第九十七話 プノンペンの食堂にて
カンボジアに行ってきた時の話だ。ふと最終日のプノンペンの食堂ので出来事を思い出してね。
東南アジアによくあるタイプの食堂だ。その日の夜に帰国する自分は最後の食事に麺をたのんだ。食堂の婆さんがせっせと少し危なっかしい手つきで麺をつくってくれたよ。
息子(?)はそとでコーヒーをつくっていた。ふと思った。この婆さんは70歳はとうにすぎているだろう。すると50年前のポルポト派による狂気の都市住民の農村強制移住と大虐殺を二十歳で実体験したんだ。でも婆さんの背中はそんなことをまるで感じさせなかった。
東南アジアのこの手の家族食堂は休みなんてあって無いようなもの。冠婚葬祭の日を抜いて婆さんは毎日毎日来る日も来る日も麺を茹でていたんだなと。婆さんは過去の悲劇を忘れたんだ。忘れなくては生きていけなかった。
夜、食堂がしまるとき台所の神棚に線香をあげてふと殺された爺さんのことを思い出す。もう少し粘ればあんたも孫の顔が見れたのにね、とふと思い出すが感慨は長くは続かない。過去を振り返って何か得があるのか?
婆さんが考えるのは明日の店のことだけだ。東南アジアの食堂の朝は早い。7時の開店の仕込みのため明日も早朝から働き出すのだろう。良くも悪くもそれが婆さんの人生だ。
ネットにある多数の悲嘆系ブログ、愛する者を失った悲しみは否定はしない。自分も同じ状況に置かれたら、同じように何年も何年も悲嘆するだろうから。でもカンボジアの婆さんは忘れたんだ。父を母を、兄弟姉妹を、ひょっとしたら子供のことも。忘れなくては生きていけなかった。
悲しみだけではなく憎しみも忘れた。強制移住先の農場の非道な班長が、しれーっとした顔でプノンペンの、とある区長におさまっていることも知っているが、その事を考えない。憎しみをかかえたままでは生きていけなかったんだ。
孫の社会の宿題で昔のことを聞かれたら「あの時は大変だった」とだけ語る。たまにジャーナリストの卵にインタビューされるが多くは語らない。心のカサブタをはがして血を流す、それで? 父や母や兄弟姉妹が帰ってくるとでも?
婆さんが考えるのは食堂に今日、何人の客がくるのか、ガス代の値上がり分をどこから捻出するか、食堂の主の息子が気の強い妻の尻に敷かれていることとか、こんどの衛生検査をどうごまかすか、その場合の賄賂の額がどれくらいになるのか、
それだけだ。悲しみも憎しみも過去という檻に閉じ込めて、婆さんは今朝も誰よりも早く起きて食堂のシャッターを開ける。また忙しい一日が始まるのだ。




