4-6話 その昔の絶望
学園地下施設という腐り切った、まるで蠱毒の様な場所よりも更に酷い、ドブ底の中でギャリシーは生を受けた。
その場所は刑務所よりもおぞましく、スラムよりも悪質で、そしてそこらへんの子供よりも頭の悪い場所だった。
もし、もう一度そこに戻るくらいならば、ギャリシーは牛の糞尿に塗れて一生を過ごしたいと神に祈るほどの最低の腐った場所であった。
ギャリシーにとってはそれはもはや恐怖に近いほどであり、そしてそれは被害妄想でも何でもなく、本当にただ醜く酷いとしか言いようがない世界だった。
そこには教育などという大層考えなどあるわけがなく、それ以前に明日を楽にする為の農業という概念もなく、そして必要な物が出来たら奪う以外手に入れる手段はないという大自然の方がまだ文化的と言える様なルールが存在していた。
しかも恐ろしい事に、それを弱者に強いているのではなく、率先して目上の者がそのルールに従っていた。
そう、ギャリシーの生まれた場所は蛮族の集落だった。
その土地はノスガルド王国内の貴族の領地ではあるのだが蛮族達はそれをかすめ取り自分達の物であると主張しだした。
ただそれだけで、自分達の土地であると本気で信じていた。
その土地周辺にある蛮族の集落は三つあり、そのの内一つ、自称『牙の民』達のまとめ役、長が生んだ長男として、ギャリシーはこの地に誕生した。
長から生まれたしかも長男であるとはいえ集落は完全な実力主義である上に、ギャリシーの上には姉がいるしそもそも父親である長はギャリシーにさほど興味を示さず名前すら付けていない。
いや、それ以前に長には何人も女がいた為ギャリシーは誰が家族かすら知らず、もはや家族制度というもの自体が集落では崩壊していた。
だからギャリシーと血の繋がりがあるという意味で言えば家族は数えきれない程に多いのだが、ギャリシーにとって本当の意味で家族と呼べる存在は母一人だけだった。
母は他所の集落から長が無理やり奪い取ったきた女性の一人だった。
母には元々の結婚相手がいたが、長はそんな事気にもせず、母の事を特に気に入ったというわけでもなく、ただ何となく連れ去り、そして何となく子を残した。
その為、母に長は特に支援らしい支援もしなかった。
配偶者である長に放置され、その上元敵集落出身である母の扱いは集落でも決して良い物ではなく、とても幸せであったとは言えなかった。
それでも、母は名前すら付けられなかったギャリシーを育てた。
ギャリシーにとって家族は母だけである。
捨て去った屑の、釣った魚に餌もやらないゴミの息子にもかかわらず自分を愛してくれた。
だからギャリシーは母を少しでも幸せにする為、進んで蛮族生活に混じっていった。
その他にギャリシーは何かを得る手段を知らなかった。
そんなギャリシーが初めて他所の集落襲撃に参加したのは七歳の時だった。
その時はまだ大人の腰の位置程度しか背がなかったが、それでもギャリシーは数人を殺した。
敵も味方も屑しかいない為、幼く純粋な心であったギャリシーでさえ罪悪感に陥る事はなかった。
ちなみに、わずか七歳であっても死にもせず成果を出せているのはギャリシーの身体能力が高かった事と相手が子供と侮っていた事もあるのだが、一番の理由は知性と学習能力である。
弓矢を自分で作る手段を持たない蛮族は相手の集落から奪うか偶に訪れる商人を殺すしか選択肢がない。
そして扱いも雑で下手くそな為弓はすぐに壊れる。
そんな環境だからこそ、彼らの主な戦いは斧や棍棒を持ち力任せに振るうだけである。
だがギャリシーはそれらを持つ力がないからナイフ程度の小さな片手剣を持ち、もう片方に石や砂を隠し持った。
少し離れた距離からの投石はそれなり以上に効果があり、もしもの時は砂を顔にかけて目を潰す。
それが恐ろしいほどに上手くいった。
何故ならばギャリシーが幾らその手段で人を殺しても、敵も味方も一切気にしないし対処しないからだ。
ギャリシーは蛮族の阿呆具合が自分の想像よりもはるかに凄まじい事に驚き、同時にそんな中に自分が混じっている事に嫌悪感を覚えた。
そんな生活が数年続き、十歳の時には名前のなかったギャリシーに一つの名前が与えられた。
『牙の後継者』
