9 領主館にて
翌朝。
サラが早朝業務を終え、留守にした丸一日ぶんの帳簿を付けたところで馬の嘶きが聞こえた。
(馬……こんな裏通りに?)
宿の扉を開けると、そこには立派なしつらえの従者服をまとった若者がいた。庭向こうの小路には豪華な箱馬車が停まっている。
金細工が施された馬車も、ぴかぴかの葦毛の馬も、下町界隈ではまずお目に掛かれない。王侯貴族のものだ。
若者はお辞儀をし、丁寧に口上を述べた。
「朝早くに申し訳ありません。サラ・オルタネイル嬢――ですね? 我があるじ、フォアロード辺境伯シリウス閣下の命により参じました。ただちに領主館へお越しくださいますよう」
「ただちに?」
「ただちに」
こくり、と、隙のない物腰で御者が頷く。
サラはしばらく思案ののち、肩をすくめた。
「構いませんが。ひとり、伴を連れてゆくことをお許しくださいね」
数分後。
サラは厨房からひょっこり顔を出したアルゼリュートを伴い、平服のままで辺境伯の客人となった。
領主館に到着したふたりは一階の応接間に通された。そこで、昨日遅くまで話し合いをしていた先客と出会う。
「ハリー! あなたも?」
「おう。閣下は律儀者だな。今朝いちばんに書類を届けたら、『そのまま待ってろ』ってさ。『関係者は一堂に集めたほうが良かろう』だと」
「律儀……」
きょとん、と瞬くサラとアルゼリュートに長椅子の隣を示し、ハリーはふたりを順に座らせた。
――まぁ、『依頼主』にも『キメラ』にも問題はあったからな、と。
サラは頷く。
「問題しかなかったわね」
「まったくだ」
腕を組み、同意したアルゼリュートも悩ましい顔をする。
……とはいえ、彼自身も問題人物であることに変わりはない。
おそらく、パールレティアへの個人的理解と警戒心の高さがそう言わせているのだろう。
先代と当代のギルドマスターは一拍後に顔を見合わせ、へらりと笑った。
◆◇◆
「では始めようか、諸君。待たせて済まなかった」
「閣下」
ややあって入室した領主の姿にサラとハリーが起立する。そのまま、折り目正しく一礼した。
ノルヴァ領主――シリウス・フォアロード辺境伯は黒髪碧眼の猛き美丈夫だ。かつてのノルヴァ戦役でサラに無理難題を吹っかけた当主の一人息子で、文武両道、頭脳明晰。成人前から周囲の期待を集めた逸材である。
シリウスが五年前に領主となって以来、ノルヴァは格段に治安が良くなった。防衛における冒険者ギルドとの連携もめざましい。その功績は王家の覚えもめでたく、一昨年は王女のひとりが嫁したばかり。アルゼリュートとは義理の兄弟となる。
おかげで王子との対面はおだやかであり、執務中は武神のごとしと恐れられるシリウスも驚くほど表情が和らいでいた。流れるように自然な臣下の礼をとる。
「王子も。お久しぶりです」
「久しぶりですね、義兄上。姉上は元気ですか?」
「ええ。姫ときたら……」
アルゼリュートもうれしそうに立ち上がり、にこにこと応じる。花が咲きそうだった会話はしかし、シリウスの後ろに隠れていた銀髪の少女によって呆気なくぶち壊された。
「殿下! もうっ! フォアロード卿の惚気話に付き合う必要なんてありませんわ。わたくしも散々聞いたのです。さあ、こちらにお掛けになって? わたくしの隣が空いてますわ」
「え、いやです」
「そんなあ!」
「なるほど。その通りだね、パールレティア嬢。本題に移ろう。貴女は私の隣だ」
「うう」
流石は敏腕領主。有無を言わさぬエスコートで令嬢を導き、スマートにローテーブルを挟んだサラたちの正面に腰を下ろす。
本題――――会談というべきか。互いの情報開示はすみやかに行われた。
