1-6話 消える事のないノスタルジーな痛み
サリスとエージュの喧嘩を適度に仲裁しながら会話を楽しんでいると、突然呼び出しが来てプランはびくっと体を揺らし驚いた。
掛け合い漫才のような二人の会話が楽しくついプランは本来の目的を忘れてしまっていた。
『一人ずつ、順に入って下さい』
その声に二人は最初からいたプランの方を見つめる。
プランは二人に頷いて見せ、案内の指示通り移動して扉の前に立った。
『この先です』
その言葉に頷き、プランはノックを四回行った後、返事を聞いてから入室した。
部屋に入ると、奥の方に五人が横並びに座っていた。
中央に初老の男性がいて、その両隣に若い男性。
そして右端には中年の男性と左端に若い女性。
全員がプランの方をじっと品定めするような目で見て来る為、ピリピリした圧力のような、脅しにも近い雰囲気が伝わってくる。
それはまるで異端審問会のようだった。
「……座りなさい」
中央の老人がプランに部屋の中央にぽつんと置かれた椅子に座るよう指示し、プランは頷き無言のまま椅子に座った。
どんどんと異端審問のようになってきて、プランは緊張からため息が出そうになるのをぐっと堪えた。
「それで、君の名前は何かな?」
右側の若い男性が優しくそう尋ねてきた。
「プランです」
プランが名前を名乗った後、右端の中年男性が何かを紙に書いていく。
「プランさんね。では、これから幾つか質問をしていくのですが……嘘だけは付かないで下さい。どんな酷い質問に、どんな酷い答えをしても咎めません。ですが、嘘だけは許容できなくなるので止めてください」
ニコニコしながらも、脅すようにそう言葉を重ねる男性に、プランはおずおずと頷いた。
「では最初の質問ですが、どうしてここに入学しようと思いましたか?」
その言葉で、プランはこれが面接の代わりである事にようやく気が付いた。
どうして入学が決まってから面接をするのかはわからなかったが。
「はい。私が入れる冒険者学校が他になかったからです」
プランは正直に、思ったままそう答えた。
「では、次はワシが尋ねる」
中央の老人がそう呟いた瞬間、奥にいる残り四人が何とも言えない困った表情を浮かべ、同時に険呑な雰囲気――さきほどまで消えかかっていた異端審問会のような雰囲気がを醸し出され始めた。
「貧困で体を売った事があるか?」
「……はい?」
「食うに困った身売りをした事が、またはそれに類する行為を取った事があるかと聞いておる」
「あ、ありません」
「では、物を盗んだ事は?」
「ありません。友達間の冗談でご飯のおかずを少し……ってのならあるかもしれませんが……それはちょっと覚えていません」
周囲の人達は少しオロオロとした雰囲気を出しているのはこれが相当に無礼な質問だからだろう。
だが、プランは怯えも怒りもなく、全く傷付いていなかった。
例え身に付かずとも、プランは領主としての教育を受けて来た。
だからこそ、今問われている問題はプランにとって貧困という問題は決して他人事ではなく、常に考え対処を考え続けて来た問題だったからだ。
それはもう、ありもしない過去の話ではあるが……。
「では、困った時に体を売ろうと考えた事はあるか?」
「あります」
それは正直に答えた。
ブラウン子爵領の元に嫁ぎ、最悪の場合でも妾になって愛すべき故郷を守ろうと考え実行に移そうとした事もあった。
ブラウン子爵の息子が善良だった上、むしろプランの方が容姿を理由にフラれるという悲しい結果に終わってしまったが。
それ以降でも、何かあった場合女性である己の身は領存続の為の道具であるのだとプランは常々考えていた。
だからそう答えたのだが……プランのその回答に周囲からの同情の雰囲気が強くなったのをプランは薄らと察した。
「……貧困で物を盗もうと思った事はあったか?」
「ありません」
プランの問いに老人は頷き、そして少し考え込んだ後両隣の男性が老人に声をかける。
「そろそろやめましょうよ……ここまで虐める必要ないじゃないですか」
「そうですよ。見ての通りの子みたいですし」
その言葉に老人は大きく溜息を吐き、プランの方をじっと見つめた。
「こやつらは厳しい質問を避けろなどとほざいておるが、お前はどうしたい?」
「ちょっ。そんな聞き方をすれば……」
男性がフォローのようにそう尋ねるが、プランは優しく微笑んだ。
「どうぞ。どのような質問でも」
その言葉に男性は溜息を吐き、老人は満足そうに頷いた。
そもそも、プランがこの程度の質問で傷つくわけがないのだ。
