2 表裏のギルド会談
受付の横には階段があり、それを三階までのぼればギルドマスター専用のフロアになる。
二十二年前、わずかではあったがサラの仕事場はここだった。
三階より上はない。のぼりきってすぐ右に重厚な木の扉。金色の真鍮の取っ手に、磨かれた大理石の床。大きな暖炉の前には会談用のテーブル席が設けられ、続きの間がマスター個人の職務室。
格式張った貴族の依頼を受けるための部屋でもあることから、調度品にはかなり気を配っている。
とはいえ、サラの在任時からたいして物の配置が変わっていないということは、現職であるハリーもそこまで飾り気がないということ。
内装に関しては伝統的にマスターの妻女が手を加える傾向にあったが、ハリーに妻はいない。
善意でサラを養女としたものの、彼自身はずっと独身を貫いている。
「すまねえな。今日は、裏ギルド……っとと。『隠れ星のギルド』との定例会がてら、早めのランチを摂るつもりだった。簡単なメニューだから王子のぶんもすぐできる。まぁ、掛けてくれ」
「いたみいる」
軽い会釈を返すアルゼリュートは、衣服を並にしても挙動が王子そのものだ。長テーブルの奥にハリーが座り、手前の角席がサラ。アルゼリュートはその正面に座る。
ほどなく扉がノックされ、厨房の女性職員が三名やって来た。三つの銀盆にはそれぞれ湯気を立てる肉料理にトマトスープ、付け合わせに切られたチーズ、葉野菜の酢漬けが盛られている。
テーブルにはバケットを入れた籐籠が置かれ、茶葉を煮出したティーセットや嗜好品の蜂蜜、ベリーのジャムも添えられており、どれもこれもが好物のサラはすっかり頬を緩ませた。
「おいしそう……」
「おう。好きなだけ食べてくれ。オレが作ったわけじゃないが、味は保証する」
「ふふ、ありがとう」
おだやかな空間に、暖炉の薪のはぜる音が時おり響く。
気取らない空気はそのまま、会食は滞りなく始まった。
――――――
食事を終えたサラは、ナプキンで口もとを拭った。
「さて。本題だけど」
「ああ」
とっくに茶を淹れて寛いでいたハリーは厳かに頷く。定例会の主旨とも言える、高難易度の依頼は今月はゼロ件。平和でたいへん結構、と締めくくったあとだった。
「アルゼリュート王子の件だな? もちろん来たぞ。湖の都グレイシア経由。オレ宛で、国王直筆だ」
「な!? それが本題? ちょっ……本人の目の前なんだが」
危うく茶を吹きそうになったアルゼリュートが、慌ててカップを置く。
サラは、目線でちくりと青年を刺した。
「しょうがないでしょ。せっかく気を利かせて置いてきたのに、わざわざ追いかけてくるんだもの。観念しなさい。この親不孝者」
「うう……嫌だ」
――――嫌でも何でも聞いてもらうのよ、の宣言通り、サラはハリーから手紙を受け取った。
縁飾りに金箔が施された上質な封筒から白い紙を取り出し、すらすらと読み上げる。
「ハリー・オルタネイル殿
我が第四子、アルゼリュートの身柄を再び保護の由、深く感謝する。本来ならば愚息はグレイシアのセザルク公爵家にて、静養を兼ねて諸事を学ぶ予定であった。
愚息には、疾くセザルク家に戻るよう。些少ではあるが、金五十枚を用立てて欲しい。
……ん? 些少??」
「あ、それな。迷惑料と手間賃。ベアトリクス金貨五十枚」
「もらいすぎだわ」
「オレもそう思う」
「お二方! そ、その辺で」
顔色の良くないアルゼリュートが挙手する。
おそらく文章化された父の愛と、相場をはるかに上回る謝礼金の額におののいているのだろう。
が、サラはやめない。いっきに読み切ってしまう。
「……いささか順序の手違いはあったようだが、せっかくの縁談に前向きになるよう、懇ろに伝えて欲しい。
ベルナンド・セアドール・ベアトリクス」
「ううぅ……くそっ」
アルゼリュートは片肘をつき、髪をかき混ぜてぼそっと悪態をついた。
サラは畳んだ紙を封筒に戻し、つい、とハリーに返す。
ハリーは、年長者の余裕とともに年若い王子を眺めた。
「伝えようか、懇ろに」
「結構だ」
「縁談って、セザルク公爵家の姫か? あんまり噂は聞かんが、そんなに嫌か。要は、婿に来いってことだろう」
「……彼女をどうこうとか……ではなく」
「?」
乱れた赤い髪の隙間から、王子の青い瞳がちら、と向けられる。
サラは怪訝そうに首を傾げた。
まさか、また王家と絶縁も辞さないくらいに星明かり亭で働きたい、などと言うのだろうか。
先の魔物から執着を向けられたショックで、女嫌いになったとか?
(まさかねぇ)
ハリーから受け取った茶をひと口含み、垂れた黒と金のまだら髪を耳にかける。
彼は、この一ヶ月宿に滞在したわけだが、魔物が真似ていたサラの容姿を恐れたりしないし、女給の皆ともふつうに話す。最近は、厨房で熱心に料理を習っていた。
「……ふーん? ま、上流のことは良くわからねえが。返事くらい書いてくれ。世話になるはずのセザルク公爵家にだって、詫び状のひとつ送るのが筋ってもんだ」
家長席のハリーは、左手の王子と右手に座る養女をまじまじと見比べる。
琥珀色の瞳を伏せて神妙に頷くサラに、アルゼリュートは、がっくりと項垂れた。