牙の長の後を継ぐに相応しいと周囲が認めたからこその名前であった。
ギャリシーの行動は父親である長の名目を高める要因となってしまっていた。
だが、それでも良かった――というよりも、母以外の屑などギャリシーにとってはどうでも良かった。
ギャリシーはいつかこの馬鹿しかいない未来のない土地から抜け出し、どこか幸せな場所に母と共に行く事を夢見ていた。
そこから更に数年、ギャリシーは十六歳になった。
ギャリシーは名実ともにナンバーツーとなり、襲撃を管理する側に回っていた。
ゴミ屑である長に実力が負けている事も腹立たしいが、それ以前にこんな場所で武力を誇るほど空しい事はないと思いやる気は全然湧いてこなかった。
そもそもの話、そんな集落でうほうほと俺が強い俺が最強なんて頭の悪い事を言うよりも、もっと大切な事が存在している。
今までずっと隠し持って集めた宝石類もそこそこ以上に貯まり、そろそろ母と共にこんな掃き溜めの様な場所を脱出する。
その事の方がギャリシーにはよほど重要だった。
そんな時に――それは起こった。
何の前触れもなく、二つの集落が同時に牙の集落に現れ略奪を開始した。
同時に、まるで示し合わせたかのように来たのだが、彼らも寝耳に水らしく、牙の集落で三陣営による凄惨な殺し合いが始まった。
皆それぞれ自分が強いと思っているからこそ、その殺し合いが止まる気配はなかった。
ギャリシーは焦った。
今や雑魚が何人来ようと相手にならない実力と技術を持っている為、自分の事はさほど問題ではない。
だが母は違う。
戦う力もなく、外見もそろそろ歳が目立ってきた為、もし見つかったら殺される可能性が非常に高い。
ギャリシーは通り道にいる蛮族共を集落関係なく捕殺していき愛すべき母の元に慌てて走った。
そこで、ギャリシーは絶望を見た。
母が強姦されていたり、殺されていた方がこれを見るよりも何倍もマシだった。
ギャリシーが駆け付けた時、母の傍には自分にとって腹違いとなる姉がいて、そして母と姉は二人で取っ組み合い罵り合っていた。
「なんでよりによってあんたなのよ!」
いつも大人しい母の剣幕に驚き、ギャリシーは足を止めた。
「はっ! あんたがババアになったからでしょうが! あんたよりも私の方が具合が良いんだってさ!」
「ふざけるな! 貴様みたいな小娘が!」
「あんたにはべたべたくっついてくるムスコチャマがいるじゃない。ムスコチャマのムスコチャマも同時に可愛がってあげてるんでしょ?」
そんな事を言葉にする姉に対し、母は鼻で笑った。
「何がムスコチャマよ気持ち悪い。あいつ暗いしうざいし面倒なのよね。良い思いさせてくれるから黙ってるけど正直気持ち悪いのよね」
その言葉に、ギャリシーの中に唯一残っていた何かが壊れた音が聞こえた。
それから、二人はギャリシーに気づかず取っ組み合い、罵り合い続けた。
それと同時に、ギャリシーは二人の足元に自分が集めていた宝石類が転がっている事に気づいた。
それを知っているのはギャリシーを除けば、母だけである。
茫然としながらでも、ギャリシーの脳は正常に稼働し二人の言い争いから重要な言葉だけをピックアップしていった。
まず、姉は他所の集落にいるはずの母の元旦那と付き合っていた。
姉はこの牙の集落と母の元旦那のいる集落でどっちがいい暮らしが出来るか考え、そしてあっちに行く事を決意した。
そのついでに、牙の集落から色々略奪する計画をあちらの集落と相談した。
要するにスパイである。
一方母はその元旦那のいる集落とは別の集落に逃げる計画を建てていた。
ギャリシーの集めた財宝を手土産にして。
何を企んでいるのか良くわからない気持ち悪い息子を置き、息子の隠し財産を持って逃げ、良い目を見るつもりだった。
母は、一度たりともギャリシーに愛情を注いだ事はなかった。
ただ、母の目論見は簡単に崩れ去った。
『この女がこれだけ宝石を持っているなら、他の奴も隠し持っているに違いない』
そう考えた結果が、今の三つ巴の状況である。
ギャリシーには理解出来てしまった。
もう三つの集落はどうあがいても取返しが付かないという事を。
戦場である牙の集落は当然ボロボロで再起不能。
それ以外も何時もの略奪と違い三者乱れての為浮足立ち、死者が異常なほど多い。