住んでいた場所はド田舎で、奥様方からも女性ならではのけっこうどぎついネタもぶっこまれる事もあったし、隣の領は悪い人ではなくとも口とガラの悪い海の男が多くいる。
ちょっとやそっとの悪口には田舎暮らしという事もあって残念ながら慣れっこだった。
「今からの質問は本当にきつい。ワシも内容は知らんが、間違いなくきついから覚悟するように」
そう言われプランはニコニコ顔のまま頷く。
それに合わせて端に座っていた女性は立ち上がり、老人に何かの紙を手渡した。
老人はそれを読み、若干物足りなそうにぽつりと呟いた。
「二度と叶わない約束を破り続ける気分はどうだ?」
その言葉に、プランの笑顔は消え去った。
それは最低最悪ともいえる魔法の使い方である。
ただの言葉だけで人を壊せる可能性を秘めた、禁忌の魔法、許されざる行為。
その魔法は非常にシンプルな効果を持っている。
『本人が最も苦しむ言葉を調べる』
ただそれだけの、そんな魔法だった。
叶わない約束。
プランにとってそれは、未来に置いてきてしまった為相手にさえその記憶が残っていない約束だった。
幼き頃ハルトと交わした大切な約束、己の才能の所為で兄貴分である友達を苦しめ傷つけた、生まれて初めてプランが自分の力を呪った瞬間。
そんな苦しんでいたプランに『必ず強くなってそんな才能大した事ないって教えてやる』と言ったハルトの想い。
お互い苦しめ傷つけあった中でも、兄だからと立ち上がったハルトが、プランはとても尊く見え、そして少しでも戦わないようにして強くならない努力をし、いつか来るその日を心待ちにしていた。
そんな、叶うの事ない約束――。
「私が傷つけたのに慰められて、そして結局もうその約束が叶う事はない。そうですね。一言でいえば最低な気分です。謝る相手すらいないのってが……本当に悲しくて、自分が醜く思えてきます」
プランは下を向き、震えながらそう言葉にする。
だが、涙だけは流さないと決めていた。
強くなると決めたのは自分、約束を諦めたのも自分。
全部自分で決めた事なのだ。
そう意思を強くもって微笑むプランだが、その顔は青白く誰が見ても無理やり笑っていると理解出来た。
それでも、この質問をされた後に笑っているだけで奇跡のようであると、この場の皆は知っていた。
この魔法を使った質問を受けてきた者は今まで、多種多様な反応をしている。
泣きわめいたり暴れたり、嘔吐を繰り返した者もいた。
最悪の場合は泡を吹いて意識を失った者すらいたくらいの、そんな拷問用の質問だからだ。
様々な反応があったが、その魔法を受けて作り笑いでも笑っていられたのはプランが初めてだった。
その後もプランはいくつか厳しい質問を受けたが、精神を削られたからかほとんど覚えていなかった。
嘘だけは付いていない自信はあるが、何を答えたかは全く記憶にない。
たった一つだけ、さっきあった二人は貴族だが、その地位を利用しようと考えなかったかと聞かれ、迷わずノーと答えた事。
それだけは覚えていた。
プランが部屋から退出して、男性は老人の方を向き鋭い目で叱りだした。
「ちょっと先生。どうしてあんな厳しい事ばっか言ったんですか?」
その言葉に老人は、落ち着いて言葉を返した。
「今はあんたも先生じゃろが。学生気分が抜けておらんぞ?」
その言葉に男性は少しだけ恥ずかしそうにした後、切り替えて更に追及する。
「今はその話じゃなくて、どうしてさっきの子にあんな厳しく追及したんですか?」
その言葉を聞き、老人は見せつけるように溜息を吐いた。
「はーあ。全くおぬし等は。じゃ、逆に聞くがおぬし等はあ奴をどう判断した?」
「え? 女性が多くて心安らぐ先輩だらけのクラスに入れようかと。良い子そうだし苦労してたみたいだし……俺のクラスに来てもらいたいなって」
「えー。俺のクラスで逆ハー作らせようぜ? めっちゃ良い子だったし」
そう言いながらワイワイと笑い合う男性二人。
後二人も黙ってはいるが、概ね同意見のようだった。
「……ワシは新規クラスに入れるべきだと思っておる。ほれ。丁度良い感じに一皮抜けきらん奴らのクラスが始まるじゃろ」
「――正気ですか?」
老人の言葉に男性はそう尋ね、老人はしっかりと頷いた。
「だからワシはあんだけ質問を繰り返したんじゃろうが」
「そんな厳しい道になるのが確定したクラスに入れたら可哀想じゃないですか?」
「あんたらの決めつけの方が可哀想じゃ。あの質問に答えた時点で、有象無象の食うに困った奴らとは違う事くらいわかるじゃろ」
老人の言葉にいまいち納得出来ず、男性三人は腕を組んだまま唸っていた。