「一つ、パールレティア嬢が公爵の目を盗んで出奔したのは吹雪妖精の魔石を手に入れるためだった。二つ、目的は現法で禁止されている『氷熱の誓い』の精製。禁止されているからこそ素材も出回りにくく、買い求めることが難しかったらしい」
朗々と持参の書類を読み上げるシリウスに、王子は首を傾げた。
「『氷熱の誓い』……。サラ、知っているかい?」
サラは半眼を伏せた。「ええ」
昨夜、ハリーとも話していたことだ。作成方法は確認済み。すらすらと答える。
「指輪よ。着けた者が口にした誓いと、真逆の強制力を発揮するの。ほかにも溶岩スライムの粘液とか、作るのはかなり手間。けど、禁止理由の最たるものは効果が非人道的だから、かしら」
「〜〜……!」
わなわなと震えるアルゼリュートに、正面席のパールレティアはふいっと目を逸らした。
苦笑したハリーがあとを継ぐ。
「そういうこった。お嬢さんは小狡いところで知恵者だな。ギルドへの依頼書には『吹雪妖精の討伐を観察したい』としかなかった。おかげで騙された」
「ぐっ」
「聞き取り調査もしました。『キメラ』とは、ギルドに依頼書を提出する前に直接交渉をしたそうですね。ルール違反です」
「ぐぐっ……、で、でも!」
「でもじゃありません」
ぴしゃりと跳ね除けるサラに、パールレティアは涙目になった。
サラは、やれやれと肩を落とす。
「話は最後まで聞いてくださいね。当方、つまりギルドにも非はありました。倫理観の欠片もない冒険者崩れどもを長年野放しにし、幾人もの若手を食い潰させた。挙げ句、かような不始末」
「うぐっ」
今度はハリーが呻く。
サラは横目にハリーを眺めつつ、昨日の決定事項を諳んじる。
「よって、ギルドでは当該パーティの人員を除籍。在籍冒険者らの研修や確認試験の機会を増やします。パールレティア嬢のことは、お父上のセザルク公爵にお任せしましょう」
「え」
「手打ちです。冒険者ギルドは国家の枠の外にあるのです。罰はそれぞれの基準によるべきかと」
「ええぇ……」
見るからに気落ちする令嬢に、シリウスは何とも言えない顔をしてからハリーに訊いた。
「――『キメラ』の剣士は唯一残り、彼女を守ったそうだな。彼は?」
「相応の罰金で済ませましたよ。ランク降下もなし。怪我は全治二十日ってとこですかね。復帰後、新人講習を再度受けさせますが」
「そうか。なら良かったですね? パールレティア嬢」
「…………ええ」
ぐし、と涙ぐむ令嬢が優美な紫の瞳を細める。
――本当に、本当に、眺めるだけなら天使か花の精のごとき愛らしさだった。
では、とシリウスが膝の上で手を組む。
「案がある。その剣士、我が辺境伯軍で引き取らせてもらえないだろうか」
「何!!? 正気か」
「おかしいか? 優良物件だと思うが」
「ああ……申し訳ありません、閣下」
「どうした? サラ殿」
白熱するやり取りに、サラは困り眉で片頬に手を添える。
「ディエルは完治まで星明かり亭で面倒を見ることになりました。仰る通り、剣筋や心根はいいのです。でも、もう少し世間一般の常識というか……。いろいろ、教えなければ」
「うん? そんなにか」
「はい」
サラは重々しく首肯した。
パールレティアは「まあ」と、ひと言漏らし、ハリーに至っては無言。
アルゼリュートは若干くちの端を下げた。
サラはどこまでも一般人として――つまり、問題のある若者を預かった『宿の女将』として進言した。
「冒険者を続けるか、閣下のお声がかりで軍に入るか。二十日後、本人に選ばせればいいと思うのです」
お読みくださり、ありがとうございます!
これにて2章を終わります。




