1-3話 王都へ2
ノスガルド国内でたった一か所だけ、領主が貴族でない土地が存在している。
唯一の例外であり、国にとって最重要で、土地的にも交通網的にも政治的にも中心である特別な場所――王領にプランはいた。
更にその広大な王領の中央にあるこの大陸で最も巨大な、ノスガルドの中央都市。
十メートルをも超える巨大な王都正門前に、今プランは佇んでいた。
「すっげ」
プランは正門とその周囲にある城壁に圧倒されそう呟く事しか出来なかった。
「凄いわよねぇ。この城壁と門。ちょっとした魔物なら束になって来ても何ともないくらい丈夫らしいわよ」
「はえー。ほんと凄い。街の中が見えないのがちょっと寂しいけどこれはこれで凄いや」
見渡す限りの壁、壁、壁。
地平線にまで続く城壁を見ると笑いしか出てこなかった。
「その城壁内にみっちり建造物が建ってるから中も凄いわよぉ」
「すっご……。でも迷いそう」
「大丈夫よ。百メートルに一人迷子対策の兵士がいるから。ぶっちゃけ住んでる人も迷うのよねここ」
「……地元民なのに迷うの?」
「迷うわよ。何なら兵士だって迷うわ。発展と開拓で様変わりするし単純に広いしで。だから入ったら私から離れないよう気をつけてね」
「はーい」
プランは馬車の中から元気に返事をし、首が痛くなりそうな城壁を眺め続けた。
「ん? ……あれ? あの門から入らないの?」
プランは馬車が正門から離れていくのを感じ店長にそう尋ねた。
「ええ。開くだけで莫大なお金が飛んでいくからそう簡単に開かないわよ。商人何かは別の門から通るわ」
「じゃ、どういう時に開くの?」
「位の高い勲章授与の時とか王族が関係する時とか……あと神様から呼び出された人を迎える時とかね」
「神様に呼ばれるって?」
「ごくごくたまーに神託でただの人が王都に呼びだされる事があるのよ。私が知ってるのは武器職人とかドレスの仕立て職人が呼ばれたわね。何で呼ばれたかまでは知らないけど」
「ほえー。にしてもそっかー。アレ開かないのかー。アレが開くと思ってたからちょっと残念」
プランはきっと開いたら凄いんだろうなと名残惜しそうに巨大な正門を見た。
「通ってあげる事は出来ないけど……開く事なら見れるわよ。見たい?」
「え。良いの?」
「ええ。元とは言え可愛い従業員の頼みだもの。聞いてあげないと女が廃るわ」
そう言いながらウィンクをする推定二メートルの漢女。
プランは色々とツッコミどころを我慢し大きく頷いた。
「じゃ、開くとこ見て見たい!」
「良いわよ。というわけで……ごめんなさい兵士さーん! ちょっと私達一時間ほど女子会開くから遅れるわー」
くねくねしながらそう言葉にする店長。
それをさっきまで相手にしていた全身鉄一式の兵士は一切驚きも笑いも引きもせず、背筋を伸ばし声を張り上げる。
「了解しました! では私はこれで失礼します!」
それだけ言葉を残し、兵士は去っていった。
「んじゃ、プランちゃん悪いけど一時間くらい待ってね」
「別に良いけど……店長何するんです? つかどんな権力使えばアレ開けるんです?」
「ふふ……良い女には秘密があるのよ……ってのは冗談で、私は何もしないし関与してないし、ついでに言えば私門をどうにかする権力なんて持っていないわ。実は一時間後に元から開く予定なのよ。だから一時間ほどお茶会でもしましょ」
「ほほーなるほどねー。一時間も無駄に消費させちゃってごめんね店長。そしてありがとう。大好き!」
「んもう。プランちゃんみたいな良い子がそんな好きとか気軽に言ったら駄目よ? 男なんてすぐ狼になるんだから」
「言う人は選んでるから大丈夫。店長は大丈夫なんでしょ?」
「ま、そりゃね。……この辺りで良いかしら」
店長は正門が良く見えてかつ正門前を遮らない場所に馬車を止め、馬から降りて馬車の中から何かの箱を取り出した。
「店長。それ何です?」
「ん? 乙女の秘密道具」
そう言いながら店長はプランにウィンクをして見せた。
クッキーと、カップ、茶葉にティーポットと水。
自称乙女の店長が持っていた箱の中に入っていたのは、お茶会の道具だった。
やたらファンシーなデザインをした敷物に真っ白いオシャレで可愛いティーポットとカップ。
