8-9話 始まりの時、立ち上がる君の為に(後編)
深夜、強風の中で揺れる草木をプランは意思なき瞳で見つめる。
無気力症候群とも言うべきだろうか。
活力と呼ばれるものが完全に枯渇している様に見え、その瞳は驚くほどに弱弱しい。
それでも、プランはここに来た。
こんな場所に呼び出した人物に会う為に。
そして待つ事一時間、呼びだした人物が姿を見せる。
サイサリス・ハワード。
光の乏しい夜であってもわかるほどの燃える様な赤い髪を靡かせ、彼女はプランを強い決意のこもった瞳で見つめた。
完全武装した状態で。
プラン達は普段、冒険に出る時であっても基本軽装であり重たい鎧を身に付けない。
その理由はメンテナンスの手間や予算、機動力や行動範囲、体力面の考慮など、色々あるが必要なかったというのが一番の理由である。
軽鎧を使っているのにわざわざ重たい鎧を使う状況は来た事がなかった。
のはずなのに……いつ用意したのかサリスは全身銀色のフルプレートメイルを身に纏っていた。
ヘルムを腕に持っていなかったら誰かわからなかっただろう。
鎧だけでなく、武器もまた今までサリスが持っていなかった物だった。
片手では絶対に持てない様な、細身でありつつもおそろしく長い両手剣。
それをサリスは背負っていた。
「……プラン。わかってるな」
サリスは強風でかき消されそうな低い声でそう囁く。
プランは迷わず首を横に何度も振った。
「わからないよ! 何も……何をしたら良いのか……サリスが何をしたいのか私には何も……わからないよ……」
今にも泣きそうな声。
その声を聞き、サリスは溜息を吐いた。
「マフィット辺境伯領剣技トーナメント。伝統あるそれに……俺は出たい」
その言葉にプランは悲痛な声で反論した。
「私は出たくない! そんな場所も……そんな大会も……行きたくない!」
場所を知った時、プランは人知れず絶望した。
そこは……父が死に、そして父を殺した場所。
二度と行きたくないと願っていた場所である。
「だろうな。んで、お前は強くなるんじゃないのか? お前のやるべき事は強くならなくて出来る事なのか?」
その言葉にプランは言葉を失う。
最初からわかっている事だった。
行きたくないけど強くなる為に頑張らないといけない。
強者と戦い縁を結べる可能性のある場所など早々ない。
行く事にどれだけのメリットがある事か。
そんな事……最初からわかり切っていた。
「だから……決闘だ。俺に勝てない様ならお前程度が参加する意味がない。その時は俺がお前の代わりにトーナメントに出る」
「行きたいなら行けば良いよ! 私はもう……」
「良いから剣を抜きやがれ! 今ここで殺すぞ!」
それでもプランは剣を抜かない。
臆病者ののプランが友人に剣を抜ける勇気など持ち合わせている訳がなかった。
「お前をぶちのめして俺がトーナメントに出る。それで俺の夢が一つ叶う。それでも俺は別に構わない」
「わからない……わからないよ……」
プランにはわからなかった。
どうして……サリスがずっと嘘を付き続けているのか。
「何でわからないのか。俺はただ、トーナメントに出たいだけだ」
これは半分嘘。
出たいのは本当だろうが、それは目的ではない。
サリスがトーナメントに参加するつもりがないのはすぐにわかった。
「その為に……お前の前に立つ。お前何かよりもトーナメントに出る方が俺には大事な事なんだ」
これは全部嘘。
「だから……剣を抜いて俺に倒されろ」
これも嘘。
わからない……わからない。
サリスの事が、何もかもわからない。
……本当にそうだろうか?
