7 「二度目まして」&「はじめまして」
もうもうとけぶる水蒸気。谷を眼下に両腕を突き出したサラは、舞う雪片すらも融かす勢いで地熱を上昇させた。半眼を閉じ、魔力をコントロールしたまま隣のアルゼリュートに尋ねる。
「どう? アルゼ。対象は」
「……怪我をしている。だが、自力で立っているな。間一髪といったところか」
「そう」
良かった、と、サラはへらりと笑う。アルゼリュートは私物のオペラグラスを構え、きょろきょろと辺りを探った。
「だが……同行者の姿が見えない」
「え? 隠れてるのかしら――あら、いけない。温度が上がりすぎたわ」
「っ!? 大丈夫なのか、それは」
涸れた川上から吹く風に流され、じょじょに晴れてゆく視界にちらほらと地面が覗く。すわ、やり過ぎたかとサラが魔力の供給を止めると、とたんに悲鳴があがった。男女ふたり分だ。
「あ、熱ぅ!!!! ちょ! 何これ死ぬ!!!!」
「〜〜もうだめ、ディエルさん! わたくし、これ以上あんな穴ぐらで息をひそめていられませんわよ!!!!!?!?」
「「!」」
アルゼリュートとサラが同時に息を飲む。
サラは、まさか依頼者の「貴族の遣い」が、あんなに若い娘とは思わなかった。
アルゼリュートは……
「嘘だ」
呆然と呟いた。
サラもびっくりするほどの素だった。
「誰? 知り合い?」
「知り合いというか…………知らぬふりをしたかった。人違いならいいのに」
「?? 何それ」
そうこう言う間に豆粒ほどだった栗色の髪の剣士と、もうひとり――豪奢な銀の巻き毛を跳ねさせる若い娘は、みるみるうちに急な傾斜を登ってきた。雪があらかた融けていたとはいえ、大した脚力だ。
救出のための足場を組んだり、担架も必要かと危惧していたサラはホッと息を吐く。登りきり、肩で息をするふたりににこりと笑いかけた。
「無事で良かった。あなたがディエル・クラークスね。二度目まして」
「あっ! きみ、あの時の……サラちゃん? すごいな。まさかギルマスの娘さん直々に助けに来てもらえるなんて」
「元気そうで何よりだわ。で、そちらは? 私たちは、同行者は『依頼主の遣い』としか聞いてなかったんだけど」
「へ? そうなの? 俺、手続きは全部あいつらに任せてたからよくわからないんだ。てっきり、依頼主本人かと……違うの? パールさん」
「……、けた……」
「?」
全身に若干の切り傷を負うディエルと、到着したばかりのサラの目の前で、銀髪の美少女の紫の瞳がどんどん潤みだす。傍らで顔色を悪くしたアルゼリュートは、後ずさった。
美少女は、その距離を正確に詰めてにじり寄る。
「はう、ゔっ、あ、アルゼリュート殿下……!」
「待て、話せばわかる! パールレティア嬢落ちついて」
「は? 『殿下』? たしか……その名前」
「!!」
サラは動揺する。
しまった。とっさに凍りついたせいで、アルゼリュートの素性がばれてしまった――!
すると、『パールレティア』と呼ばれた少女が駆け寄り、思い切り王子に抱きついた。
「ひどいかた! なぜ、黙って姿を消してしまわれたの? わたくし、あんなに勇気を振り絞りましたのに」
「パールレティア嬢。落ちついて」
「いやですわ。婚約者ですのに。どうか以前のように『パール』と。或いは親しみを込めて『レティ』とお呼びくださいませ」
「御免被る」
「ま、まぁまぁ……? アルゼ、こちらは」
「サラ。彼女は」
一瞬、彼を『王子』と呼ぶべきか逡巡したが、サラは切り替えた。今さらだ。
今までどおりの口調で『アルゼ』と呼ぶサラに、アルゼリュートは眉尻を下げて向き直る。
もはや骨の髄まで叩き込まれた所作なのだろう。しがみつく少女をそっと離し、左手を胸に当て、右手で礼儀正しく彼女を差し示した。
「――パールレティア・セザルク。セザルク公爵のご令嬢だ。パールレティア嬢。こちらはサラ・オルタネイル殿。冒険者ギルドマスター、ハリー・オルタネイル氏の……養女でね。手紙で知らせたろう? とても世話になっている。大切な恩人だ」
「まあ」
紹介を受けたパールレティアは口元に手を当て、無邪気に驚く。それから優雅な一礼を披露した。淑女の礼だ。
「はじめまして、サラ様。このたびは未来の旦那様をお救いいただいて、誠に感謝申し上げますわ」
「私は認めていないぞ、パール」
「! やっと愛称でお呼びくださるのね!?」
「違う。面倒だから縮めただけだ」
「なんてかわいらしい。照れ屋さんね」
「やめてくれ。どうなっているんだ。叔父上にはきちんと断りを入れたはずなのに」
「あの……アルゼ?」
「うん? すまない、サラ」
「いえ。構わないんですが」
すぅ、と、深呼吸したサラは「ちょっと待っててくださいね」と言い置き、ひらりと崖下に身を踊らせた。そのさまに皆がぎょっとする。
が、華麗に着地し、ものの数分もせずに戻ってきた彼女の手には光るブルートパーズのような石があった。待機していた三名が全員、揃ってくちを開ける。
「サラちゃん、それ」
「ええ、ディエル。これが吹雪妖精の魔石よ。おめでとう。クエスト達成ね」
「いや……、俺が倒したわけじゃないし。きみのだろ。改めてありがとう。来てくれて」
「どういたしまして」
にこり、と、笑んだサラは、フードからこぼれた金と黒のまだら髪を揺らし、セザルクの姫を振り返った。
「挨拶が遅れましたね。はじめまして、パールレティア様。単独でB級冒険者をしております、サラと申します。僭越ながら貴女のお求めになった魔石を手に入れましたが……失礼、魔道具になさるのでしたっけ」
「エッ? あ、はい」
すぐに貰えるものと思ったらしい、少女の手をさらりと躱し、サラが魔石を掲げる。
薄氷色の尖った結晶は、角度を変えると淡く紅色に輝いた。
「――さて、どんな魔道具をお作りになる予定だったか教えていただいても? そうそう。ディエルと貴女を置き去りにしたパーティ『キメラ』の事情聴取も必要ですし、当面はノルヴァのご領主の館にご滞在を。もし、お忍びであれば冒険者ギルドか、私が経営する宿にお泊りいただくことをおすすめします」
★アルゼリュートの心の声
(やめてくれ……宿に泊まらせるとかあり得な ※略)