「あんた。確か占星術の担当だったじゃろ? 何か調べられんのか?」
老人は女性にそう声をかけると、女性は酷く言いにくそうに答えた。
「良いですけど、私の的中率七割くらいですよ?」
「……まあやってみよう。その結果で決まるとは思えんが何かわかるかもしれんし」
「はーい。それで、何を占えば良いです?」
「そうじゃの……おぬし等意見は?」
男性三人はそう尋ねられ、わいやわいやと相談した後、この場唯一の中年男性が手を挙げた。
「能力の資質検査なんてどうでしょうか? 才能がなければ意思があっても無意味ですし、才能に溢れていたら多少しんどくても新規クラスでやっていけるでしょう。それにこういった曖昧な感じの答えやすい占星なら成功率も上がるでしょうし」
その言葉に老人と女性は頷き、女性は妖精を召喚した後どこからともなく水晶玉を取り出した。
そして妖精は、水晶玉の中にすーっと消えるように入っていくと……次の瞬間水晶玉が白く輝きだした。
「妖精さん妖精さん。教えてください。さきほどの女の子はどんな才能があって、どんな事をすべきでしょうか?」
そんな言葉を呟いた後、ジジッと虫の羽音のような音と同時に何かが焼けこげる香りが漂い、白く輝いていた水晶玉は元の透明な色へと戻り妖精がぽんと飛び出て女性の周りをくるくると回った。
「うん。ありがとう。また夜にね」
そう言って女性は妖精を戻した後、水晶玉をしまい、その下に敷いていた厚紙をちらっと見て――無言で口をぱくぱくと動かしだした。
「どうした? 何が書いてあるんだ?」
男性が横からその紙を盗み見して……男性もその女性と同じように目を丸くし口をぱくぱくとさせた。
二人の様子を不審に思いながら全員が女性の後ろに回り、その紙に目を通す。
『神は何も言わず』
ただそれだけしか書いていなかった。
占いの間違いでも、失敗でもなく、占いを受け取る側の、しかも最上位である六神からの明確な拒絶。
それは本来起こりうる事がありえない、あまりにも壮大で無茶な結果だった。
長い歴史を誇るアルスマグナ冒険者学園に残された記録でも、そのような結果が出たという記録はたった三度しか残されていない。
一度目は初代ノスガルド国王の若かりし頃。
二度目は高名な冒険者。
その冒険者は愛する者を守る為にたった一人でドラゴンを切り殺し、同時に絶命したと言われる伝説の冒険者。
そして三度目はクーデターを試み処刑された犯罪者である。
その評価が得られた者がどのような人物でどのような生涯を送るのか定まっているわけではない。
ただしその評価を受けた者で普通の人生を送れた者は一人もいなかった。
「ほらの? やっぱり普通じゃないじゃろ?」
老人の勝ち誇った顔に、残り四人は何も言えなくなっていた。
資質調査という名のねちっこいイビリ質問会が終わり、ふらふらとした状態でプランは別の個室に案内された。
「はい。お疲れ様でした」
さきほどまでと違う若い男性はそう言いながらプランに紅茶の入ったカップを手渡した。
「おーありがとうございます」
そう言いながらプランは暖かい紅茶に口を付け、ほぅと小さな吐息を吐く。
「はー。甘くて美味しい」
「ええ。きっとお疲れでしょうと思いまして」
「その気遣いが嬉しいです。何かやけに疲れて……ってあー。そりゃそうか」
「どうしました?」
「いえ、もう暗くなろうって時間じゃないですか?」
「ですね」
「おやつどころかお昼ご飯すら食べ損ねてました」
「あらあら。そりゃ疲れますね」
「ですね」
そう言ってほんわかした雰囲気の中、プランは紅茶を楽しんだ。
「それで、次はどうしたら良いんですか?」
「今日は時間も遅いですし……願書と明日の予定が書かれた紙をこの後お渡ししますので、それを寮内の自分の部屋で確認し記述するところは記述していただけたら」
「なるほど」
「ああ。今更ですけど寮暮らしで良いですよね?」
「はい。住むとこも用意してません」
「あはは。でもそういう人がほとんどですから。というわけで、これから貴女には二つの選択肢がございます」
「ふむふむ」
「一つは、馬車が来るのを待って寮に向かう事です」
「ほうほう」
「もう一つは、これから自分の足で寮に向かう事です。ご存知かもしれませんが、あそこです」
そう言いながら男性は窓の外から山の中腹に見える城壁のような建物の、その一番外側を指差した。
よく見ると一か所だけやたらキラキラと光り輝いている。
おそらくだが、あそこが正門なのだろう。
「……馬車を使うデメリットとかあるんです?」
「一切ございませんよ」
「ではどうして走るって選択肢が出てるんです?