いいや、ここまで来れば流石のプランでもわかる。
サリスが誰の為にこんな事をしているのか。
何の為かなんて……プランの為に決まっていた。
最初から最後まで自分の為……そんな事考えるまでもない。
わからなかったのはただわかろうとしなかったからに過ぎなかった。
「……俺はお前の敵になる。剣を抜け。これは決闘だ」
そう言葉にし、サリスはヘルムを被り剣を抜き構えた。
全力で戦う姿勢ではあるが……それでも敵意も殺意も感じない。
その構えからは友を心配する気持ちしか伝わってこない。
ようやく……プランはサリスの声が聞こえた。
『頑張れ』
ずっと……ずっと……励まし続けていたその声を、プランはようやく受け取る事が出来た。
だけど……。
「私がどうしたら良いのかわからない……。私は戦えないよ!」
震える手のまま、プランは声を張り上げた。
そこまでしてもらっても、プランは剣を持つ勇気が持てなかった。
「この……わからず屋がっ!」
サリスは怒声を上げ、プランに突っ込む。
そして剣を水平に構え、そのまま一突き――。
鋭い剣先が、プランに襲い掛かった。
「ひっ!」
プランは怯えながらしゃがんで避け、地面を転がり距離を取った。
「さっきの当たったら……」
もし避けていなければ、さきほどの剣はプランの顔面を貫いていた。
一切の手加減もなく、当然寸止めなどと生易しいものでもなく、全力でサリスは剣を突いてきていた。
「この期に及んでまだ気づかないのか? これは決闘……いや、ただの殺し合いだ」
そう言葉にするサリスの声に……嘘はなかった。
サリスは本気で殺し合いをするつもりでこの場に立っていた。
「……私……サリスを殺したくないよ……」
「じゃあお前が死ね」
そう言葉にしてから、サリスはじりじりと距離を詰め寄ってくる。
殺される。
そう思えるには十分な状況だった。
サリスがこんな事したくないというのは理解出来る。
だが、それでもサリスが本気である事も同時に理解出来た。
それを理解すると……現金な事だが、その手は自然と剣に伸びる。
そして剣を振り下ろそうとするサリスを見て、プランは慌てて剣を抜き放った。
不安定な姿勢。
剣を振り慣れていない体。
慌て過ぎて距離すら掴めていない状況。
そして、恐ろしく軽い木製の剣。
こんな舐めているとしか言いようがない状況であっても、その剣筋はやはり美しかった。
銀の一閃は夜空を斬る。
その一刀で、サリスはそのまま倒れた。
体どころか鎧にすら傷一つない。
それどころかダメージすら与えていない。
ただ、意識だけを刈り落とした。
友人に怪我をさせられるほどプランの心は強くなかった。
「はぁ……はぁ……」
剣を支えにして、プランは呼吸を粗くする。
芯から冷える様な恐怖が押し寄せ、体を震え上がらせる。
手が震える。
歯がガタガタと鳴り響く。
涙が零れる。
戦うといつもそうだった。
ずっとずっと昔から……戦う事がプランは大嫌いで……怖かった。
ガシャン……。
金属製の音が鳴り響き、プランは慌てて音の方向を見る。
そこには立ち上がり構えようとしているサリスの姿があった。
「……そんな……どうして……」
「効かねぇからだよそんなへなちょこな攻撃」
「……もう……無理だよ。手が……震え……」
「泣くな!」
溢れる様な怒声にプランはびくっと震え、体を竦める。
それでも、涙も震えも止まる事はなかった。
「……トーナメントは何戦するかわからなんが、最低でも五戦。ついでに言えば連続で戦う事もある。そんなとこで震えている暇なんてないんだぞ」
「だから……無理だよ。私には絶対……」
「出来るかどうか決める前に剣を取れ。戦う意思を持て。俺を見ろ!」
そう叫び、サリスは拳を振る。
元々力の強いサリスの手甲を付けた拳の一撃。
死を意識するに十分な拳を見て、プランは慌てて盾を持ち構える。
そしてガントレット事の一撃をプランは盾で何とか受け流した。
「……そんな……半端なもんで俺が防げるかよ!」
足も腰もふらふらのプランにそう叫び、何度も盾を殴りつける。
それは盾で防いでいるというよりも、盾で凌いでいるにすぎず、殴る度にプランの体は揺れ後方に下がる。
