!?」
サラは身を乗り出し、両手でとっさに青年の口を塞いだ。
――どうしよう、どうしよう。わかってしまった。
これ以上彼に名乗りを挙げさせるわけにいかない。
至近距離で目が合い、相手が怯んだことを確認したサラはほほえみ、できるだけ慎ましやかに首を傾げた。
「いらっしゃい、アルゼさん。でも、誤解は解いておきましょうね。うちは、そういう店じゃないんです」
本音は「勘弁してくれ」。
一晩で二度目の通告だった。