ネット社会がもたらす恐怖の物語
気だるげな少女は今日も機械と会話する。彼女にしてみれば機械の向こう側と会話していると言った方が正しいのかもしれない。眼鏡を青白く光らせて、高音の笑い声を部屋に響かせている。これが少女、つまり大井愛華にとっての日常である。彼女の現実は退屈で、正面突破するには少しばかり難易度が高かった。剣を振り盾を構えて進まないと怪我をするが、戦っている姿を他人に見られるのはナンセンス。そんな窮屈な世界だった。しかしもう一つの世界が誕生しことで、剣も盾も必要なくなった。その世界こそが、ネットの世界である。
「皆―、らぶちの為に今日も来てくれてありがとう。次も来てね」
そう言って彼女はパソコンを閉じた。画面から光が消えると同時に、彼女の表情も暗くなる。
「はぁ、二百人か。先週の方が沢山人来てくれてたな」
彼女がやっていたのはネット生配信。誰でも簡単に生配信をすることができる「放送君」というアプリを使用していて、そのアプリ内でメッセージのやり取りもできる。彼女は「現役女子高生らぶち」として五か月前から配信活動をしていた。彼女には平均二百人以上の視聴者がいる。ただ可愛げな声でリクエストに応えたり雑談するだけで、視聴者はどんどん増えていった。中でも彼女の学校生活について話す時は盛り上がる。しかしそのほとんどは彼女の虚言。ネットの中の彼女には友達が沢山いて、好きな人とも順調らしい。実際の学校生活とは大違いだ。始めた当初は女子高生というブランディングも影響して好調だったが、最近は視聴者の増加は少なく、むしろ減少傾向にある。
「もっと人気になりたいな」
そんな欲望が彼女の口からこぼれる。視聴者が増加することがそのまま幸せに直結している彼女にとって、数字は何よりも大事である。学校でどんなに辛いことがあろうとも「私には二百人の味方がいる」と思うだけで耐えることができた。このままどんどん視聴者が減少したらどうしよう、と彼女は少し焦燥感に駆られた。その後しばらくぼーっとしてから、いつものように視聴者へのメッセージ返信を始める。坦々と流れ作業のように返信を進める中、彼女の目に一つ留まるものがあった。
アリス「らぶちさん、お疲れ様です! 顔出し配信とかやってみたらどうですか? オールインワンさんも顔出し配信してから人気になったんですよ」
メッセージ主のアリスはこうして配信後に毎回メッセージをくれるので、愛華のお気に入りの視聴者であった。愛華が配信を始めた当初から見てくれている。メッセージに書いてあるオールインワンという人物は、放送君の中で人気の配信者だ。かわいい声と顔を武器にしていて、二千人ほどの視聴者がいる。愛華はオールインワンに憧れてこのアプリを始めており、そのことも公表している。
「今日も見に来てくれてありがとう。ネットに顔出すのちょっと怖いなぁ……。考えてみる! 」
アリスに曖昧な返信をして、彼女はベッドに移動した。
朝、オレンジじみた光が彼女の目に飛び込んでくる。彼女の苦手な世界がやってきたのだ。味のしないパンとよく聞こえない母の言葉を飲み込んで、学校に向かった。
「愛華ちゃん、おはよ。今日小テストあるの知ってた? 」
そう喋りかけてきたのは彼女の唯一の友人、桜井果歩である。
「あ、忘れてた。ありがと果歩ちゃん。」
二人は特別気が合うわけでも共通の趣味があるわけでもない。ただお互いに、一人ぼっちになりたくないだけである。高校二年生の初夏を迎えた彼女等だったが、あまり高校生らしいことはしていなかった。二人とも口下手で、クラスの人とは未だに上手く話せない。そんな二人だからこそ、自然と引き寄せられるように仲良くなった。愛華は果歩に生放送をしていることを言っている。果歩なら口外する相手もいないだろうし、何より誰かに自慢したかったのだ。二人が小テストの勉強をしていると、後ろから声が聞こえた。