そして……。
サリスは両手で剣を握り、水平に薙いた。
プランも慌てて盾で構えるが両手での長身の剣を震える手で受け切れるわけがなく、盾は宙を舞い遥か彼方に転がっていった。
「そろそろ泣き止め。そして剣を取れ」
そう冷たく言い放ち、サリスは再度突きの構えを取る。
プランの中にさきほどの死のイメージ、自分の顔が抉れる未来が見えた。
それでも体の震えは止まらず……じりじりと後退する事しかプランには出来なかった。
「逃げるな!」
そう言葉にしてからサリスは突きを放った。
ギィン。
金属が削れる様な音が響き、サリスの突きは空を切る。
受けたプランの手には銀が一部剥げた木製の剣が握られいていた。
「はぁ……はぁ……」
泣きながら、震えながら、不格好に剣を持つプラン。
それを見て、サリスは溜息を吐いた。
「何だその体たらくは。……まだ覚悟が持てないのか?」
そう尋ねるがプランは息を粗くしサリスに縋る様な目を向ける事しか出来ない。
そんなプランを見て、サリスは迷わず剣を構える。
それを見てプランは泣きそうな顔のまま……死にたくないという気持ちだけを胸に――剣を振った。
それはプランが振った剣の中でも特に酷く、人生最悪の一手だった。
恐怖で剣筋は乱れ、涙で前も見ず、そして振りぬく途中で呼吸が混じり止まる。
そんな最悪の剣では……今までの様に振りぬく事は出来なかった。
まるで金属が悲鳴を上げる様な音と同時に爆音が鳴り、サリスは吹き飛ばされる。
「サリス!」
プランは真っ青な顔で叫んだ。
最悪だからこそ、その剣は手加減が出来なかった。
手応えがあった。
金属を叩き潰し、中の人間すらも破壊する。
そんな最悪の手応えが、プランの手に残り続けていた。
ヘルムは飛ばされ、鎧に大きな亀裂が入る。
そしてサリスはそのまま――吐いた。
恥も外聞もなく、嘔吐し吐瀉物をまき散らす。
その中には決して少なくない量の血が混じっていた。
「サリス! サリス!」
何度も叫び、サリスを揺するプラン。
そんなプランを、サリスは弾き飛ばした。
「同情か? げほっ……。いらねぇ。そもそも、この程度じゃ全く効かねぇんだよタコが」
サリスはぺっと吐瀉物を口から吐き切る様に唾を吐き、そのまま剣を構えた。
「もう無茶だよ。死んじゃうよ。お願いだから……治療を受けて……」
「何勘違いしてんだ? さっきのは転んだだけだ。お前のへなちょこ剣なんざ効くわけがないだろ」
そう言ってサリスは笑って見せた。
平気な訳がない。
確かに……嫌な手応えが、友達を殺しかけた手応えがあった。
だがそれでも、サリスは絶対認めないだろう。
サリスは最初から、命を賭ける覚悟でここに立っているのだから。
強くなろうと決意していた。
大切なもの達を守る為、平穏な日々を過ごしてもらう為、大好きな人達に幸せになってもらう為。
例え自分を捨ててでも護ろうと、強くなろうと決意していた。
だが……駄目だった。
足りなかった。
どれだけ決意し、どれだけ強くあろうとしても、恐怖に体が押しつぶされる。
プランは気づいていた。
自分じゃもう、強くなる事は、これ以上恐怖に耐える事は出来ないのだと。
どれだけ剣を振っても恐怖は薄れず、約束を違えた罪悪感と共に体が塗りつぶされる。
自分の中にある楽しい気持ち、幸せな気持ちはたった一振りで全て消え去ってしまう。
だからこそ……プランが今のままで強くなる事は無理だった。
プランは誰かの為に強くなる事を……諦めた。
――だから良いよね。寄り道しても……。まっすぐじゃなくて、少し遠まわりしても。
プランは立ちはだかるサリスを見て、初めて自分の意思で、剣を握った。
「ごめんねサリス。そして……ありがとう。今だけは、私昔の事を忘れるよ」
大切な人達。
大切な場所。
守るべき物。
プランの原風景。
プランをそれを、護ろうと願っていたそれらを生まれて初めて意識しない様にした。
どうしてサリスがここまで命を賭けて立っているのか。
それは初めから簡単な話で、プランが立ち上がる為である。
考えるまでもない。
何故なら、それがサリスだからだ。