確かに乙女の秘密道具と言っても過言ではない。
特にティーポットとカップはそこそこの領主が使う物に引けを取らないくらいの質だった。
問題は店長自体が乙女という生き物からほど遠いくらいだろう。
それと火の問題だが……店長は指を擦るだけで火を起こせる。
魔法とかではなく、単純に摩擦でだ。
「はいプランちゃんどうぞ」
敷物の上、正面に座る店長からカップを受け取ったプランは微笑みそっとカップを傾けた。
「んー流石! 外でも店長の淹れる紅茶は美味し……」
紅茶を入れるに適していない環境だが、温度と言い濃さと言い完璧としか言いようがなかった。
「違うわよプランちゃん。外だから美味しいのよ。綺麗で暖かい太陽さんの下で飲む紅茶が美味しくないわけないじゃない。ほら、一緒に美味しいクッキーも召し上がれ」
そう言いながら店長は二十枚ほどのクッキーを皿に乗せプランに手渡した。
枚数が多い理由は……単純にプランの食い意地が張っているからである。
「あはは、ありがと店長。うーん。私店長に女子力完敗してるわ」
サクサクサクサクサクサクサク。
ちょっとずつ、しかし素早くとリスのようにクッキーを頬張りながらプランはそう言葉にし、店長は微笑む。
「人生経験が違うからよ。プランちゃんも大人になればきっと誰よりも女子力高い立派なレディになれるわ」
そう言いながら小指を立てて優雅に紅茶を飲む店長の振舞いだけは文句なしの立派なレディだった。
「うーん。……めんどいからしばらくレディじゃなくて子供で良いや」
プランは子供らしく大量のクッキーを順番に味わいながら胃袋に納めていった。
ちなみに現在、小さな敷物の上で女装姿の巨漢と変なクッキーの食い方をしている女の子が一人、やけに本格的な紅茶セット一式を使い道端で紅茶を楽しんでいるという図になっている。
そして、そろそろ門が開くからか周囲にはちらほらと人が集まり始め、プラン達と同じように敷物を敷いている人もちらほら現れているのだが、その中でもプラン達二人は特別悪目立ちをしていた。
「ところでプランちゃん。貴方王都の事はどのくらいご存知。確か、来た事はなかったわよね?」
紅茶セットを手際よく片付けた店長の質問に、プランはクッキーを食べる手を止め上目遣いで店長の方をきょとんと見た。
「え、うん。来た事ないよー。友達……っぽい人達が来た事あるから話くらいは聞いた事あるよ」
元リフレスト領主である父とその補佐の兄、そして筆頭文官のヨルンが王都に行った事があり、そのお土産話を聞いた事がある程度だった。
「じゃ、王都の名前は知ってる?」
「王都アルス。王様と同じ名前、何だよね?」
「せいかーい!」
店長は満面の笑みで頷いて見せた。
ノスガルド王国で王は世襲制であり、そして王となった者は初代ノスガルド王アルスという名前をも引き継ぐ伝統が残っている。
そして過去のアルス王は王都も自らと同じ名前にしたのだが、それは王の権威を高めるという目的はなく、むしろ逆だった。
ノスガルドという国はあまりにも長く続きすぎており、もう王が何百代目かもわからなくなっているという巨大国家である。
その為か、永劫とも続く国を残す王を神聖視する国民も決して少なくなく、王の名前を呼ぶことすら不敬であるという考えすら生まれるほどだった。
それをその時代のアルス王はその事を芳しくないと思い、王都の名前をアルスと変更した。
王が絶対である事は正しい。
だが、それでもその時代のアルス王は国民と王との間に壁が生まれる事を是とせず、欲を言えばもっと密接な関係にしたかった。
そう必死に考え、苦肉の策としてアルスという名を王都に付けたのが由来である。
親しみを持ってほしいからと、気軽に名前を呼んで良いという事での名付けだが、その策は割と成功した。
『そうか! 偉大なる王はもっと皆から名前を知って欲しいのか』
若干違うのだが、国民達もそう思い勝手にアルス祭やアルス舞踏会なんて催しを勝手に開いたりしていた。
ちなみに、その時代のアルス王は自分の名が付いた催しが甚く気に入り、アルス舞踏会にサプライズとして勝手に参加して主催者を驚きのあまり気絶させたという逸話も残っている。
「ってのが私の知ってる王都アルスについてよ」
