第二十二話 実は宗教の癒し能力は馬鹿にできない
それでは宗教について、信心や思い込み抜きで、あくまで合理的に客観的に語ってみたい。
ようは宗教たるものが「苦悩するあなたに役に立つか」なのです。
正直どうしても辛くて辛くてたまらないなら、宗教やってみるのも一つの手です(私自身は無神論者ですが)。
宗教の何が良いのかというと。
神への祈りは私達に、自分一人ではなく、誰かと重荷を分担しているような気にさせてくれるからです。人の心は重すぎる荷物を、とても辛くて耐えられない苦悩を独力で耐えていけるほど強靭ではありません。
そもそも人に言えない苦悩だってあるし、人に相談できるような苦悩なら、悩み哀しむ必要はないとも言えます。
例えば
・二浪の末、ボーダーフリーのクズ大学に入学して、それでもがんばったけど就活に失敗して内定がとれず、卒業後はフリーターです。
・がんばって入社した会社が典型的なブラック企業で、耐え切れずに辞職に追い込まれました。来月の家賃も払えそうにありません。
・結婚した相手がDV常習犯でした。毎日生傷と痣が絶えません。でも自分一人で生きていく経済力はなく、結婚に反対だった親からは縁を切られています。
・子供が大学行きたいと言っているけどお金がないのです。「なんでうちはこんなに貧乏なんだ」と怨み言をいいます。子供の気持ちは痛いほどよく判るのです。
これらは人に相談しても、憐れみの目で見られるか、上から目線でもっとがんばれと説教されるだけです。その場合、祈るしかないではないですか。
誰にも話せなくても常に神に訴えることはできます。神は(効能があるかどうかは未定ですが)聞いてくれます。
“祈りは人間が生み出しうる最も強力なエネルギーである。なぜそれをもっと利用しないのか。自然の神秘な力が私たちを支配している限り、それを神と呼ぼうと、アラーと呼ぼうと、はたまた霊魂と呼ぼうと、その定義にこだわる必要はないではないか”
(「道は開ける」 D・カーネギー)
同書でカーネギーは、自殺の大部分と狂気の過半数は宗教や祈りの中に平和と慰めを見つけ、それを身につけていたならば、防止することができたはずである、と述べている。
たとえそれが思い込みにすぎなくても宗教の癒しの力は軽視できない。そして私達は、神が本当に存在するのか? どの神が正しいのか? という哲学・神学のイデオロギーの話をしているのでなく、ただ今の自分の傷を癒す薬として何が有効なのかを問うているのです。