友の為に生きる事が当たり前だと思っているサリスなのだから、これは当然の結果だった。
だからこそ、プランは決めた。
情けなくても、格好悪くても、震えても、それでも剣を握ろうと。
自分の原風景の為でなく、ただ一人、ここまでしてくれているサリスの為だけに、友達の為に、プランは剣を握った。
「それで良い。そうだ。本気のお前に勝たなきゃ意味がないからな」
「……嘘つき」
そう言ってプランは微笑み、息を整える。
相変わらず手は震えている。
だが、それでも何故か出来る様な気がしていた。
いや、出来るに決まっている。
サリスが見てくれているのだから失敗するわけがなかった。
それがわかるからこそ……プランは迷わず剣を振りぬいた。
夜空に銀の風が煌めく。
風による音以外がミュートとなった世界、そこではそれが当たり前であるかの様に、サリスはその場に倒れ込んだ。
震えながらでも……その一振りは文句なしに最高の、人生で最も鋭い一振りだった。
「ありがとうサリス……。私、頑張るよ。頑張って……自分ともっと向き合ってみる」
怖くなくなったとは、決して言えない。
だけど、剣を自分の意思で振れた。
生まれて初めて、自分の意思で剣の才能と向き合えた。
自分の嫌な部分と向き合えたのだ。
それは他の誰でもなく……サリスのお陰である。
だからこそこれは、心からの感謝だった。
「まだだ……まだ終わっちゃいねぇ……!」
そんな声が聞こえ、プランは体を硬直させる。
限界など何度も越え今にも死に体となっているのに……それでも……ゆっくりとだが、サリスは体を起こしつつあった。
プランとは違う理由で体は震え、言う事など効かないほど弱っていても……それでもサリスは剣を支えに無理やり立ち上がった。
「どうして……」
どうして間違いなく最高の一撃で、確実に意識を削り切った手応えがあったのに立ち上がれるのか。
どうしてそんな無理をして立ち上がったのか。
二重の意味でプランは呟いた。
「……効かねぇんだよ。そりゃ今までよりはマシだったけどな……まだだ。まだ物足りない。お前の本気はこんなもんじゃねーだろうが」
そう言葉にし、サリスは不敵に笑って見せた。
効いていないわけがない。
内蔵は傷だらけで、脳震盪でまともに前も見えないし立つ事すら難しい。
そんな状況でも、サリスは笑いながら剣を構えた。
もう振る体力など残っておらず、震えながら構える事しか出来ないのだと見てわかるが、それでも確かに、戦う意思をサリスは見せていた。
「叶わないなぁ……」
勇気を振り絞り、全力を出した。
だが、友は笑いながらその先に行っていた。
プランはサリスの強さを見て、心の底からそう思った。
「じゃあ俺に譲るか? トーナメント権」
「ううん。私が行く。ここまでお膳立てしてもらったんだもん。行かなきゃバチが当たっちゃう」
そう呟き、サリスは剣を片手で握り、姿勢を深く落としながら構えた。
「サリス。今度は本当の本当に、本気で行く。前よりもっと……出せる物を全部絞り出す。手加減も遠慮もしない。だから、死なないでね」
その言葉に、サリスは微笑んだ。
心からの笑顔を見せ、プランを笑った。
「手を抜いたらぶち殺してやる。来い」
その言葉に頷き、プランは剣を振る。
ずっとその才能に振り回されてきた。
才能だよりで全部なあなあだった。
それが許されるだけの才能を持ち合わせてしまっていた。
だけど、今度の一振りはそうじゃない。
才能に驕った能天気な一撃ではなく、力への飢えを見せ才能を支配し自分の意思に従えての一刀。
その一撃に、サリスは光を見た。
音が消える――。
意識が消えつつある中で、サリスはわざわざこの為だけに用意した鎧と剣が、粉々となって砕けるのを見た。
それを見て、ようやくサリスは安心して眠る事が出来た。
柔らかい笑顔で倒れ行くサリスを、プランはじっと見つめていた。
最後の最後、限界まで自分に尽くしてくれた友の感謝の気持ちを忘れない為に……。
気づいた時には風は止まっていた。
穏やかな夜空の中――その手の震えは何時からかなくなっていた。
ありがとうございました。
ようやく、二部でやりたかった事の一つが出来ました。