プランは過去ヨルンから聞いた事をそのまま店長に偉そうに説明した。
「へー。そこまでは知らなかったわ。王都アルスの名付け親はなかなかにお茶目さんだったのね」
「みたいだね。他には何も知らないけどね。一応あらゆる施設が揃って何でも手に入るってのは聞いた事ある」
「それも間違いではないけど、王都に居れば何でも取り寄せられるからお金さえあれば手に入るってのが正しいわね」
「へへーなるほどー。っと。なんか賑やかになって来たね」
「ん。そろそろ時間ね。ほらプランちゃん。門の方を見ましょ」
店長の言葉に頷き、プランはワクワクしながら門の方を見た。
その光景は、プランの想像通り凄まじい光景で、そして想像以上に凄まじい状況になっていた。
プランの見ている前で十メートルを超える高さの巨大な正門が異常な音を鳴らしながら開かれていく。
その音は木がこすれる音には違いないのだが、単純に音量が桁外れで正門から二、三百メートルは離れているのに耳が悲鳴を上げるほどだった。
そして開ききったその直後、感動の余韻も楽しむ間もなく門の向こう側で大量の金管楽器が勇ましいメロディを奏でて始めた。
「な、何事!? ラッパの音!? 演奏会!?」
突然の事に驚き慌てふためくプランに、店長は横で己の口元に指を運びウィンクしながら静かにするよう指示を出す。
金管楽器の音が何故か移動しており、徐々に大きくなっていた。
そんな勇ましい音楽の中、門の中から現れてきたのは、歩兵、武官達と軍楽隊、そして大量の馬車だった。
馬車はプランの良く知っている荷物を乗せる為の物もあれば、人を乗せる専用の物も、また同時にプランが今まで見た事がない不思議な形状の物もあった。
ただ、その全てが貴族用の馬車ではなく、戦う為の馬車だとプランでも理解出来るほどにわかりやすいほど武骨な形状をしていた。
延々と途切れない歩兵を携えた馬車の列に圧巻されながらただ茫然と見ていたプランは、正門から一台あからさまに特別な馬車が来た事が気になった。
それは他の馬車と同じように軍用の馬車なのは間違いない。
ただしその馬車はそれだけでなく、精緻な細工も施されており、まるで巨大な貴族送迎用の馬車のようでもあった。
ただし……その馬車の色はほとんどが白い銀色に光り輝いている。
白銀に輝く馬車なんて物プランは見た事も聞いた事もなかった。
その馬車が現れた瞬間、周囲にちらほらといた人達は皆立ち上がり両手を挙げてその馬車に歓声を送っている。
小さな子供から声を出すのもしんどそうなお年寄りも含めてだ。
そんな彼らの反応で、プランはその馬車の中にいる存在が誰か思いついた。
「あー。だから正門が開くのね」
「そゆことー。ほら。私達も手を振って応援してあげましょ?」
店長の言葉に頷き、プランはその馬車に向かって大きく両手を振る。
田舎育ちという事もあり、プランは非常に目が良い。
だからだろう。
プランはちらっとだが、その特別な馬車の中にいる人物を見る事が出来た。
馬車の中で鞘の入った剣を携えた、馬車の色にも似た白銀の髪の若き男性、現ノスガルド国王アルス・ヴァルハーレの姿を――。
「色々気になる事があるんだけど、聞いて良い?」
兵達の行列が去り、皆がこの場を去っていく中プランは店長にそう尋ねた。
「ええ。何でも聞いて頂戴」
「さっきの、王様のご出征よね?」
「そうね」
「王様が直々に行くの?」
「王が先陣を切って戦うからこそ士気が上がるのよ。ま、王様が強いから出来る事だけどね」
「なるほど。んでさ、王直々のご出征の割には見送り少なくね?」
プランから見えた範囲だけで数百人くらいだっただろうか。
王都内での見送りがあったとしても、王出陣の割には少なすぎるとしか言えなかった。
「そりゃ週一で王様出かけてるもの。民の方も純粋に暇だから応援しよかくらいの人しかいないわよ」
「週一? おかしくない色々と。王都の近くが戦場になってるの?」
「というのも、ああやって出る時は一緒に出るけどしばらくすると王様はすぐ別行動になるのよ。魔法使い達の魔法を自分の馬にまとめてかけさせて馬を超強化。んで戦地に強引に単体で特攻してぶちのめして帰りは転送で王都に帰るの」
「王様が単身特攻!? というか転送って何!?」
