第七話 そんなにあせらなくてもいずれ死にます
遺書を書く前にほんのちょっとだけ考えてみてほしい。何をそんなに死に急ぐのです。
たかだか地球が太陽を数十回公転する間だけのことじゃないですか。ひまわりが数十回咲く間だけの事じゃないですか。紅白歌合戦が数十回放送される間だけの事じゃないですか。木枯らしがたったの数十回身に染むだけの事じゃないです。短い短い。
大事な事なので何度でも言います。たったの数十回ですよ。慌てる必要は微塵もありません。
もうちょっと待ってみましょうよ。もしかしたら何かいいことが待っているかもしれない。
難病や障害なら画期的な治療法が見つかるかもしれない。
ひきこもりの子を見るのが辛いなら、病気の一種だと考え入院しないだけましだと考えたらいい。あるいは明日から本人が心療内科や学校や職安に行くといいだすかもしれない。
どうしようもない貧困なら思いがけない遺産相続があるかもしれない。
解雇になったら、給与こそ前より良くないが再就職先の方が居心地良いかもしれない。
親に虐待されているのなら18になったら自立して縁を切ったらいい。
志望大学滑ったなら滑り止めで入ったFラン大学で趣味や人生観を共有できる一生の友人に恵まれるかもしれない。
失恋したり離婚したなら、もっと良い新たな出会いがあるかもしれない。
ろくでもなしの子供が事件を起こして逮捕されたのなら、刑務所で更生して真人間になるかもしれない。
憎い相手は事故か急病で頓死するかもしれない。
イジメはクラス替えで新しい仲間ができるかもしれない。
パワハラ上司は悪事がばれて左遷されるかもしれない。
愛する人が亡くなったのなら、新しい愛する人との出会いがあるかもしれない。
そうじゃないかもしれないけど、それはそれでどうってことはないでしょ。一万年一億年辛抱して耐えて生きろといっている訳じゃないんだから。もう少しだけ待ってみましょうよ。
しつこいようだけど何回でも言います。桜が数十回も咲かない内に、総ての問題と悩みはチャラになるのです。
私?
……………まあ第三者的視点で見ると惨めな部類の人生を送っていると思いますが、とりあえず今の所は死ぬ予定はありません。理不尽なりにこの世界の真実をとことん追求していきたいのです。それが奇跡的に人間として生をうけたもののもっとも大事な任務でしょう。