現時点で全集落は五割の男を失い、そしてその殺し合いは今も尚続いている。
だが、そんな事どうでも良い事だった。
ギャリシーが唯一持っていた良心、家族の情は粉々に砕け、絶望と共にあらゆる事象に関心がなくなっていた。
何もかも、どうでも良かった。
ギャリシーはそのまま、茫然とした様子で母と姉を見つめた。
別に隠れているわけでもないのにギャリシーに気づかず、二人は醜くののしり合い取っ組み合い、そして殺し合いを始めた。
爪で引き裂き、小さなナイフを向け、木のこん棒で足を折り、転がる宝石を目に押し込む。
未熟ながら残酷なその様子は、女であってもまさしく蛮族だった。
そして見るも無残な様子の中、負けそうだったのは歳に加えて今までずっとギャリシーに日常の事を押し付け怠惰に暮らしてきた母の方だった。
地面に倒れ逃げようとする母は、自らの息子がそこに居た事にようやく気が付いた。
「ああ。牙の跡取り、私の息子よ。私を助けておくれ。あの女が私をいじめるんだ」
そう言葉にした為、ギャリシーは姉の方を見た。
「お、弟。あんた騙されているよ! そいつあんたの大切な物盗んで逃げようとしていたんだ。だからそいつ殺して私と共に刃の集落に行きましょう。こんな場所よりも絶対良いから!」
初めての姉の言葉を聞いた後、ギャリシーは母を見て、そして再度姉を見る。
二人共、恐ろしく醜かった。
怪我とかそういう問題ではない。
とにかく、醜かった。
自分の事しか考えておらず、いかに相手を苦しめようかを練り自分を利用しようとする二人。
これから蛮族と呼ばれる男達の方が百倍マシだった。
ギャリシーは少し悩んだ後、母を放置した。
縋りつこうと、恨み言を言おうと、怒り狂おうと、泣いて謝ろうとも、ギャリシーは母を無視し、絶命するまでどうでも良さそうに見つめた。
そして母が命を落とした後、姉は平然とした様子でギャリシーの宝石を懐に入れていき、そして立ち去ろうとした瞬間、ギャリシーは姉に剣を振るい、首と胴を別れさせた。
その後ギャリシーは転がっていた宝石を抱えてその家を立ち去り、集落の外の世界を目指した。
集落の中では父が死んでいた。
どうでも良かった。
見知った顔が死んでいた。
どうでも良かった。
知らない人の死体が山の様に築かれていた。
どうでも良かった。
ギャリシーには全て、どうでも良い事だった。
そしてギャリシーは外の世界に出て、クソッタレな真実を更に二つ知る事が出来た。
一つは、蛮族の集落をその土地の領主がどうして放置していたか。
集落の者は自分達の力に恐れをなしたからと思っていたが、当然そんなわけがない。
むしろ逆で、どうでも良いから放置していた。
大して資源も取れない上に道にも差し掛かっていないどうでも良い土地である為、領主は放置していた。
要するに、あの集落群は誰の目から見ても無価値だったという事だ。
そんな無価値な場所で、俺は凄いんだと誇り、何の発展もなく動物以下の生活を繰り返す。
あまりに滑稽な事であり、そして情けない事だった。
そしてもう一つ、ギャリシーは理解してしまった。
ギャリシーは自分だけは真っ当に生きようと、あんな屑共の仲間になるまいと思っていた。
だが、思い知ってしまった。
屑の父と母から生まれ、屑の中で育った自分は普通とは明らかに異なる。
常識は足りず、奪うという発想がすぐに思い浮かび、そして普通という物が何なのか理解出来ない。
その上で、ギャリシーは殺しすぎていた。
普通になるという事が不可能となるほどは、ギャリシーは蛮族に染まり切っていた。
最初は頑張った。
馬鹿にされ、貶され、殴られても殴り返さず耐えていた。
だが、いくら耐えても真っ当に扱われる事はなく、気づけばサンドバッグ扱いとなってこのまま殴られ続けたら殺されるとなった時、ギャリシーもようやく理解した。
『結局の所、何がどう変わろうと自分はゴミと屑から生まれ、そしてそう生きるしか道はないと』
町に行ってから二年、それと掃き溜め以下の集落での十六年、合わせて合計十八年。
ギャリシーにとって苦痛でしかなかった長い時間でギャリシーが得られた物は……醜き母と姉の所為で生まれた女に憎しみを覚えるトラウマと、効率の良い殺人の方法だけだった。
ありがとうございました。




