1 家出青年たち
ディエルの回復は目覚ましかった。
もともと基礎体力が高く、筋力もある。おまけに若い。全治二十日はどこへやら、十日も経つころにはあらかたの包帯や固定具を取り去り、星明かり亭で給仕を手伝うようになった。半分はリハビリだ。
――あとの半分は。
「サラさーん! 四番テーブル追加、雪鹿の炙り串二人前ぇ!」
冬の終わりの晴れた夜。仕事を終えた冒険者たちで活気付くホールは今日も満員。大半は長期の宿泊客であり、雪のない時期にときたま現れる荒くれや余所者はいない。平和なものだった。
サラは「はーい」と気楽に応じ、カウンターの内側から厨房に内容を伝達する。ひらいた小窓からは調理の賑やかな音に紛れ、料理長から短く「了解」の声が上がった。
ふう、と吐息して振り返ったサラは、ウェイター姿の問題青年に視線を流す。
「ディエル。足は本当に大丈夫? べつに、わざわざわたしを介して注文を取らなくても」
――休んでていいのよ、と続く台詞は、子犬のような笑みに打ち消された。
ディエルはカウンターに肘をつき、うれしそうに斜めからサラを眺めている。前掛けがなければ女将を口説く客の冒険者そのものだった。
「やだなぁ。そんなにヤワじゃないよ。それに、さっさと借りた罰金払いたいし」
「ああ……」
まあそうね、と、サラは相槌を打った。
グラスを拭く手をキュッと止め、思案げに片頬を押さえる。まるで、かわいそうな子を見つめるまなざしになった。
「まさか、蓄えが全然ないとは思わなかったのよ。ずいぶんと派手に振る舞っていたから」
◆◇◆
ディエル・クラークスはノルヴァ近隣の出身で、実家は商家。幼いときから剣士への憧れがあり、彼を溺愛する両親にせがんで師をつけてもらい、剣を学んだらしい。
が、円満な親子関係は彼が十七になった朝に崩れた。
成人年齢に達したのだから軍に入隊するかと思いきや、突然の「冒険者に俺はなる」宣言。
堅実な両親はおおいに嘆いた。末っ子だからと今まで甘く育てたツケを痛感し、根気強く説得を試みたものの、ディエルは出奔してしまった。誕生日の翌日だった。
そうして、漠然と辺境いちの大都市ノルヴァをめざし、いくらか魔獣を屠りながらたどり着いたところ、件の多人数パーティ『キメラ』と出会った。
連中は、いかにも世間知らずな風体の青年が、剣の腕だけは光るものがあるのを見抜いたのだろう。最初は親切めかして恩を売り、宿の手配や装備の補充、ギルドでの雑多なやりとりを請け負った。言葉巧みに誘ったのだ。
――大勢で助け合ったほうが安全だし、儲けも増える。うちのリーダーにならないか、と。
結果、ディエルはめきめきと討伐数を伸ばした。ランクも上がったし、拠点も高級宿に定めた。サラに声をかけたのもそのころだ。
いま、当時の至らなさを仄めかされ、さすがにバツが悪そうにディエルがこめかみを掻く。
「耳が痛いな〜。もう財布は他人に預けないよ」
「それがいいわ」
「――ああ。そうしてくれ」
「って、うわ!? アルゼさん! な、なんで出てきたの」
不意に後ろから、焼きたての炙り串――――ならぬ、炙り串の皿を持ってきたアルゼリュートに声をかけられ、ディエルはのけぞった。
構わず、アルゼリュートはカウンターにコトリと皿を置く。
「治ったんだろう? 新人研修までに働いて身代を返そうというのは見上げた心意気だ。どうぞ」
「……どうも」
ディエルはじとりと視線を返し、トレイに皿を移す。テーブルに向かう前、抜け目なくサラに片手を振った。
「あざぁっす! 行ってきまーす、サラさん」
「うん。いってらっしゃい」
にこにこと。
あくまでも柔和に、ひらひらと手を振り返すサラ。
アルゼリュートは口の端を下げ、板に付いてきたコック服で腕を組んだ。
「サラ。甘やかしすぎだ」
「そう? ほら、うちにはなぜか家出者が居着くんだなぁって」
「それは…………前例は、私か?」
「貴方以外に誰が?」
「いないことを祈る」
「まあ!」
殊勝なことね、と朗らかに笑うサラは、今日はハーフアップにした黒金の髪を艶々と煌めかせる。
以前は幼い見た目を少しでも年長者に見せるため、髪型や化粧でできるだけ大人っぽさを演出していた。
(※あまり効果はなかった)
今や外見年齢が十代後半であるため、周囲もそれに見慣れて来ている。
(※と、本人は思っている)
ゆえに肩肘を張らず、動きやすい好みの装いで店に出るようになった。
それが、周囲にはどう映るのか。
「……」
目を瞑り、天を仰いだアルゼリュートが、育ちの良い大型犬のようにしずかにサラを見下ろす。
「何か? アルゼ」
「……べつに」
やんごとない赤毛の青年はコック帽を被り直し、横を向く。どうやら厨房へ戻るらしい。
サラは、その横顔に「あっ」と声を上げた。
「ねえ、貴方はどうするの? グレイシアから鳥文魔法が届いたでしょう。ねえったら!」
カウンターから身を乗り出す女将に、今度はやたらと立ち姿のいいコックが後ろ手を振る。
「もうっ」
サラはわずかに唇を尖らせる。
王子の寡黙な背中から察するに、〝教えない〟という意図だけは軽く読み取れた。




