第二十話 『私という自我』が私を苦しめる、だが実は『私』は存在しないのだ
わたしがこんなに苦しんでいるのに・・・・・・・果たしてその思いは正しいのでしょうか?
仏教では「わたし」の存在は認めていません。「わたし」が実在すると考えるのは錯覚です。思い込みです。妄想です。幻です。これを仏教では「空」と呼びます。
今あるわたしもあなたも、百年もすれば、その存在も痕跡もきれいさっぱり消失するのです。誰もあなたのことなんか覚えてませんよ。「空」になるのです。
このように自分も他人も不変ではないのです。しかし人は自分が確固たる実在だと思い込み、悩み苦しむのです。
苦(悩み)から解放されるためには、肉体を持つ自分のはかなさを実感し、今ある自分自身への執着をなくすことが大切です。すべての苦しみの源は自分を中心に考えることにあります。
「なんで私が…………」と思い悩むことが原因です。私の夢、私の誇り、私の思い、私の名誉、私の評判、私の身体、私の財産、私の家族、私の国、私の味方、私の敵ete。
ですが、そのわたしは他者があってはじめて存在し、両者は独立して存在することはできないものなんです。
あなたは他人とまったく関係せずに、今のあなたの性格や環境、その他を形成しましたか? すべての存在は互いに関係し合ってこそ存在しえるのです。これを仏教では「縁起」と呼びます。
あなたは( )を敵と思い、確信し、嫌い、軽蔑し、憎み、呪う。だが他者からみると、私が憎い( )は友かもしれない。
※( )にはあなたが嫌いなものを入れてみてください。
つまり絶対的な「友」も「敵」も存在しないのです。「敵」という確固とした存在は、「わたし」同様に存在しないのです。すべてあなたの脳が、精神が、自分勝手な心が作り上げた妄想なのです。
あなたの敵も、あなたの苦悩も、あなたの中にだけあるのです。
悩むのバカバカしくないですか?