「転送はねぇ……うーん。私も原理しらないけどべらぼうに高いお金使ったら決まった場所に瞬間移動出来るんだって。本来なら高すぎて使える物じゃないけど、軍隊動かすよりは安いからしょうがなくそういう戦法になったって聞いたわ」
「……都会ってすげぇ……。というか王様ってすげぇ……」
プランはぽつりとそう呟いた。
「んー。にしても……王様ずいぶんと辛そうだったなぁ。やっぱり仕事忙しいから疲れてるのかな?」
「そうなの? 私には別に普通の表情に見えたけど」
まっすぐ前だけを見つめる、真剣そのものの表情。
戦いに赴くために力を貯めているような、そんな表情に皆は見えていたが、プランには違って見えていた。
「うん……。なんだろうか……。凄くこう……辛そうな窮屈そうな……そう、とても退屈そうな顔だった」
そうプランが呟いた瞬間、プランの頭上が急に薄暗くなった。
「あら貴方、良く見てるわね」
綺麗な女性の声が聞こえプランは声の聞こえた後ろの方を向いた。
そこで、薄暗くなっていたのは日傘を差した女性がすぐ傍にいたからというだと気が付いた。
フリルのついた日傘を差した、可愛らしいドレスを身に纏った髪の長いお淑やかな女性。
そんな、まるで白百合のような可憐な女性がニコニコ顔でプランを見つめている。
そして、プランはその女性に何となくだが……見覚えがあるような気がした。
「えっと……その……うーん。どこかで見た事があるような……」
「いやいや……プランちゃん。この人、あのっ!」
女性を見ながらうんうん唸るプランを見て、滅多な事では驚かない店長があわわと慌てながらプランを揺する。
まるで何かまずい事でもあるかのような動揺っぷりである。
そんな店長とニコニコ顔の美人さんを気にもせずプランは記憶を呼び起こし、そして自分が一桁の歳だった頃のパーティーの記憶を呼び覚ました。
今より七、八年以上前だから背やスタイルは全然異なっているが、確かにその人の名残が目の前の女性からは残っていた。
「えっと……違ったら失礼なのですがコンラート侯爵令嬢様でしょうか?」
プランの言葉に女性は少しだけ驚いて口元に手を当て、そして優しく微笑んだ。
「あらあら。どこかにお会いした事がありました?」
「い、いえ。ただパーティーでちらっと顔を見ただけですので」
「そうなのですか? でも……それ結構昔の事ですよね?」
「は、はい。大昔ですね」
「ええ。その時と違って私こうなってますの」
そう言いながら女性は、プランに左手薬指に付いた指輪を見せる。
「わぁ! おめでとうございます。それと失礼しました。では……何と呼べば良いでしょうか?」
「皆私の事をメリアと呼ぶから、貴方もそう呼んで頂戴。それで、私は貴方の事を何と呼べば良いかしら?」
「わかりましたメリア様。私は苗字もないただの平民で、プランと言います。ですので呼び捨てでプランと呼んでくだされば……」
「そう。じゃプランちゃんよろしくね」
「はい! こちらこそ」
そう言ってプランと女性は微笑みあった。
店長は驚きの表情を浮かべたまま固まっていた。
メリアという名前を聞いて、似たような名前の友達の事を思い出しプランは少しだけ寂しい気持ちになった。
「んで店長、さっきからどしたんです?」
固まったままの店長にプランがそう声をかけると、店長は急に我に返り、そしてニコニコ顔のメリアを見た後深く頭を下げ、そしてプランの方を向き真剣な表情を見せた。
「良いプランちゃん……。良く聞いてね。今代のアルス国王様にはお后様がいらっしゃるわ。自分と同じ名前を持ったお后様がね」
「自分と同じ名前って事は……アルス王妃様って事?」
「いいえ。名前の中にアルスという文字が入ってる人よ。そのお方の名前はアルストロメリア・コンラート・ヴァルハーレ。民達からはメリア王妃と呼ばれ親しまれているわ。ちなみに現在ノスガルドで唯一旧姓をミドルネームする事を許可された人ね。本来ミドルネームは特別な意味があるから」
店長の言葉と同時に、メリアはプランにひらひらと手を振った。
「――はい?」
プランは現実が受け止め切れず間抜け面のままメリアの見つめた。
メリアは驚く二人を見て嬉しそうに、小さくブイサインをして見せた。
ありがとうございました。