「いえ。お腹が空かれたと言ってましたで。その、非常に言いにくいのですが……さっき馬車が出たとこでして……次に馬車がここに来るのは……二時間ほど先に」
その言葉を聞き、プランは笑顔で答えた。
「走ります」
「……頑張ってください」
空になったカップを回収しながら、男性は苦笑いを浮かべプランに励ましのエールを送った。
さっき渡された書類とその前に渡された概要。
それと手提げのバッグに着替えが二着と野宿用の火起こしセット。
これがプランの持っている今の手荷物全てだった。
ただそれだけを持ち、プランは舗装された山道を駆けあがっていく。
寮への道だからだろう。
薄暗い中道を登っているのはプランだけではなく、ちらほらと結構な人数が同じように山道を登っている。
だけど、走っているのはプラン一人だった。
『嬢ちゃん。そんな走ってどうした? 何かあったか?』
頭の眩い男性にそう声をかけられ、プランは立ち止まって微笑んだ。
『いえ。ただお腹が空いたので走ってるだけです!』
そう答えるプランに、男性はゲラゲラ笑って手を振った。
『そりゃ一大事だ。がんばって走んな』
そう言いながら手を振る男性に、プランは手を振り返し山道を駆けのぼる。
半分ほど進んだ辺りになると、息切れで疲れている人達が見えだした。
そこそこ急斜面な山道の為、歩くのも一苦労だろう。
そんな多くの人がしんどい思いをする道であっても、プランにとってはほどよく心地よい程度の疲労感しか与えていなかった。
戦闘が苦手でも、逃げ足と体力だけはプランは自信があり、好きな速度で走っていながら倍の距離でも楽々こなせる自信があった。
そんな、ひいこら言っている人達の横でジョギング感覚で寮に向かっている時、どこからかか声が聞こえた。
「おーい! プラン! おーい!」
その声に足を止め、きょろきょろと周囲を見ていると……道の側面にある木々の方からガサガサと大きな音がなり、唐突に女性が現れた。
その薄暗い中でも一目でわかる燃えるような髪にはプランは見覚えがあった。
「サリス! どうしたのこんなとこで?」
「おう。いやなんかうざい質問終わったからプランと合流しようと思ってな。馬車に乗らず走ったって言ってたから探してた」
「……どして道の方じゃなくてあっちの木の間を走ったの?」
「へ? 木の上の方から道みた方が探しやすいかと思ってな」
プランは少しだけ、相方の女性が山猿呼ばわりしている理由が理解出来て苦笑いを浮かべた。
「そか。探してくれてありがとサリス。ところで、今私はとても大きな問題を抱えております」
「何だ。手伝える事なら手伝うぞ」
「はい。私はとてもお腹が空いているのです」
「……狩りなら出来るが俺に料理は無理だぞ?」
「いや。というか狩っちゃ駄目でしょ学園内で。そうではなくて、寮に入ればご飯が出るそうです」
「ふむふむ。そう言われると俺も何か腹減って来たな」
「だから全力疾走して寮に行きたいと考えております。他の人と走る事を考えると、私けっこう早いから遠慮して速度を緩めるんだけど、サリスは相当足早いよね? あんなとこ走って私に追いついたんだし」
「わからんが、運動関係ならかなり自信あるぞ」
「はい。ですので――全力で走るので付いてきてください」
その言葉に、サリスは今まで見せた顔で最も似合い、最も魅力的な表情を浮かべた。
挑発的で、自信にあふれた、そんな笑みである。
「……はっ。面白ぇじゃねぇか。付いてこいだ? 前を先行して風避けになってやるよ」
その言葉にプランは微笑み、いきなり全力ダッシュをしてみせる。
それに驚きもせず、サリスはプランの背を追いかけた。
今、山道をお腹が空いた二つの風が駆け抜けていった。
ありがとうございました。