「大井さんおはよ。あ、桜井さんも。やべ、今日小テストあるっけ」
声の主は坂井浩太、クラスメイトである。愛華の後ろの席の彼は、最近愛華にやたらと話しかけてくる。男子と話すのに慣れていない彼女は、毎回緊張してしまう。
「はい、席についてー」
抑揚のない先生の声と同時に、代わり映えの無い学校生活がスタートする。今日はテスト返しが多い日だった。愛華の点数は赤点かそれぎりぎりか。英語だけ唯一六十点代だった。元々頭は良くなかったが、配信活動を始めてから更に悪化した。申し訳ない程度にしたテスト勉強も無駄であった。これは先生と両親が狙ってくる愛華の弱点である。それ以上に、長年付き合ってきた愛華自身の悩みであった。彼女は返却されたテスト類をそのままリュックに押し込んだ。
昼休憩になると、愛華は毎度のごとく派手な人たちに机を占領された。何の断りもなくふてぶてしく彼女の机に腰を掛けている。ちらと果歩の方を見ると、彼女は席を取られないようにしっかりと椅子に座り、お弁当を大きく広げていた。一瞬愛華の方を見たが、すぐに視線を逸らして食事を始めてしまった。あぁ、今日もね、と愛華は教室を出た。
彼女は一人で図書室にいた。ここは飲食禁止だが、とりあえずの居場所には最適だ。愛華は読みたくもない本を手に取り、時計の針が進むのを数えた。お腹の音がうるさい。
昼休憩が終わる十分前、がやがやと廊下が騒がしくなってきた。図書室のドアが開くと、愛華の机に腰を掛けていた連中が入ってきた。
「せんせぇ、一年の時に借り本返しに来ましたー。催促状とかきて焦ったわ。直接言ってよ」
「いや、お前が悪いだろ。すいませんね、ほんとこいつ馬鹿なんで」
「てか本借りるとか真面目かよ。おもしろすぎ。」
明らかにこの部屋にそぐわない音量に愛華は苛立ちを覚えた。自分の居場所を汚されているような気分である。男女五、六人のグループで来た彼等は、明らかに浮いていた。
「あれ?大井さんいんじゃん」
連中の中の一人が愛華の存在に気付いた。異様な短さのスカートの彼女の名を、愛華は知らない。
「えー、お昼に読書とか頭良さそー。何読んでんの? 」
薄ら笑いの彼女は、愛華の本を無理やり取ろうとした。何も言葉が出てこない愛華は、無言でその手を払う。
「は? 何こいつ。こわ。」
冷たい言葉が彼女に刺さる。
「一生本読んでれば。ぼっちが。」
わざとらしい大きな声が、図書室に響く。周りにいる生徒も先生も何も発さない。
「おい、もういくぞ。」
後ろから背の高い男子が来て、短スカート女の腕を掴む。彼女は愛華の方を睨みつつ出口に向かった。図書室の不快感が一気に薄くなる。愛華もそろそろ教室に戻ろうと、本を片付け始めた時、
「ちなみに大井さん、うちのクラスでテスト最下位らしいよ。先生に聞いちゃった」
と、先程の男子生徒の声が廊下から聞こえてきた。
「え、全然頭良くないじゃん。真面目なのに馬鹿とか可哀そすぎ」
「ちなみに、最下位から二番目は俺。ま、ノー勉だし」
「うわ、最悪じゃん」
彼等の会話が遠ざかるにつれて、愛華の怒りは増幅した。「私には二百人の味方がいる」そう思っても抱えきれないほどの怒りだ。人間としてあいつ等より劣るのは嫌だ、このままじゃいけない、彼女は拳を強く握りしめた。
その後の授業中、彼女はずっと考えていた。あいつ等に負けないためにはどうすればいいのかを。そして、ある一つの結論にたどり着いた。