3 王子の勝利
翌日。
泊まりの冒険者たちをあらかた送り出した朝のひととき。
星明かり亭では新入りの採用試験が行われた。女給や清掃員ではない、厨房係――その補助として。採用希望者は、まさかのアルゼリュートだ。
コック長の審査を待ちがてら、ホール席で客のように座ったサラと女給長は、複雑そうな面持ちで厨房の様子を窺った。
……とくに激しい物音や怒鳴り声はしない。意外にもうまくやっているのだろう。
女給長は背もたれに寄りかかり、肩までの青髪を億劫そうにかき上げる。
「女将、いいんですか? あの子、貴族の坊っちゃんでしょ」
「わかる? ペネロペ」
「そりゃあねえ、ふつうに偉そうですし。身なりも顔も最上級。傅かれ慣れてるっていうか……あんまり擦れてないじゃないですか。その辺の成金じゃないなって」
「そうよねぇ。そう見えるわよねぇ」
「どっかの、家出中の若様なんでしょ? 宿で匿うってことで合ってます?」
サラは、まさかぁ、と、破顔した。
「匿うわけじゃないわ。実家には伝えたし。せいぜい、預かるってとこね」
彼女――ペネロペは、宿をひらいた当初からのスタッフだ。ある程度気心が知れており、元・Cランク冒険者。定職に就きたいとギルドに申し出たところ、気を利かせたハリーが星明かり亭を紹介してくれた。なかなか年を取らないサラのことは、体質的な童顔と思ってくれている。
サラは、黒靄の夢魔を倒しても失った年月のすべてを取り返せなかった。現在の外見年齢はおよそ十七、八歳。
ようやく少し大人びたかな? という程度。
それでも、ほんの少しの変化を「春が来たんですね!」と揶揄うスタッフや常連は思いのほか多くて。
(ペネロペくらいの距離感は助かるなぁ……)
つい、頬を緩めた。
そんなサラに、ペネロペが胡乱げなまなざしとなる。彼女が何かを告げようとしたとき、キィ、と厨房側のカウンタードアがひらいた。
◆◇◆
「できた! 女将、女給長、味見してくれないか」
元気に出てきた青年の装いは平民そのもの。袖を肘までめくった生成りのシャツにシンプルな前掛け。手に持ったトレイには白い皿がふたつ。かわいらしいプチケーキが乗っている。
よくよく考えるとこの国の王子に給仕させてしまったわけだが、もう、本人のたっての希望だしな……と、サラは半ばで思考を放棄した。
いっぽう、ペネロペは驚きながら目の前に置かれたケーキを指差す。
「え!? アルゼさん。これ、あなたが?」
「ええ。コック長に『得意なものを作れ』と言われたので。うろ覚えだったが、作れて良かった」
「うろ覚えって……こんなの、王都のお洒落なカフェでしかお目にかかったことないんだけど。しかも、食べたことない……」
ペネロペは商人の護衛などもよくしていたので、ノルヴァと王都の往復は何度か経験済みのようだ。
その際の記憶と照らし合わせてのことだろう。ひと口食べて、鳶色の瞳をいっぱいにみひらく。
「甘っ、おいしい。すごいわ」
「それは光栄だ」
ほわん、と夢見心地になる女給長を眺めてから、サラもフォークをとる。飾りのクリームとスポンジ部分の両方を掬った。
軽やかな口当たりの生クリームにはわずかにレモンが香り、かさねたスポンジに挟まれた柑橘類のジャムとよく合った。スポンジ自体もしっとりと焼き上がってほくほくとしている。まだ温かい。
サラは、カチャ、とフォークを置いた。
アルゼリュートの後ろで腕組みをする壮年のコック長を見上げる。
「コック長、何か教えた?」
「いいや? 別に。あんたも知ってるだろ。俺ぁ甘いモンは苦手なんだ」
「あ〜、そうね。じゃあ、本当にアルゼひとりで?」
「そうだ。ちなみにこいつ、見た目はまったく働かなさそうだが、一度教えたことは完璧にこなしやがる。基本の下拵えは一丁前だぜ」
「意外だわ」
「どうだ? サラ。私を雇う気になったろう」
心持ち上気した頬でアルゼリュートが微笑みかける。サラは、これは間違いの元だな……と、隣のペネロペを流し見た。
ペネロペは、もうすっかりケーキに絆されている。
サラは、むむ、と経営者として考え込んでしまった。
「……おいしいのは確かだけど、うちは冒険者向けの宿なのよ。食堂だって夕方からは酒場だし」
「大丈夫だ。コック長も言ったろう? 下拵えは任せてくれ」
「もったいなくない? 折角の腕前を。もっと華やかで女性向けのお店を紹介してもいいのよ? そう、避暑地で有名なグレイシア辺りなら、貴族御用達店だって――」
「サラ。私は、ここで働きたいんだ」
「ぐっ」
ぐうの音も出なくなったサラの肩を、うれしそうなペネロペがぽんと叩く。コック長は、うんうんと頷いた。
(〜〜こんの、人たらし王子!!)
アルゼリュートが想像以上に器用だったことにびっくりしつつ、サラは、うかうかと彼に機会を与えたことに臍を噛む。
くたりと萎れ、瞑目し、天を仰いでから呟いた。
「……住み込みだから……お給金なんて最初は無いも同然よ」
「!! サラ、それでは」
「ご、誤解しないで!! 仕方ないじゃない! 自分の食い扶持くらい稼ぎたいって人間を雇わない理由なんて無いものっ」
「ありがとう。恩に着る……!」
「『女将』って呼んで!」
「わかった、女将。お茶を淹れようか?」
にこにことアルゼリュートが尋ねる。
サラは、ぐぬぬ顔で「いただくわ」と、絞り出した。




